コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

イェリネック イェリネックJellinek, Georg

5件 の用語解説(イェリネックの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

イェリネック
イェリネック
Jellinek, Georg

[生]1851.6.16. ライプチヒ
[没]1911.1.12. ハイデルベルク
ドイツの国法学者で,行政法学者 W.イェリネックの父。国家は社会的と法的との2側面をもつから,国家学は国家社会学と国法学とを含むとし,国家について国家自己拘束説と国家法人説とをとった。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

イェリネック
イェリネック
Jelinek,Elfriede

[生]1946.10.20. ミュルツツーシュラーク
オーストリアの小説家。学業とウィーン音楽学校での厳しいレッスンを両立させようとしたストレスもあって,17歳のときに神経衰弱を患い,その回復期に文章を書くようになった。エリアス・カネッティら前衛的「ウィーン・グループ」の影響を受け,実験的な表現やテーマを駆使した作品を執筆。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

デジタル大辞泉の解説

イェリネック(Georg Jellinek)

[1851~1911]ドイツの法学者。従来の絶対主義的君主主義に反対し、国家の自己拘束の理論を掲げ、人権の確立に努めた。著「一般国家学」など。エリネック。

出典|小学館
デジタル大辞泉について | 情報 凡例

百科事典マイペディアの解説

イェリネック

ドイツの公法学者。ウィーン,バーゼル,ハイデルベルクの各大学教授を歴任。新カント派の影響を受け,先駆者の法律学的方法に社会学的考察を加えて,国法学の基礎を確立。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
百科事典マイペディアについて | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

イェリネック【Georg Jellinek】

1851‐1911
ドイツの公法学者。ウィーン,ハイデルベルク,ライプチヒの各大学で法学,哲学を学び研究者を志したが,ユダヤ人であったため排斥運動に遭うなど紆余曲折を経て,1891年ハイデルベルク大学教授となった。ハイデルベルクでは,社会学者M.ウェーバー,哲学者W.ウィンデルバントらと親しく交わり,経験主義的思考様式や新カント派哲学の二元論の影響を受けたといわれる。主著には,《公権体系論》(1892),《人権宣言論》(1895),《一般国家学》(1900),《憲法変遷論》(1906)などがある。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

世界大百科事典内のイェリネックの言及

【憲法変遷】より

…憲法変遷という言葉を最初に使用したP.ラーバント(19世紀末の帝制ドイツの公法学者)のもとでは,この言葉はもっぱら(1)の意味で用いられ,違憲の実例が制定憲法を改廃するかどうかという(2)の問題は,当時のドイツでは憲法慣習法の問題として論じられていた。しかし,その後,この言葉は,変遷現象の体系化を試みたイェリネックのもとで憲法慣習法論と部分的に結合し,かような変遷論が美濃部達吉により日本に紹介されたこともあって,今日の日本では,この言葉はもっぱら(2)の意味で用いられている。そしてこのような用法のもとで,自衛隊を容認する世論の増大を背景にして,憲法9条の変遷が完了したかどうか(つまり,いっさいの戦争といっさいの戦力保持を禁止する9条にかわって,自衛戦争と自衛戦力を認める新たな不文の憲法規範=憲法慣習法が成立したかどうか)が,今日の憲法変遷をめぐる論議の最大の争点となっている。…

※「イェリネック」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

イェリネックの関連キーワードリゴレットギュツラフ真葛長造気成電気万国博覧会ミシン万国博覧会万博EXPO

今日のキーワード

百条委員会

地方自治体が議決により設置する特別委員会の一つ。名称は「地方自治法第100条」に基づく。百条委員会は、地方公共団体の事務に関する調査を行い、関係者への聞き取りや記録の提出を請求、拒否した者には罰則が科...

続きを読む

コトバンク for iPhone

イェリネックの関連情報