マレー沖海戦(読み)マレーオキカイセン

デジタル大辞泉 「マレー沖海戦」の意味・読み・例文・類語

マレーおき‐かいせん【マレー沖海戦】

太平洋戦争開戦直後の昭和16年(1941)12月10日に、マレー半島東方沖で、日本海軍航空部隊英国海軍東洋艦隊の間で行われた戦闘。この戦いで英国の新型戦艦2隻が日本軍機の爆撃雷撃を受けて撃沈海戦における航空機優位性が実証された。→マレー作戦

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精選版 日本国語大辞典 「マレー沖海戦」の意味・読み・例文・類語

マレーおき‐かいせん【マレー沖海戦】

  1. 昭和一六年(一九四一太平洋戦争開始直後マレー半島沖で行なわれた日本空軍とイギリス艦隊の戦い。この結果、イギリスの戦艦二隻を撃沈し、日本が勝利をおさめ、インド洋・太平洋の制海権を得た。

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改訂新版 世界大百科事典 「マレー沖海戦」の意味・わかりやすい解説

マレー沖海戦 (マレーおきかいせん)

太平洋戦争初頭の海戦。1941年12月10日午後,イギリス東洋艦隊司令長官フィリップ中将の率いる新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズ,巡洋戦艦レパルスおよび護衛駆逐艦3隻は,日本軍のマレー半島上陸を阻止するため,マレー半島東岸クアンタン沖を行動中,日本海軍基地航空部隊の陸上攻撃機66機による攻撃を受け,両戦艦は沈没した。日本軍は3機を失っただけであった。この海戦は,洋上航行中の戦艦を航空攻撃のみで撃沈し,真珠湾攻撃とともに航空主兵を裏づけた。この海戦の結果,イギリス海軍は制海権を失い,マレー,シンガポール運命は決した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マレー沖海戦」の意味・わかりやすい解説

マレー沖海戦
マレーおきかいせん

1941年 12月 10日,太平洋戦争の緒戦において,日本海軍の中型攻撃機 84機が,イギリス東洋艦隊の新鋭戦艦『プリンス・オブ・ウェールズ』と高速戦艦『レパルス』をマレー沖で撃沈した海戦。開戦と同時にイギリス東洋艦隊は,シンガポールを基地として日本輸送船団攻撃の任にあたっていたが,サイゴン付近から飛立った日本機は,2戦艦を捕捉,おもに魚雷で撃沈した。これにより,日本軍は南シナ海からマラッカ海峡にいたる制海権を得て,マレー作戦遂行に対する海からの脅威を取除いた。また,この成果は,戦艦に対する航空機の優位を決定的なものにした。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「マレー沖海戦」の意味・わかりやすい解説

マレー沖海戦
まれーおきかいせん

太平洋戦争開戦直後の1941年(昭和16)12月10日に、マレー半島クワンタン沖で戦われた日英海戦。日本軍のマレー上陸作戦を阻止するため出撃したイギリス東洋艦隊の戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスの2隻を日本海軍の攻撃機が爆撃と雷撃で撃沈した。この結果、イギリス海軍はアジアでの制海権を失い、拠点シンガポールの運命が決まった。この戦いは戦艦に対する航空機の優位を実証し、戦艦中心主義の終焉を示すものとなった。

[藤原 彰]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「マレー沖海戦」の解説

マレー沖海戦
マレーおきかいせん

太平洋戦争開戦初頭,日本の基地航空部隊がイギリス東洋艦隊主力の2戦艦を撃沈した海空戦。マレー半島への日本軍の上陸を知った東洋艦隊の戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルズは,駆逐艦4隻に護衛されてシンガポールを出撃,日本の船団泊地攻撃を企図。インドシナ南部に展開していた日本海軍の中型陸上攻撃機88機は,1941年(昭和16)12月10日雷撃と爆撃により2戦艦を撃沈。戦艦に対する航空機優位を実証した。

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百科事典マイペディア 「マレー沖海戦」の意味・わかりやすい解説

マレー沖海戦【マレーおきかいせん】

1941年12月10日,日本海軍の航空隊がマレー半島東方海上で,イギリス東洋艦隊の主力戦艦プリンス・オブ・ウェールズおよびレパルスを撃沈した戦い。この戦いは軍艦に対する航空機の優越を実証したもので,日本は南西太平洋の制海権を掌握した。→太平洋戦争

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世界大百科事典(旧版)内のマレー沖海戦の言及

【太平洋戦争】より

… 戦争の経過を軍事史の観点から時期区分すると,大要次のとおりである。(1)1941年12月8日~42年8月(日本軍の戦略的攻勢と連合国軍の戦略的守勢の時期) 日本軍は12月8日の真珠湾攻撃と10日のマレー沖海戦によって米英の戦艦群に大打撃を与え,東南アジアの各地を急襲して太平洋の制海権と制空権を掌握した。そして42年1月2日マニラ(フィリピン進攻作戦),2月15日シンガポール(マレー進攻作戦),3月8日ラングーンを占領し,3月9日ジャワ島のオランダ軍を降伏させるなど,日本軍は開戦後約半年のあいだに東はギルバート諸島とソロモン諸島から西はビルマに至る広大な地域を占領した。…

※「マレー沖海戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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