アルノルフォディカンビオ(その他表記)Arnolfo di Cambio

改訂新版 世界大百科事典 の解説

アルノルフォ・ディ・カンビオ
Arnolfo di Cambio
生没年:1245ころ-1302ころ

後期ゴシック時代のイタリア彫刻家建築家N.ピサーノの工房で修業し,師と協同シエナ大聖堂説教壇を制作した。1277年ころローマへ出てシャルル・ダンジューに仕え,以後古代ローマ彫刻の古典的造形美,初期キリスト教美術の敬虔(けいけん)な宗教性,ロマネスク美術の素朴さをあわせもつ独自の作風を確立した。ピサーノ父子の作品にみられる厳かな古典的表現ないし人間感情の劇的表出を離れ,柔和な落着きと身近な優しさを帯びた新しい写実を中部イタリアのゴシック彫刻に導入した。14世紀後半の浮彫彫像の人物表現が肖像的性格を強くするうえで,彼の作品が及ぼした影響は大きい。代表的彫刻作品は,オルビエトのサン・ドメニコ教会内の枢機卿デ・ブライエの墓所(1282ころ),およびローマのサン・パオロ・フオリ・レ・ムーラ教会内の天蓋付き祭壇(1285)である。教会堂を飾る彫像と装飾の制作を通じて晩年には建築の設計に親しみ,招請されて移り住んだフィレンツェで,サンタ・クローチェ教会,サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の設計と工事を行った。ゴシック聖堂の垂直性を水平方向の広がりによって調和的に抑制した構成は,彫刻作品とも通じる特色である。城塞から都市邸宅への過渡的様相を示すパラッツォ・ベッキオも彼によって設計され,フィレンツェを代表する建築として両聖堂とともに親しまれている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

アルノルフォ・ディ・カンビオ
あるのるふぉでぃかんびお
Arnolfo di Cambio
(1245ころ―1301/1302)

イタリアの建築家、彫刻家。美術家としてのデビューは、1265年にシエナ大聖堂の有名な説教壇を制作したニコラ・ピサーノの助手としてであった。さらに1266~1267年にボローニャのサン・ドメニコ聖堂で聖ドミニクスの墓碑の制作に師匠と協力、その後ニコラの工房から独立してローマに出たという。1276年には枢機卿(すうききょう)アンバルディの墓碑(ローマ、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂)と教皇ハドリアヌス5世の墓碑(ビテルボ、サン・フランチェスコ聖堂)を相次いで制作している。1281年にはペルージアに招かれて、いわゆる『渇者の噴水盤』(フォンターナ・デリ・アッセターティ)の制作にあたったが、その後取り壊され、現在ではその断片が同市の国立ウンブリア美術館に所蔵されているのみである。1282年には枢機卿デ・ブライエの墓碑をオルビエトのサン・ドメニコ聖堂に制作。その後ローマのサンパオロ・フォーリ・レ・ムーラ(1285)とサンタ・チェチリア(1293)の両聖堂に天蓋(てんがい)付き祭壇を完成した。1296年にフィレンツェに帰り、パラッツォ・ベッキオの起工に関与するとともに、大聖堂造営の初期段階においてその監督にあたった。

[濱谷勝也]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

アルノルフォ・ディ・カンビオ
Arnolfo di Cambio

[生]1245. シエナ近郊
[没]1302? フィレンツェ
イタリアの建築家,彫刻家。ニッコロ・ピサーノの弟子として出発,ローマで彫刻家として活躍したのち,建築家としておもにフィレンツェに作品を残した。彫刻家としてはニッコロ・ピサーノによるシエナ大聖堂の説教壇の制作 (1265~68) に協力し,1268年頃師の工房を去り,77年ローマでアンジューのシャルル1世に仕えた (その肖像彫刻がカピトリーノ美術館にある) 。『デ・プライエ枢機卿』 (82) ,サン・パオロ・フオリ・レ・ムーラ聖堂やサンタ・チェチリア・イン・トラステベーレ聖堂の天蓋つきニッチ (前者 85,後者 93) などを制作。 96年フィレンツェに戻り,大聖堂のファサードに彫刻装飾を行い,次いで大聖堂の計画 (1357年に F.タレンティにより拡張) ,サンタ・クローチェ聖堂パラッツォ・ベッキオなどにたずさわったとされる。

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百科事典マイペディア の解説

アルノルフォ・ディ・カンビオ

イタリアの彫刻家,建築家。パラッツォ・ベッキオやサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂などフィレンツェのほとんどすべてのゴシック建築に参画した。彫刻家としてはニコラ・ピサーノの跡を継ぎ,人体の豊かな量感と古典的な均整感を示す。
→関連項目サンタ・クローチェ教会

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世界大百科事典(旧版)内のアルノルフォディカンビオの言及

【サンタ・クローチェ教会】より

…その名は〈聖なる十字架〉を意味する。アルノルフォ・ディ・カンビオの設計になり,1294‐1385年建造。イタリア・ゴシック様式の代表的建築物で,フランシスコ会の教会堂として最大級の規模(全長115m,全幅74m)をもつ。…

【サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂】より

…聖堂の名(命名1412年)は〈花の聖母〉を意味し,中世の市名フィオレンツァ(花の町)に由来する。1296年,アルノルフォ・ディ・カンビオの計画にもとづき,サンタ・レパラータ旧大聖堂を取り壊して起工された。ラテン十字形平面をもつ3廊式教会堂であるが,八角形の大交差部を囲む方形祭室によって内陣と翼廊を同形とした集中的構成はゴシック教会堂として前例のない斬新さを示す。…

※「アルノルフォディカンビオ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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