コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

アラブ首長国連邦 アラブしゅちょうこくれんぽうUnited Arab Emirates

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アラブ首長国連邦
アラブしゅちょうこくれんぽう
United Arab Emirates

正式名称 アラブ首長国連邦 al-Imārātal-`Arabīyahal-Muttaḥidah。
面積 8万3600km2
人口 789万1000(2011推計)。
首都 アブダビ市。

東部ペルシア湾に面する七つの首長国,アブダビドバイシャルジャアジュマーンウムアルカイワインラスアルハイマフジャイラにより構成される連邦。 1971年 12月2日独立し,直後に国際連合加盟を認められた。初代大統領はザイード・ビン・スルタン・アル・ナハイヤン。面積は北海道よりやや大きい程度の小国であるが,1958年アブダビ首長国に石油が発見されて以来,ドバイ,シャルジャなどの首長国にも次々に豊かな油田が発見され,アメリカ合衆国,イギリス,日本の石油資本が開発に乗り出し,多大な国富を得ているが,石油産出首長国とその他の首長国との経済格差が大きい。本来の住民はアラブ人で,イスラム教を信仰しているが,インド人,パキスタン人など外国人労働者が多い。この地域は,17世紀から 18世紀にかけて,ラスアルハイマやシャルジャなどを基地とした海賊団が活躍し,これに悩んだイギリスが 19世紀中頃,湾岸の首長国と海上の休戦条約を結んだことから,条約を意味するトルーシアルという名称が生じ,イギリスの保護のもとにトルーシアルステーツを結成したものであった。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

デジタル大辞泉の解説

アラブしゅちょうこく‐れんぽう〔‐シユチヤウコクレンパウ〕【アラブ首長国連邦】

United Arab Emirates》アラビア半島東部の七つの首長国からなる連邦国家。首都アブダビ。もと英国の保護下にあり、トルーシャルオマーンとよばれた。1971年、アブダビドバイシャルジャアジュマンウムアルカイワインフジャイラの6国が連邦を結成して独立、翌1972年、ラスアルハイマが加わる。石油の産出が多い。人口498万(2010)。UAE。アルイマーラト。

出典|小学館デジタル大辞泉について | 情報 凡例

百科事典マイペディアの解説

アラブ首長国連邦【アラブしゅちょうこくれんぽう】

◎正式名称−アラブ首長国連邦Dawla al-Imarat al-Arabiya al-Muttahida/United Arab Emirates。◎面積−8万3600km2

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

アラブしゅちょうこくれんぽう【アラブ首長国連邦 United Arab Emirates】

正式名称=アラブ首長国連邦Dawla al‐Imārāt al‐‘Arabīya al-Muttaḥida∥United Arab Emirates面積=8万3600km2人口(1996)=250万人首都=アブ・ダビーAbūZabī(日本との時差=-5時間)主要言語=アラビア語通貨=ディルハムDirhamペルシア湾の南岸,カタル,オマーン,サウジアラビアにはさまれた連邦制国家。UAE,ア首連と略称される。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

大辞林 第三版の解説

アラブしゅちょうこくれんぽう【アラブ首長国連邦】

アラビア半島の北東部、ペルシャ湾に面する連邦国家。旧イギリス保護領のアブダビ・ドバイ・シャルジャなど七首長国で結成。1971年独立。全土が砂漠で石油資源が豊富。住民はアラブ人。首都アブダビ。面積8万4千平方キロメートル。人口450万( 2005)。略称、 UAE 。旧称、トルーシャルオーマン。

出典|三省堂大辞林 第三版について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

アラブ首長国連邦
あらぶしゅちょうこくれんぽう
United Arab Emirates英語
Al-Imrt al-Arabyah al-Muttahidahアラビア語

アラビア半島東部、ペルシア湾(アラビア湾)南岸に位置する7首長国より構成される連邦国家。略号UAE。西からアブ・ダビ、ドバイ、シャルジャー、アジマン、ウム・アル・カイワイン、ラス・アル・ハイマ、フジャイラーの各首長国が並ぶ。かつてはトルーシャル諸国とか、トルーシャル・オマーンとよばれ、イギリスの保護下にあったが、1971年に独立した。領土は、北西部のカタールから北東部のオマーンに続く650キロメートルに及ぶ海岸線と、西と南のサウジアラビアに延びる砂漠、東のオマーンに囲まれた8万3600平方キロメートルの地域である。人口448万8000(2007推計)。首都はアブ・ダビ市。[原 隆一・吉田雄介]

自然

国土の大部分は砂漠地帯であり、ペルシア湾沿岸部は平坦(へいたん)で塩分が多く、サウジアラビア国境のアル・アイン(泉の意)地方は豊かなオアシス地帯である。北東部のムサンドゥム半島東部には、南北80キロメートルにわたるアハダル山脈が走り、最高峰は3000メートル近い。ペルシア湾沿岸の海岸線は複雑に入り組み、海は遠浅で沖には多くの島やサンゴ礁が点在する。ドバイ港は自然の入り江を利用した数少ない良港である。
 人口の集中するペルシア湾沿岸地域(アブ・ダビ)の気候は、冬季の数週間(1月平均気温18.8℃)を除き、高温多湿で、夏には45℃を超えることもある(8月平均34℃)。年間降水量は60~100ミリメートルで、冬に集中する。また冬と初夏にはショマールとよばれる北西季節風が砂嵐(すなあらし)を運ぶ。内陸部はさらに降水量が少なく、砂漠気候となっている。[原 隆一・吉田雄介]

