ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
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出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
中国、新疆(しんきょう/シンチヤン)ウイグル自治区のトゥルファン盆地にある遺跡。高昌(こうしょう)故城の北方約2キロメートルにある。ここは高昌国の貴族たちを埋葬した古墳群で、東西約2.5キロメートル、南北1.2キロメートルの地域に密集している。年代的には3世紀から9世紀に及ぶ。この地方は極度に乾燥しているため、有機物もほとんどそのまま残り、当時の文化、生活を示す貴重な遺品が出土した。かつてイギリスのスタインや日本の大谷探検隊がここを調査し、多くの出土品を持ち帰った。1949年の解放後、新疆社会科学院の本格的な調査が始まり、すでにその大部分は発掘されたといわれる。現在その出土品は、ウルムチ、トゥルファンのほか中国各地の博物館に展示されている。おもな出土品としては、まず大量の漢文文書がある。その内容は『尚書』『毛詩』『論語』『三国志』『文選(もんぜん)』などの古典の残簡をはじめ、高昌国の政治、経済、文化を示すおびただしい古文書である。そのほか死者の官職、埋葬年月日を記した墓塼(ぼせん)も多数出土し、高昌国の紀年や官制が明らかにされつつある。また絹織物もさまざまな断片が出土している。そのほか副葬品として多くの木彫や塑像が出土した。すなわちウマ、ラクダ、怪獣や騎馬人物、百戯、音楽舞踊などの土偶、農作物や食品、さまざまな薬品などが出土し、これらは多種多様の古文書とともに、高昌国研究の貴重な資料となっている。
[長澤和俊]
…現況の各城壁や建築地が上の歴史に照らし,どの時期のものか比定は困難であるが,内城中央で北涼の沮渠(そきよ)安周造寺功徳碑やマニ教壁画,ウイグル文仏典が出土している。都城外側にある墓地は,北東方のカラホージョ村以東,北西のアスターナ村以北,南東方の3区に墳丘を伴って営造され,数基ないし数十基を垣で囲む同姓の墓園から成り,その一部は1915年にスタインによって発掘され,1959‐75年には晋代から唐代に至る400基が発掘された。墓誌,紙本・絹本の絵画,俑(よう),錦綾,鞋靴(あいか),衣物疏,地券,功徳録,契約文書,紙棺,枕衾(ちんきん),冠帯などが出土し,またビザンティン帝国やササン朝ペルシアの金・銀貨が,遺体の口に含ませたり,両眼を覆う含銭・覆眼といった独特の風習に使われて出土した。…
… トゥルファンの周辺には,歴史的な各時代の都城址や,古墓群が散在し,この地がシルクロード上の要地であったことから,東洋史研究の一宝庫と目されている。都城址としては,トゥルファン県の西およそ10kmの地にある交河古城址と,南東およそ45kmの火焰山の南麓にある高昌古城が双璧であり,石窟としては県城の北東45kmの火焰山北麓に沿ったムルトゥク峡谷にあるベゼクリク石窟と,東40kmの地にあるセンギム・アギヌ石窟など,古墓群としては高昌古城の北1kmの地にあるアスターナとカラホージョ,それに交河古城周辺の古墓群がある。これらのうち,ヤルホトとも呼ばれる交河古城は,その名のごとく,城の東西を二つの河川によって取り巻くように挟まれた台地の上にある山城で,天然の要塞になっているために城壁のないのが珍しい。…
…これとは別に十二支の動物を人格化した十二生肖(せいしよう)もこの時代に加わる俑である(十二支像)。新疆ウイグル自治区トゥルファン(吐魯番),アスターナの唐墓から出土する彩色の泥俑は,唐制に基づくものであるが,手づくねの造形と素朴な彩色はユーモラスな感をかもしだす。隋・唐以降もなお俑はつくられつづけていくが,唐の陶俑を凌駕するものは現れなかった。…
※「アスターナ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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