改訂新版 世界大百科事典 「ポアトゥー」の意味・わかりやすい解説
ポアトゥー
Poitou
フランス西部の旧州名。現在のビエンヌ県,ドゥー・セーブル県,バンデ県の3県にほぼ相当する。また,現在の行政区分では,バンデ県を除く2県と,シャラント県,シャラント・マリティム県を合わせて,ポアトゥー・シャラント地域région(主都はポアティエ)と呼んでいる。
歴史
パリ盆地からロアール河谷(トゥーレーヌ地方)を経てアキテーヌ地方へ出る交通路にあたり,また東はマシフ・サントラル(中央山地)のリムーザン地方に接していて,古くから重要な地域であった。前56年にはローマ軍によって征服され,以後3世紀以上にわたってローマ化された。4世紀にはキリスト教化され,5世紀には西ゴート族の侵入があったが,507年クロービスによって平定された。732年カール・マルテルがトゥール・ポアティエの戦でアラブ軍を破るとカロリング朝の領土となったが,大西洋に面するために9世紀以降しばしばノルマンの侵入を受けた。12世紀以降はフランスへの帰属と分離を繰り返し,百年戦争では一時イギリスに属したが,ルイ11世のもとで最終的にフランスの一地域となった。16世紀にはカルバンがポアティエにいたために多くのプロテスタントを生み,このため宗教戦争はとくに血なまぐさいものであった。
自然
高ポアトゥーと呼ばれるポアティエ周辺の北部と,南部にあたるシャラントに二分され,シャラントはさらに大西洋岸のオーニス,ジロンド湾に沿うサントンジュ,内陸側のアングーモアの3地域からなる。
高ポアトゥーは,ブルターニュ半島から北西~南東方向に延びるアルモリカン山地の延長部にあたり,オート・ガティネ丘陵(標高300m以下)が中央山地西縁のリムーザン高原へと連なる部分にあたっている。この地形的な高まりは〈ポアトゥーのしきい〉と呼ばれ,北のロアール川水系と,南のセーブル・ニオルテーズ川,シャラント川の水系を分けている。アルモリカン山地の古い結晶質岩が露出するのはオート・ガティネ丘陵の北西部に限られ,〈ポアトゥーのしきい〉とその南北にはジュラ系の石灰岩からなる起伏のゆるやかな台地が広がっている。シャラント地方南部のアングーモアではやや起伏が顕著になるが,海に近いオーニスではずっとなだらかである。ビエンヌ川,シャラント川などはいずれもこれらの石灰岩台地を刻んで流れるが,谷底平野はシャラント川下流部に限られている。シャラント川とセーブル・ニオルテーズ河口周辺には低湿地が広がり,後者は〈緑のベニス〉とも呼ばれる。干拓され耕地となっている所が多い。この二つの河口近くには,アルモリカン山地の方向に並ぶ二つの島(レ島とオレロン島)がある。
大西洋に面するために典型的な西岸海洋性気候を示し,温暖で年降水量は600~800mm程度であり,雨は秋から冬にかけてやや増加するが,一年にわたってほぼ同じ量の降水がある。日照時間が多いためにブドウの栽培に適しており,海岸の干拓地とシャラント川中流地域がその中心である。とくにシャラント川に沿うコニャック地方は,白ワインを蒸留したコニャックの生産で知られ,その85%は輸出されて,1980年には3億フランの売上げを記録した。
オート・ガティネ丘陵および中央山地との境界部では,ブルターニュと同様のボカージュ(畦畔林)景観が広がり,エニシダに囲まれた草地で牧牛が行われる。〈ポアトゥーのしきい〉周辺では,生垣のまばらになった〈半ボカージュ〉がみられ,ポアティエ以北とニオール以南の石灰岩台地では,典型的なオープン・フィールド(開放耕地)となって,小麦,大麦,トウモロコシの栽培が行われる。
産業
人口の半分以上は田園にとどまっており,ポアティエ,アングレーム,ラ・ロシェルの三大都市でさえ人口は10万に達しない。人口の増加率もフランス全体の平均を下回っており,とくに南部のシャラント地方では人口の流出が目だっている。若者の人口流出が多いのも古くからの傾向である。これは工業化・都市化の遅れと密接な関連をもっている。鉱業資源,エネルギー資源に乏しいことと,パリから遠い地理的条件のために,ポアトゥー・シャラント地方はブルターニュ半島と並んで工業化の最も後れた地域となっており,ロアール河谷地域が近年大きく発展したのと著しい対照をみせている。若者が減少しているために農業人口も減少しており,1968年には28%だったものが80年には16.3%になった。こうした停滞ないし衰退傾向のなかで,わずかに活気を呈しているのは大西洋岸での漁業であり,とくに近年ではカキ,ムール貝の養殖業が発展を示している。マレンヌMarennesはその中心である。ラ・ロシェルは漁業の中心地であり,また1973年以降はヨット・レースの主催地となって,夏の観光地としても発展している。
執筆者:小野 有五
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報