改訂新版 世界大百科事典 「ラテン語教育」の意味・わかりやすい解説
ラテン語教育 (ラテンごきょういく)
ラテン語はもともと古代ラテン人の一地方言語であったが,ローマ人の政治支配によって広い通用力をもつことになった。しかし,自己の言語についての原理上,および教授法上の考察は,先進のギリシア文化の影響をうけて開始され,その際にはいわゆるアレクサンドリア学派の言語理論がモデルとなった。ラテン語が独自の理論的分析をうけるのは,4,5世紀,つまりいわゆる〈俗ラテン語〉の時代以降のことである。4世紀のドナトゥス,5~6世紀のプリスキアヌスをもって代表者とするが,ことに後者の《文法教程(文法提要)Institutiones grammaticae》全18巻は,文法理論の標準的な教則本として,後世に長く使用された。
ヨーロッパ中世におけるラテン語の地位
ヨーロッパ中世では,ラテン語は唯一の公用普遍語であった。法令,証書,年代記など社会的に重要な文書はもとより,キリスト教会においては,ラテン語訳聖書(ヒエロニムスによる《ウルガタ(ブルガータ)》)や,著作,討論,説教などは,すべてラテン語によっていた。このため,ラテン語の教育は社会・文化の基本をなすことになった。カロリング朝の一般教育政策や,教会付属学校における初・中等教育などが,何にもましてラテン語の読み書きを課したのは当然のことである。その現実の成果は疑わしいものの,すでに日常的には死語となっていたラテン語は,意図的な教育・修得を必要とし,その対象となっていた。
このような一般社会における状況とは別に,知的営為のなかでのラテン語は,いわゆる〈自由七科(しちか)〉の基礎として受け入れられた。つまり,文法,修辞学,弁証法(論理学)という言語に関する基礎三科においてである。まず文法学は,狭義のラテン語学として,語法規則を集成した。初等学校から大学に至るまで,ラテン語語法は古典ラテン語の基準にしたがって教授された。つぎに,ラテン語は弁証法,つまり形式論理学の表現手段とみなされ,時制,法,態,接続詞などの形式的特質が論じられた。つぎに修辞学としては,ラテン語の統辞法(シンタクス)が,論述展開の基礎として援用された。しかし,これら自由学三科に固有に属するもののほかにも,いくつかの言語観,言語使用が,ラテン語の役割を広げた。それは第1には,語源論である。セビリャのイシドルスの《語源録または事物の起源》に典型的にみられるように,個々の語彙は,存在の形而上学的秘密を蔵しており,語の起源を探索し,それを正確に意識することは,とりもなおさず,存在の深奥を解明することであると考えられた。第2には,とりわけ13世紀以降のスコラ学者が,意味論に深く立ち入ったラテン語学を展開した。実在と,表現された言語との間の対応と差異の関係に注目し,表現者の心象の構造にまで及んだのである。このような言語認識論とでもいえる課題に,ラテン語を素材として取り組んだ人びとは,その著作がしばしばDe modo significandi(意味表現の方式について)という表題をとったため,〈モディスタmodista〉と呼ばれる。その理論は,20世紀言語学との関連でもあらためて関心を呼んでいる。第3は,言語の言霊(ことだま)性の意識である。中世人は,発語(発話)された言葉や表記された文字に,単なる音や図形以上の,超越性をみとめ,とりわけラテン語の発語・表記に独特の神秘性を発見しようとした。以上のような〈言語学的〉な諸理論は,極度に思弁的性格をもっているとはいえ,大学などにおけるラテン語教育の広範な展開をうながした。
ルネサンス人文主義とラテン語
ルネサンス人文主義は,中世のラテン語理論・教育の思弁性をしりぞけた。人文主義はさらに,ただの語法技術としてのラテン語をこえて,古典ラテン語そのもののなかにある古典古代の人間性の読解に向かった。したがって,教育においても古典精神への接近が目標とされた。人文主義のこうしたラテン語観は,当時,緊迫していた〈俗語〉(バーナキュラーvernacular。これらが後のロマンス諸語となっていく)との競合にかかわっている。古典精神はあくまでラテン語によって表現,解釈さるべきだとする古典主義言語理論は,台頭する〈俗語〉によって脅かされており,いわばそれに対置されるかたちで存在していたのである。そのため現に,ルネサンス時代のラテン語表現は,中世のそれの水準をはるかに抜いており,高等教育においてもその水準が求められていた。
ラテン語教育の衰退と文化的継承
〈俗語〉にたいするラテン語の地位の問題は,さらに近代にかけて争われる。そして,16~19世紀の間の近代国民語の確立と教育カリキュラムの改変のなかで,ラテン語はかつてのような〈独占的地位〉は失うこととなった。しかしそれでも,たとえば17世紀の教育学者コメニウスの場合のように,依然としてラテン語は初等教育のなかで重要な場を提供されていたし,またよく知られる通り,イギリスの初等学校はグラマー・スクールと呼ばれたが,それも少なくとも当初は,ラテン語初等文法を教授するという意味であった。そこでのラテン語は,まず古典主義的な人間精神への理解の経路であったが,しかしまた同時に,思考力や記憶力の訓練の手段ともみなされており,近代教育理論の体系に十分に適合しうると考えられたのである。また高等教育にあっては,神学,哲学をはじめとする諸学科は,この時代においてもラテン語に強く固執した。文科系諸学の博士学位号をPh.D.(Philosophiae Doctor=哲学博士)とラテン語で呼ぶことにも,その事情が現れている。だが全体としてみれば,国民文化の進展による近代国民語の確立,社会の〈世俗化〉による教会ラテン語の地位低下,技術的専門教育の進出による言語・精神学の狭隘化など,近代ヨーロッパ文化は,ラテン語教育と表現にとって不利な状況となった。現代では,初等教育はもちろん中等教育においてすら,ラテン語必修を解除する国も多くなっている。しかしながら,完全に死語となったラテン語が,いまもなおヨーロッパ諸民族の文化的・歴史的な共通用語として,教育や表現・読解の〈基礎〉をなしているという事実は,看過されるべきではない。
→読み書きそろばん[ヨーロッパ] →ラテン語
執筆者:樺山 紘一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報