ルーボア(読み)るーぼあ(英語表記)François Michel Le Tellier, marquis de Louvois

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ルーボア」の意味・わかりやすい解説

ルーボア
るーぼあ
François Michel Le Tellier, marquis de Louvois
(1639―1691)

フランスの政治家。国務卿(きょう)ル・テリエ長子。1662年、陸軍卿の職を父から継承、軍政一門で掌握し、ルイ14世の大陸制圧政策の推進役として王の信頼をかちえ、1672年国務卿となった。1675年、恒久的な王国軍隊の建設を企画し、従来大貴族や傭兵(ようへい)隊長に帰属していた個々の軍隊に、国王政府の軍隊監察官を介入させ、また平民出身者の高官昇進への途を開き、1688年には徴兵制による軍隊を創設した。それは、村ごとに一定の民兵を徴集し、一定期間訓練を行うという民兵制度であった。そのほか、砲術学校やパリ廃兵院を創設し、軍制を整備した。政敵コルベールに対抗し、1668年に郵政長官、1683年建築・技術・工業長官を兼任して勢力を伸ばし、外政にも手を広げ、併合政策を強行した。性格は強情で冷酷なところがあり、竜騎兵の新教徒改宗強要政策を進め、1685年ナントの王令(勅令)を廃止させ、また侵略したプファルツ地方を破壊、略奪して、プファルツ戦争アウクスブルク同盟戦争)を誘発した。この戦争のさなか、国王の信頼も薄れたとき、1691年7月16日、脳卒中で死去した。

[千葉治男]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ルーボア」の意味・わかりやすい解説

ルーボア
Louvois, François-Michel Le Tellier, Marquis de

[生]1639.1.18. パリ
[没]1691.7.16. ベルサイユ
フランスの政治家。 M.ル・テリエの息子。 1655年父の跡を継いで軍務につき,名将テュレンヌ子爵の死 (1675) 後は名実ともに軍事最高責任者となり,77年陸軍卿。以後,国王任命による士官のポストを設けて指揮系列を厳格に定め,平民も場合によっては最高階級にまで到達できる制度を創設,88年には各聖堂区から兵士を選ぶ「民兵制」を導入するなど兵制改革を推し進め,ヨーロッパ第1の陸軍をつくった。またドゥエ,メス,ストラスブールに砲術学校,パリに廃兵院を創設。 J.コルベールのライバルとして郵政卿などを兼任し,ファルツ戦争 (89~97) を引起した併合政策など対外問題にも関与した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報