ヒットルフ(読み)ひっとるふ(英語表記)Johan Wilhelm Hittorf

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヒットルフ」の意味・わかりやすい解説

ヒットルフ
ひっとるふ
Johan Wilhelm Hittorf
(1824―1914)

ドイツの化学者、物理学者ボンに生まれる。ボン大学卒業後、ミュンスター大学私講師、助教授を経て、1856~1879年同大学教授。当初、電気化学研究に従事、ダニエルミラーの研究を踏まえて、1856年イオンの相対的移動速度としての「輸率(イオンがどのくらい運ばれるかの割合)」の概念を確立し、その測定に成功した。1858年にはクラウジウスとの論争を通じて「各イオンはすべてが分子として緊密に結び付いているのではない」と自由イオン説に近い見解に到達。その後、気体放電研究に向かい、1862~1865年、師のプリュッカーと共同でスペクトル管についての研究を行い、ついで1860年代の真空技術上の技術革新の成果を用いて、1869~1883年真空放電研究を展開し、陽極付近のガラス壁に生じる蛍光陰極から発したある種の輻射(ふくしゃ)線である「グロー光線」によることを確かめ(陰極線の発見)、その直進性や管中の「電流実体」をなすことなど、陰極線研究の基礎を確立した。

[宮下晋吉 2018年10月19日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヒットルフ」の意味・わかりやすい解説

ヒットルフ
Hittorf, Johann Wilhelm

[生]1824.3.27. ボン
[没]1914.11.28. ミュンスター
ドイツの物理学者,物理化学者。ボン,ベルリンの両大学で学び,1847年よりミュンスター王立アカデミーの私講師。同アカデミーが大学に昇格後,化学・物理学の教授 (1856~79) 。 53~59年,イオンが異なる速さで移動することを研究し,電気化学の基礎を確立した。 J.プリュッカーとともに低圧気体の放電現象を研究し (65) ,さらに陰極線の研究へと進んだ (69~84) 。

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