アラブ首長国連邦(読み)アラブシュチョウコクレンポウ(英語表記)United Arab Emirates

デジタル大辞泉 「アラブ首長国連邦」の意味・読み・例文・類語

アラブしゅちょうこく‐れんぽう〔‐シユチヤウコクレンパウ〕【アラブ首長国連邦】

United Arab Emiratesアラビア半島東部の七つの首長国からなる連邦国家。首都アブダビ。もと英国の保護下にあり、トルーシャルオマーンとよばれた。1971年、アブダビドバイシャルジャアジュマンウムアルカイワインフジャイラの6国が連邦を結成して独立、翌1972年、ラスアルハイマが加わる。石油の産出が多い。人口928万(2020)。アラビア語でアルイマーラート。UAE

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精選版 日本国語大辞典 「アラブ首長国連邦」の意味・読み・例文・類語

アラブしゅちょうこく‐れんぽうアラブシュチャウコクレンパウ【アラブ首長国連邦】

  1. ( [英語] United Arab Emirates の訳語 ) アラビア半島東部、ペルシア湾の出口に位置する七つの首長国からなる連邦国家。一九七一年、イギリス保護下から独立した、アブダビ、ドバイ、アジュマーン、シャルジャ、ウンム‐アル‐カイワイン、フジャイラの六首長国が連邦を結成。七二年、ラス‐アル‐ハイマも連邦に加入。石油の産出が多い。首都、アブダビ。

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改訂新版 世界大百科事典 「アラブ首長国連邦」の意味・わかりやすい解説

アラブ首長国連邦 (アラブしゅちょうこくれんぽう)
United Arab Emirates

基本情報
正式名称アラブ首長国連邦Dawla al-Imārātal-`Arabīya al-Muttaḥida, United Arab Emirates 
面積=8万3600km2 
人口(2011)=789万人 
首都=アブ・ダビーAbū Zabī(日本との時差=-5時間) 
主要言語=アラビア語 
通貨ディルハムDirham

ペルシア湾の南岸,カタル,オマーン,サウジアラビアにはさまれた連邦制国家。UAE,ア首連と略称される。アブ・ダビードバイシャルジャラス・アルハイマアジュマーンフジャイラウンム・アルカイワインの7首長国(アラビア語でimāra,英語でemirate)により構成される。このうち,首都のあるアブ・ダビーが国土の80%を占める。

東西にのびる海岸線は長さ約700km,南北の幅約100~300km,領内を北回帰線が通過している。海岸部では,夏は極度に高温多湿となり最高気温は50℃に達するが,冬は最高30℃で夜間は10℃以下になることもある。降水量は,平地部では年間30mmを割るのが普通で砂漠を形成するが,標高1000mを超すところもある東部山岳地帯では150mm,ときとして200mmになり,農業地帯といえるところも若干ある。しかし大半が植生の少ない砂質土のため,雨が降ると鉄砲水となって洪水をおこすことがある。北西の風に伴ってときとして砂嵐がくる。海岸は極端な遠浅で暗礁や島が点在する。夏期の水温は32℃になり蒸発も多量であるため,塩分濃度は世界最高の約4万ppmをかぞえる。魚類は比較的豊富。漁業や真珠採取のほかに,ペルシア湾の出口でホルムズ海峡をへてイランが目と鼻の先にあるという立地条件から,古来国際商業でも栄えた。東方からダウ船で運ばれてくる荷物がここでおろされて西方へ再輸出される。したがって古くからイラン人,パキスタン人,インド人の居住者があり,服装や住居にもその影響のみられるところがある。奴隷貿易時代にアフリカから連れてこられた黒人の子孫もいる。

 17世紀にはポルトガルに代わってイギリスが進出,18世紀中ごろには絶対的な優勢を確立する。こうしたイギリスの支配に抵抗して,地元住民たちは外国船舶への妨害に出たが,イギリスはこれを海賊行為とみなし,港湾を中心に武力で征圧した。この地が海賊海岸と呼ばれたのはこのためである。その後イギリスは各首長国と休戦協定を締結,1853年には各協定を一本化し,恒久休戦条約を結んだ。以後この地域は休戦海岸と呼ばれるようになる。イギリスは1892年から各首長国と外交・行政権に関する排地条約を結び,イギリスの保護領下においた。

 1968年,イギリスが湾岸からの撤退を決めると,7首長国はバーレーン,カタルとともに連邦結成協定に署名した。しかし,71年バーレーン,カタルが単独で独立したため,ラス・アルハイマを除く6首長国がアブ・ダビー首長ザーイドを大統領にアラブ首長国連邦として独立した。翌72年にはラス・アルハイマも連邦に加盟,今日のアラブ首長国連邦が成立した。

 連邦の最高機関は各国首長で構成される最高評議会であり,そのもとに連邦政府とその諮問機関,各国代表40人からなる連邦国民評議会が置かれる。大統領は最高評議会で選ばれ,同評議会議長を兼ねる。連邦最高評議会の決定では5人の首長の同意が必要だが,アブ・ダビーとドバイは拒否権をもつ。連邦内では行政の一元化も進み,1976年には国防軍の統合も決定されたが,統一促進にはなお慎重な勢力もある。