歴史

16世紀にはポルトガルがペルシア湾岸地域で商業を独占していたが、17世紀にはオランダが、18世紀後半にはイギリスがインド洋の制海権を握るようになった。17~19世紀にかけて、伝統的な海上での生業を困難な状況に追いやられたペルシア湾岸地域の住民は海賊となっていった。とくに19世紀初頭ワハビ教団(サウジアラビア建国の母胎)の支配下に入ると、西欧勢力に対抗する海賊行為がピークに達した。このためイギリスは海賊の本拠地ラス・アル・ハイマ港や海賊海岸とよばれた沿岸各港を征服し、1820年に海賊行為と奴隷貿易の禁止協定を結び、また1835年には年間6か月間の真珠採取中は戦争を停止する海上休戦協定を各首長と結んだ。このことから、この地域をトルーシャル・コースト(休戦海岸)とよぶようになった。19世紀末になると西欧列強がこの地域に利権を求め始めたため、イギリスは、諸外国との自由な交渉を禁止する独占協定を各首長と結び、保護下に置いた。
 第二次世界大戦後、インドやパキスタンが独立し、イギリスが植民地から撤退し始め、またこの地に石油が発見されると、ペルシア湾岸地域は政治の激動時代に入った。イギリスはドバイ駐在の政治顧問を議長とし、年2回9か国首長が集まる休戦首長評議会を組織し、将来の連邦化をもくろんだ。しかし1962年アブ・ダビで、その後ドバイで石油生産が軌道に乗り始めると、各首長間の利害関係が表面化し、連邦化への動きは難航した。結局カタールとバーレーンの産油国は分離独立し、1971年12月、イギリス軍の撤退後、ラス・アル・ハイマ(のち1972年2月に連邦加盟)を除く6首長国によってアラブ首長国連邦が結成された。[原 隆一・吉田雄介]

政治

独立時に暫定憲法が制定された。最高決議機関は7首長国代表者からなる連邦最高評議会で、このなかから初代大統領にアブ・ダビのザイード首長、副大統領にドバイのラシード首長を選出した。大統領は首相と内閣を指名し、また議会は、各首長に任命された20名と選挙で選出された20名の計40名の議員による連邦国民議会で、任期は4年。40名の議員のうち9名を女性が占めている(2009)。立法権は限定的である。連邦発足後、石油に絡む領土紛争が続発した。砂漠地帯ではブライミー・オアシスとサウジアラビアとの間で、またペルシア湾ではアブ・ムーサ島および大・小トゥム島とイランとの間で、それぞれ係争関係が生じた。
 1973年の第四次中東戦争とそれによる石油危機を契機に、まとまりが悪かったアラブ首長国連邦は結束し、強力にアラブ陣営を支持した。1974年以降、莫大(ばくだい)なオイル・ダラーが流れ込み、その経済力と政治的団結の雰囲気のなかで、大統領のザイードは次々と行政改革に取り組み、連邦体制強化を打ち出していった。しかし、その発言力の増大を警戒し、各首長国の独立性を尊重すべきであるとするドバイの副大統領ラシードとの間に主導権争いが表面化した。とくに1979年2月にペルシア湾の対岸でイラン革命が起こると、湾岸の安全保障体制再編化を主張するザイードと、国内にシーア派が多いこともあって急遽(きゅうきょ)イランのホメイニ政権に接近する現実派のラシードとの対立は激化し、連邦の分裂騒ぎにまで発展した。しかしこの危機はアラブ諸国の調停で、副大統領のラシードが首相を兼任し、新内閣を組織することでなんとか避けることができた。また、いままで連邦予算の90%以上を負担してきたアブ・ダビにかわり、各産油首長国はそれぞれ石油収入の50%を予算に醵出(きょしゅつ)することに合意した。1981年11月の再選以来、ザイードは1996年12月に6選を果たしている。首相兼副大統領のラシードは1990年10月に死去、息子のマクトム皇太子がその職を継いだ。1996年5月に連邦最高評議会は暫定憲法を改正して恒久的なものにしている。[原 隆一・吉田雄介]

