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イェリネック Jellinek, Georg

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

イェリネック
Jellinek, Georg

[生]1851.6.16. ライプチヒ
[没]1911.1.12. ハイデルベルク
ドイツの国法学者で,行政法学者 W.イェリネックの父。国家は社会的と法的との2側面をもつから,国家学は国家社会学と国法学とを含むとし,国家について国家自己拘束説と国家法人説とをとった。彼の徹底的な内在的批判から出発したのが H.ケルゼンである。主著に,『公権力の体系』 (1892) ,『一般国家学』 (1900) がある。

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世界大百科事典 第2版の解説

イェリネック【Georg Jellinek】

1851‐1911
ドイツの公法学者。ウィーン,ハイデルベルク,ライプチヒの各大学で法学,哲学を学び研究者を志したが,ユダヤ人であったため排斥運動に遭うなど紆余曲折を経て,1891年ハイデルベルク大学教授となった。ハイデルベルクでは,社会学者M.ウェーバー,哲学者W.ウィンデルバントらと親しく交わり,経験主義的思考様式や新カント派哲学の二元論の影響を受けたといわれる。主著には,《公権体系論》(1892),《人権宣言論》(1895),《一般国家学》(1900),《憲法変遷論》(1906)などがある。

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367日誕生日大事典の解説

イェリネック

生年月日:1851年6月16日
ドイツの公法学者
1911年没

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世界大百科事典内のイェリネックの言及

【憲法変遷】より

…憲法変遷という言葉を最初に使用したP.ラーバント(19世紀末の帝制ドイツの公法学者)のもとでは,この言葉はもっぱら(1)の意味で用いられ,違憲の実例が制定憲法を改廃するかどうかという(2)の問題は,当時のドイツでは憲法慣習法の問題として論じられていた。しかし,その後,この言葉は,変遷現象の体系化を試みたイェリネックのもとで憲法慣習法論と部分的に結合し,かような変遷論が美濃部達吉により日本に紹介されたこともあって,今日の日本では,この言葉はもっぱら(2)の意味で用いられている。そしてこのような用法のもとで,自衛隊を容認する世論の増大を背景にして,憲法9条の変遷が完了したかどうか(つまり,いっさいの戦争といっさいの戦力保持を禁止する9条にかわって,自衛戦争と自衛戦力を認める新たな不文の憲法規範=憲法慣習法が成立したかどうか)が,今日の憲法変遷をめぐる論議の最大の争点となっている。…

※「イェリネック」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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