基本情報
正式名称=アラブ首長国連邦Dawla al-Imārātal-`Arabīya al-Muttaḥida, United Arab Emirates
面積=8万3600km2
人口(2011)=789万人
首都=アブ・ダビーAbū Zabī(日本との時差=-5時間)
主要言語=アラビア語
通貨=ディルハムDirham
ペルシア湾の南岸,カタル,オマーン,サウジアラビアにはさまれた連邦制国家。UAE,ア首連と略称される。アブ・ダビー,ドバイ,シャルジャ,ラス・アルハイマ,アジュマーン,フジャイラ,ウンム・アルカイワインの7首長国(アラビア語でimāra,英語でemirate)により構成される。このうち,首都のあるアブ・ダビーが国土の80%を占める。
東西にのびる海岸線は長さ約700km,南北の幅約100~300km,領内を北回帰線が通過している。海岸部では,夏は極度に高温多湿となり最高気温は50℃に達するが,冬は最高30℃で夜間は10℃以下になることもある。降水量は,平地部では年間30mmを割るのが普通で砂漠を形成するが,標高1000mを超すところもある東部山岳地帯では150mm,ときとして200mmになり,農業地帯といえるところも若干ある。しかし大半が植生の少ない砂質土のため,雨が降ると鉄砲水となって洪水をおこすことがある。北西の風に伴ってときとして砂嵐がくる。海岸は極端な遠浅で暗礁や島が点在する。夏期の水温は32℃になり蒸発も多量であるため,塩分濃度は世界最高の約4万ppmをかぞえる。魚類は比較的豊富。漁業や真珠採取のほかに,ペルシア湾の出口でホルムズ海峡をへてイランが目と鼻の先にあるという立地条件から,古来国際商業でも栄えた。東方からダウ船で運ばれてくる荷物がここでおろされて西方へ再輸出される。したがって古くからイラン人,パキスタン人,インド人の居住者があり,服装や住居にもその影響のみられるところがある。奴隷貿易時代にアフリカから連れてこられた黒人の子孫もいる。
17世紀にはポルトガルに代わってイギリスが進出,18世紀中ごろには絶対的な優勢を確立する。こうしたイギリスの支配に抵抗して,地元住民たちは外国船舶への妨害に出たが,イギリスはこれを海賊行為とみなし,港湾を中心に武力で征圧した。この地が海賊海岸と呼ばれたのはこのためである。その後イギリスは各首長国と休戦協定を締結,1853年には各協定を一本化し,恒久休戦条約を結んだ。以後この地域は休戦海岸と呼ばれるようになる。イギリスは1892年から各首長国と外交・行政権に関する排地条約を結び,イギリスの保護領下においた。
1968年,イギリスが湾岸からの撤退を決めると,7首長国はバーレーン,カタルとともに連邦結成協定に署名した。しかし,71年バーレーン,カタルが単独で独立したため,ラス・アルハイマを除く6首長国がアブ・ダビー首長ザーイドを大統領にアラブ首長国連邦として独立した。翌72年にはラス・アルハイマも連邦に加盟,今日のアラブ首長国連邦が成立した。
連邦の最高機関は各国首長で構成される最高評議会であり,そのもとに連邦政府とその諮問機関,各国代表40人からなる連邦国民評議会が置かれる。大統領は最高評議会で選ばれ,同評議会議長を兼ねる。連邦最高評議会の決定では5人の首長の同意が必要だが,アブ・ダビーとドバイは拒否権をもつ。連邦内では行政の一元化も進み,1976年には国防軍の統合も決定されたが,統一促進にはなお慎重な勢力もある。
1人当りGDP(国内総生産)が1万6500ドル(1995)という連邦の経済の中心は石油である。石油の生産が始まったのはアブ・ダビーで1962年,ドバイで69年,シャルジャで74年で,全生産量の80%をアブ・ダビーが占める。96年の生産量は220万バレル/日であり,その60%以上が日本に輸出されている。石油収入による工業化の一環として,ルワイス(アブ・ダビー)とジュベル・アリ(ドバイ)に大規模な工業団地がつくられている。とくにジュベル・アリの自由貿易地域(フリーゾーン)は100%外国資本を許し,スポンサーもいらず,関税,所得税を免除するなどの措置がとられており,数多くの外国企業が進出している。国内でのおもな工業は石油精製,ガス液化,化学肥料,セメント,鉄加工,海水淡水化,食品,繊維等である。貿易では輸出入とも日本と欧米の比重が大きい。商業活動も活発で輸入の15%は近隣へ再輸出されている。通貨はディルハム(DH)である。
政府は農林水産業にも力をいれているが,GDPの3%を超えることはなく,農産物消費の多くは輸入に依存している。近年の農業開発がかえって地下水位を下げて塩害をもたらすという矛盾もある。
近年の石油産業の発展とともに人口は増え始め,1968年にはわずか18万人であったものが96年の推計では250万人に増加した。これは主として,石油収入による開発投資がうみだした急激な雇用増をまかなうために移民労働者が流入したためである。
執筆者:冨岡 倍雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
ペルシア湾南部の連邦国家。アブダビ,ドバイ,シャルジャ,ラアスルハイマ,アジュマーン,ウンムルグワイン,フジェイラの7首長国からなる。19世紀にイギリスが進出,当初海賊海岸などと呼ばれたが,のちその保護下に入り,1971年独立。真珠の採取が経済の中心だったが,60年代から世界有数の産油国となる。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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