日本大百科全書(ニッポニカ) 「フェルトマン」の意味・わかりやすい解説
フェルトマン
ふぇるとまん
Martinus J.G. Veltman
(1931―2021)
オランダの理論物理学者。オランダ南部の町ワールワイク生まれ。ユトレヒト大学を卒業後、1955年にアムステルダムのファン・デル・ワールス研究所に就職。兵役の後、大学院生としてユトレヒト大学に戻る。ヨーロッパ原子核研究機構(CERN(セルン))でも研究を続け、1963年にユトレヒト大学の博士号を取得、1966年に同大教授となる。1968年に1か月だけ滞在したロックフェラー大学で、後のノーベル賞受賞につながる研究を開始。指導すべき学生として1969年に知り合った当時22歳のG・トホーフトとともにその研究を続け、その成果を1971年にオランダで開かれた素粒子物理の国際会議でトホーフトが発表した。素粒子がお互いに力を及ぼし合うようすなどを説明する「標準理論」は当時、数学的な厳密さが不十分で、発見されつつあった新素粒子の性質などを説明しきれず、理論物理の世界には無力感が漂っていた。トホーフトとの研究により、標準理論に数学的な厳密さを与え、のちに発見されるW粒子やZ粒子、トップ・クォークなどの質量の大きさなども正確に予言できるようになり、「理論の復権」ともいわれた。1981年に渡米してミシガン大学教授。トホーフトとともに、「電弱相互作用の量子論的構造の解明」により1999年のノーベル物理学賞を受賞した。
[馬場錬成]