パウロが第3伝道旅行の終り近く,コリント(コリントス)から,まもなく訪ねる予定の未知のローマ教会にあてて,いわば神学的自己紹介として書いた手紙。それだけにそれは比較的詳細かつ体系的に,彼の信仰理解の核心を提示している。全体は大別して3部から成る。まず第1部(8章まで)は福音の特質を説く。人が救われるのは律法の命じるわざを行うことによってではなく,キリストを信じる信仰によるという,いわゆる〈信仰義認〉の教説がその中心である。これはこの手紙以前に,すでに《ガラテヤ人への手紙》で展開された事柄であった。このほかにもこの手紙には以前の手紙に書いたことの再録が多く,それらの集大成の観を呈している。第2部(9~11章)はイスラエル問題を論じ,神はイスラエルの反逆にもかかわらず,自分がイスラエルに与えた約束に誠実にとどまると論じる。これは救済に際しての神の主権の絶対性の強調であって,信仰義認の主張と重なり合う。第3部(12~15章)は具体的勧告の形でキリスト者の倫理を説く。なお16章は元来別の手紙であったとする説が有力である。この手紙およびそれの提示する信仰義認の教説は,とくにアウグスティヌス以後,キリスト教史の中で繰り返し重要な役割を演じた。たとえば,それは宗教改革者たちの活動の源泉であったし,K.バルトの弁証法神学も,その《ローマ書》(1919)から出発した。
執筆者:佐竹 明
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…この教会像はパウロがキリスト教へと回心するきっかけになった信仰体験にもとづくもので,彼はまだキリストの教会を迫害していたとき,教会に対する迫害はそのままイエス・キリスト自身に対するものであることを啓示された(《使徒行伝》9:5)。パウロはたんなる比喩としてではなく,文字どおりの現実――信仰において経験される現実――として,信者たちが〈キリストの体であり,ひとりひとりその部分である〉(《ローマ人への手紙》12:5,《コリント人への第1の手紙》12:27)と言明する。パウロはたんに教会を人体にたとえて,それを構成する諸部分や機能の間の調和,連帯の必要性を説いているのではない。…
…〈信仰義認論〉または〈福音主義〉と呼ばれるものがそれであって,〈ひとの救いは,行いによるものではなく,十字架のキリストにおける罪の贖(あがない)を信ずることのみによる〉という確信を根底としている。そのさい,ルターの個人的宗教体験に客観的な裏づけを与えたものは,とりわけ旧約聖書の《詩篇》と新約聖書のパウロ書簡(《ローマ人への手紙》《ガラテヤ人への手紙》)であった。〈九十五ヵ条〉で表明された彼の疑念と批判は,教皇が,贖宥状(免罪符)の購入のごとき外的な〈行い〉(功績)に免じて,信徒の罪そのものを赦す特別の力をそなえていると思うのは誤りであり,真の内的な悔い改めと,唯一の救い主キリストの御業(みわざ)に示される神の恩寵への,全面的な信仰によってしか魂は救われない,という根本的確信の帰結にほかならなかった。…
…この書は罪を神の前での絶望,反抗と呼び,神と人間との根源的関係の齟齬(そご)と規定したが,この規定はS.フロイトやユングにおいても顧みられている。 聖書では,パウロが《ローマ人への手紙》5章にいうように,律法以前の罪,律法の下での罪,恩恵の下での罪が区別される。これは先に述べた罪の身体的,行為的,精神的の3段階に応じるといえる。…
…ギリシア語ではパウロスPaulos。
[資料]
新約聖書中に彼の書いたとされる手紙が13収められているが,そのうち確実に彼のものと思われるものは,《ローマ人への手紙》,《コリント人への手紙》(第1,第2),《ガラテヤ人への手紙》,《ピリピ人への手紙》,《テサロニケ人への手紙》(第1),および《ピレモンへの手紙》の合計7である。《使徒行伝》の後半はパウロを中心にして書かれているが,必ずしも客観性を志した叙述ではない。…
※「ローマ人への手紙」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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