改訂新版 世界大百科事典 「プロバンス文学」の意味・わかりやすい解説
プロバンス文学 (プロバンスぶんがく)
西ローマ帝国の滅亡(476)後,ガリア地方(今日のフランス)はゲルマン民族の侵入によって言語的統一が失われ,ほぼ8世紀ころから,ロアール川以南の地には,北仏語(オイル語)とかなり相違した南仏語(オック語)が発生した。この南仏語で書かれた文学を総称して,一般にプロバンス文学という。このようにフランス南東部の一地方名を冠して,この文学をプロバンス文学と呼称するのは必ずしも妥当ではない。これは,19世紀中葉,プロバンスの詩人ミストラルらによって南仏文学復興運動〈フェリブリージュ〉が興され,この運動が南仏全域の言語・文学の刷新・興隆に大きな役割を果たしたためである。しかし今日では,この呼称を非とし,南仏語をオクシタン(語)occitan,南仏文学をオクシタン文学,南仏全域をオクシタニーOccitanieなどと呼ぶ傾向が強い。
プロバンスは3期にわたってすぐれた文学を持っている。第1期は中世における吟遊詩人トルバドゥールの文学,第2期はルネサンス期のバロック詩人の文学,第3期は19世紀中葉に興った〈フェリブリージュ〉の文学である。トルバドゥールの文学は中世ヨーロッパ文学の成立に先立って,およそ11世紀ころに発生し,12世紀中期から13世紀にかけて最も栄え,13世紀末には消滅した。この文学の発生および起源について定説はない。おそらく,ラテン語通俗詩,アラビア語の宮廷恋愛詩,南仏俚語の民間詩,これらのものが,十字軍による東方文化の移入とともに華美になった宮廷生活を反映し,洗練を加えて優雅な宮廷詩を成立させたものと思われる。今日知られている最古の詩人ギヨーム(9世),セルカモンCercamon,ジョフレ・リュデルJaufré Rudelなどに代表される初期詩人の作品に共通する単純素朴な詩型と内容は,12世紀中期から複雑な詩型による女性賛美の宮廷恋愛詩へと発展した。この新しい文学の招来については,特に南仏最大の恋愛詩人ベルナール・ド・バンタドゥールと,彼を庇護した才女アリエノール・ダキテーヌの功績を挙げねばならぬ。こうした機運に乗って12世紀後半にはマルカブランMarcabrun,ランボー・ドランジュ,アルノー・ダニエル,ペール・ビダル,ベルトラン・ド・ボルンBertran de Born,ランボー・バケイラなどのすぐれた詩人が輩出し,恋愛詩canson,風刺詩sirventès,対話詩tensonなどに技量を競い,トルバドゥール文学の黄金時代を迎えた。しかしこの文学も,異端アルビジョア派撲滅を目ざす十字軍(1209-29)戦役における南仏諸侯の敗退と宮廷の没落とによって衰退した。ここに,よるべを失った詩人たちはイタリア,スペインなどに移住して,それぞれの国の国民文学発生に多大の貢献をなした。
南仏では13世紀後半から16世紀までほとんど見るべき詩人はいなかった。ただ1323年〈トゥールーズの7詩人の文芸団体〉が結成されたことは見逃せない。ところが16世紀後半に至って,沈滞していた南仏文学が急速に生気を取りもどし,ガロ,ベロディエール,ガイヤール,ゴドランのような,いわゆるルネサンス期のバロック詩人が出現した。18世紀は南仏文学の衰退期で言語も乱れた。その後サント・パレー,レーヌアール,フォーリエルなどの学者の労作が,ロマン派の運動とあいまって南仏文学復興の機運醸成に貢献した。
プロバンス地方では早くから言語の刷新と文学の復興運動が興っており,1854年には〈フェリブリージュ〉が創設されている。ルーマニーユ,ミストラル,オーバネルなどによって組織されたこの運動の活躍はめざましかった。すなわち機関誌《プロバンス年鑑》の刊行と詩人たちのすぐれた作品の出版とにより,一地方的運動は全ヨーロッパの注目するところとなった。このように〈フェリブリージュ〉の運動は日を追って発展したが,当時の王党主義,地方主義などの影響を受けて反中央集権主義,地方独立主義を標榜する政治色の濃いものとなった。一時ミストラルやルーマニーユらはカタロニア地方やイタリア独立運動に呼応してラテン民族連邦の設立に専念したほどである。しかし普仏戦争の敗北後フランス政府が強力な国家主義を打ち出したこと,〈フェリブリージュ〉の指導者ミストラルが他界したことなどのために,〈フェリブリージュ〉は一地方主義的文化運動と化した。一方,ラングドック地方やガスコーニュ地方では,特に第2次大戦後文学復興運動がめざましく,地方分権や独立を主唱する学者文人も少なくない。
→オクシタン →トルバドゥール
執筆者:杉 冨士雄
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