経済

経済の中心は石油であり、典型的なアラブ産油国型である。2006年現在の確認石油埋蔵量は978億バレルと推定される。石油が発見される以前のおもな経済活動はオアシス農業、沿岸漁業、中継貿易などに限られていた。しかし1959年にアブ・ダビで商業ベースにのる油田が発見されると、経済情勢は激変した。原油生産量は1970年の日産平均69万5000バレル(当時アブ・ダビのみ)から、1977年には3首長国で日産平均199万バレルのピークに達したが、その大部分は欧米や日本に輸出され、全国家収入の90%近くを占めた。1973年と1978年の二度にわたる原油価格の大幅値上げでオイル・ダラーは急増し、1979年120億ドル、1980年には160億ドル以上になった。巨大な石油収入をてこに多くの経済社会開発プロジェクトが組まれた。1981年の1人当り国民所得は2万5000ドルで、クウェートを上回り世界第1位であったが、1990年代以降は為替(かわせ)レートや石油価格の変動が激しいために年ごとに大幅に変動している。石油に依存する経済の宿命で、1人当り国民所得の順位は1990年代には50位台にまで落ちた。また、経済も1976年をピークに停滞したため、石油依存から産業の多様化を目ざしたが、国内市場が小さく、熟練労働者も不足しているため急速な工業化はむずかしく、金融国家や観光国家への道も模索している。
 国土の大部分が砂漠のため、耕作可能面積は0.4%にすぎない。このため農業は砂漠のオアシス地帯とムサンドゥム半島の一部に限られている。小麦、大麦、雑穀類、ナツメヤシ、マンゴー、飼料作物、タバコなどが主要生産物である。沿岸には魚類が多く、また20世紀初頭には天然真珠産業も栄えていた。現在の漁業の中心はムサンドゥム半島東部で、とくにアジマンは有職人口の3分の1近くが漁業に関連している。製造業は多くの工業化プロジェクトの完成により急速に成長している。精油所、石油関連産業、製粉、建設資材、セメント、清涼飲料工場などがおもなもので、これらは二大産油国のアブ・ダビとドバイに集中している。
 2006年の石油生産量は日産平均297万バレルに達している。2007年の国内総生産(GDP)は1901億ドル、国民1人当りGDPは4万2349ドル、1人当り国民総所得(GNI)は4万1000ドルとなった。
 2006年の輸出額は1425億ドル、輸入額は861億ドルで、おもな輸出品目は原油、天然ガス、石油製品、アルミニウム、電化製品などの再輸出品、輸入品目は自動車、機械、電化製品など。おもな輸出相手国は日本、韓国、タイ、インド、イラン、輸入相手国はアメリカ、中国、インド、ドイツ、日本となっている。
 アラブ首長国連邦から日本が輸入する原油量は、日本の年間原油総輸入量(15億2934万バレル。2008)の25.4%を占めており、日本の原油輸入先としてはサウジアラビアについで第2位である。2007年の日本との貿易額は、輸出323億ドル、輸入80億5000万ドルと日本の大幅な輸入超過になっている。日本へのおもな輸出品目は石油、天然ガス、金属類で、おもな輸入品目は輸送機器、機械類、家電などの電化製品、鉄鋼などである。[原 隆一・吉田雄介]

社会

オイル・ブームでアブ・ダビやドバイを中心に外国人労働者が大量流入した。なかでもインド人、パキスタン人が60%、ついでアラブ諸国からの流入者が25%を占める。1980年代に入ってからはフィリピン人も急増している。1995年には、雇用主を殺害した罪で起訴されたフィリピン人メイドの裁判をめぐってフィリピン政府との間で国際問題に発展した。また、出稼ぎ労働者の急増で、男性の人口比率が1995年には66%に達した。公用語はアラビア語でペルシア語の影響が大きい。宗教はイスラム教スンニー派が大部分だが、ドバイにはシーア派が多い。
 教育制度は、小学校6年、中学校3年、高等学校3年の6・3・3制で、義務教育は小学校の6年間である。高等学校まで進学するのが一般的で、大学進学率も高い。公用語のアラビア語以外に小学校1年から英語が必修となっている。大学にはアラブ首長国連邦大学(UAE大学)、ザイド大学、シャルジャー大学、シャルジャー・アメリカン大学、ドバイ・アメリカン大学などがある。[原 隆一・吉田雄介]
『脇祐三著『中東激変』(2008・日本経済新聞出版社) ▽日本経済新聞社編『まるごとわかる中東経済』(2009・日本経済新聞出版社) ▽池内恵著『中東危機の震源を読む』(2009・新潮社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

アラブ首長国連邦の関連キーワードハリファ・ビン・ザイド・ナハヤン石油輸出国機構(OPEC)アラブ首長国連邦建国記念日ドバイゴールデンシャヒーンドバイデューティーフリーアルクオーツスプリントモールオブジエミレーツキングファイサルモスクドバイシーマクラシックアラビアン・オアシスザイド・b.S.N.ドバイワールドカップルブアルハーリー砂漠エイシンフラッシュドバイファウンテンアドマイヤムーンウムアダルク油田アブダビ国際空港エミレーツモールウムシャイフ油田

今日のキーワード

異常天候早期警戒情報

5日から 8日先を最初の日とする 7日間の平均気温がかなり高い,またはかなり低い確率が 30%以上と見込まれる場合に注意を呼びかけるため気象庁から発表される情報。低温や猛暑が長く続くと,人の活動や農作...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

アラブ首長国連邦の関連情報