1人当りGDP(国内総生産)が1万6500ドル(1995)という連邦の経済の中心は石油である。石油の生産が始まったのはアブ・ダビーで1962年,ドバイで69年,シャルジャで74年で,全生産量の80%をアブ・ダビーが占める。96年の生産量は220万バレル/日であり,その60%以上が日本に輸出されている。石油収入による工業化の一環として,ルワイス(アブ・ダビー)とジュベル・アリ(ドバイ)に大規模な工業団地がつくられている。とくにジュベル・アリの自由貿易地域(フリーゾーン)は100%外国資本を許し,スポンサーもいらず,関税,所得税を免除するなどの措置がとられており,数多くの外国企業が進出している。国内でのおもな工業は石油精製,ガス液化,化学肥料セメント,鉄加工,海水淡水化,食品,繊維等である。貿易では輸出入とも日本と欧米の比重が大きい。商業活動も活発で輸入の15%は近隣へ再輸出されている。通貨はディルハム(DH)である。

 政府は農林水産業にも力をいれているが,GDPの3%を超えることはなく,農産物消費の多くは輸入に依存している。近年の農業開発がかえって地下水位を下げて塩害をもたらすという矛盾もある。

 近年の石油産業の発展とともに人口は増え始め,1968年にはわずか18万人であったものが96年の推計では250万人に増加した。これは主として,石油収入による開発投資がうみだした急激な雇用増をまかなうために移民労働者が流入したためである。
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百科事典マイペディア 「アラブ首長国連邦」の意味・わかりやすい解説

アラブ首長国連邦【アラブしゅちょうこくれんぽう】

◎正式名称−アラブ首長国連邦Dawla al-Imarat al-Arabiya al-Muttahida/United Arab Emirates。◎面積−8万3600km2。◎人口−476万人(2008)。◎首都−アブダビAbu Zabi(197万人,2010)。◎住民−アラブ,イラン人,インド人など。◎宗教−ほとんどがイスラム(主としてスンナ派)。◎言語−アラビア語(公用語)。◎通貨−ディルハムDirham。◎元首−大統領,ハリファKhalifa bin Zaid al Nahyan(2004年11月就任,2009年11月再任。アブダビ首長)。◎首相−ムハンマド・ビン・ラシド・マクトムMuhammad bin Rashid al Maktoum(2006年1月就任。ドバイ首長。副大統領を兼務)。◎憲法−1971年12月暫定憲法制定。1996年6月暫定憲法改定。◎国会−最高議決機関として,最高首長会議(7首長で構成,少なくとも1年に2回開催)がある。1院制の連邦評議会(定員40,各首長の任命,任期4年)。◎GDP−1633億ドル(2006)。◎1人当りGNP−1万7870ドル(1998)。◎農林・漁業就業者比率−4.2%(2003)。◎平均寿命−男76.1歳,女78.2歳(2013)。◎乳児死亡率−6‰(2010)。◎識字率−90.0%(2005)。    *    *アラビア湾岸にあるかつてのトルーシャル・オマーンの7首長国からなる。略称UAE。1968年1月英国が財政緊縮政策から,1971年をもってスエズ以東の軍事基地を撤収する方針を発表,英国と保護関係を結んでいた6首長国が,体制維持と防衛のため,1971年12月2日連邦を結成。翌年1月さらに1国が加盟。砂漠地域が大部分を占め,農業もほとんど行われないが,石油資源をはじめ天然ガスなどに恵まれその開発が進められている。アブダビを中心とする石油経済に対して,近年は豊富な石油資金を背景に,ドバイを中心に,中近東の金融・物流拠点としての発展も著しく,産業の多様化も進んでいる。経済発展と生活の向上で国民は,政治活動への意欲が少なく,また,首長が国民の声を直接聴くマジュリスという伝統的な統治制度も有効に作用しているといわれ,2011年のアラブ世界を揺るがせた民主化運動(アラブの春)にも影響を受けなかった。2011年9月の連邦国民評議会が行われ,半数の20名(うち女性が1名),が選挙人の投票で選出,11月に残りの20名(うち女性6名)が各首長によって任命された。2014年9月ISの脅威が強まるなか,アラブ首長国連邦も有志連合に参加,IS支配地域への空爆を開始した。また2015年3月,イエメンの政情不安で勢力を広げるイスラム教シーア派の武装組織〈フーシ派〉に対してサウジアラビア主導の軍事作戦にスンニ派を中心とする10ヵ国の一員として空爆を開始,サウジアラビアに次ぐ30機を参加させている。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「アラブ首長国連邦」の解説

アラブ首長国連邦(アラブしゅちょうこくれんぽう)
Dawla al-Imārāt al-‘Arabīya al-Muttaḥida

ペルシア湾南部の連邦国家。アブダビ,ドバイ,シャルジャ,ラアスルハイマ,アジュマーン,ウンムルグワイン,フジェイラの7首長国からなる。19世紀にイギリスが進出,当初海賊海岸などと呼ばれたが,のちその保護下に入り,1971年独立。真珠の採取が経済の中心だったが,60年代から世界有数の産油国となる。

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