ベッセル(読み)べっせる(英語表記)Friedrich Wilhelm Bessel

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベッセル」の意味・わかりやすい解説

ベッセル
べっせる
Friedrich Wilhelm Bessel
(1784―1846)

ドイツの天文学者。実地天文学の定礎者。ハノーバー近郊のミンデンに生まれる。公務員の子で、大学をあきらめ、ブレーメンの貿易商社員となる。航海術の基礎である数学と天文学を勉強し、1804年にハリー彗星(すいせい)の軌道を計算し、1807年の回帰を正確に予報した。これによってオルバース推挙を受け、リリエンタール市立天文台の助手となる。ブラッドリー恒星観測記録を整理し、各種の天文定数を改新した。1810年ケーニヒスベルク大学(現、イマヌエル・カント・バルト連邦大学)の天文学教授に招かれ、大学付置天文台の建設に参画し、1813年完成と同時に台長に就任し、終生、研究の本拠とした。1817年、三体問題の理論的処理のためベッセル関数を案出し、1824年惑星摂動のため、同関数を拡張完成した。1821年から1833年にかけて、南緯15度より北緯45度にわたる9等星以上の恒星の組織的観測を指導。観測値に個人差、器械差、歳差章動光行差などの補正値を計入して、7万5000個の恒星位置の決定に画期的に精度を向上させた。1831年東ロシア地域の子午線測量を遂行して、地球楕円(だえん)体の扁率(へんりつ)を299分の1と定めた。1838年ヘリオメーター(測微角計)を用いて、はくちょう座61番星の年周視差0.314秒角を検出し、地動説決め手と恒星距離決定の足掛りをつくることに成功。1844年シリウス星の波状固有運動を検出して、未知伴星を予知したが、これこそその18年後に観測定された白色矮星(わいせい)第一号であった。

[島村福太郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベッセル」の意味・わかりやすい解説

ベッセル
Bessel, Friedrich Wilhelm

[生]1784.7.22. ミンデン
[没]1846.3.17. ケーニヒスベルク
ドイツの天文学者,数学者。独学で天文学を学び,1804年にハレー彗星の軌道に関する論文を書いて W.オルバースに認められる。ケーニヒスベルク大学天文学教授 (1810) ,ケーニヒスベルク天文台台長。恒星の位置や歳差,章動,光行差などの研究で知られる。天文学上の計算方法に改善を加え,それに基づいて約5万個の恒星の正確な位置を決定した。ベッセル関数を創案,それを用いて三体問題を研究し (17) ,天体力学における摂動理論に寄与した。 40年には天王星のわずかな不規則運動を報告して未知の惑星の存在を予言し,海王星発見に重要な貢献をなした。 31年からの東プロシアにおける子午線測定を指揮,41年に地球の扁平率として1/299を決定した。

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