ワシントン・コンセンサス(読み)わしんとんこんせんさす(英語表記)Washington Consensus

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ワシントン・コンセンサス
わしんとんこんせんさす
Washington Consensus

本来はピーターソン国際経済研究所主任研究員のジョン・ウィリアムソン(John Williamson)が1989年に用いた用語。彼がラテン・アメリカをはじめ危機にみまわれた開発途上諸国に必要な経済安定・改革の「政策パッケージ」をめぐってワシントン本拠を置く国際通貨基金IMF)、国際復興開発銀行(世界銀行)およびアメリカ政府(連邦準備制度、連邦予算局)等の機関の間にある合意コンセンサス)が存在するとして、およそ10の政策処方箋(せいさくしょほうせん)をあげたことに由来する。その骨格は(1)財政規律の回復と緊縮政策、(2)税制改革と補助金削減、(3)価格・貿易金利の自由化、(4)規制緩和と民営化の推進などであった。ワシントン・コンセンサスがとくに注目を浴びるようになったのは、ソ連・東欧諸国の市場経済移行にあたり「スタンダード・パッケージ」として採用されたからである。制度的前提も経路依存性も大きく異なる旧社会主義経済に適用された結果は、あまり芳しいものではなかった。予想を大きく上回る生産低下とインフレーションが同時並行的に進行する「体制転換大不況」をもたらし、貧富の格差拡大など社会的コストもまた予想を大きく上回った。多くの東欧諸国が体制転換前の経済水準を回復するのは1990年代も後半に入ってからで、ロシアの場合には2000年代初めまで持ち越された。権威主義的なプーチン政権の成立は、この体制転換大不況とそれに伴う社会的混乱を背景としている。

 このあたりからワシントン・コンセンサスは「安定化、民営化、自由化」を三本柱とする新経済自由主義、市場原理主義の政策イデオロギーの象徴として厳しい批判の対象とされるようになった。批判の先頭に立ったなかには、著名な国際投資家ジョージ・ソロスGeorge Soros(1930― )や、元世界銀行チーフ・エコノミスト、後のノーベル経済学賞受賞者ジョセフ・スティグリッツの名前もある。2009年春、ロンドンでのG20金融サミット(20か国・地域首脳会議)の直後、イギリスのゴードン・ブラウン首相が「ワシントン・コンセンサスは終わった」と言明したことは、この「合意」の受け取り方の急速な変化を如実に表すものである。

[佐藤経明]

『大野健一著『市場移行戦略――新経済体制の創造と日本の知的支援』(1996・有斐閣)』『グジェゴシュ・W・コウォトコ著、家本博一他訳『「ショック」から「真の療法」へ――ポスト社会主義諸国の体制移行からEU加盟へ』(2005・三恵社)』『大田英明著『IMF(国際通貨基金)――使命と誤算』(中公新書)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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