イグサ(読み)いぐさ(その他表記)mat rush

日本大百科全書(ニッポニカ) 「イグサ」の意味・わかりやすい解説

イグサ
いぐさ / 藺草
mat rush
[学] Juncus decipiens Nakai

イグサ科(APG分類:イグサ科)の多年草。イまたはトウシンソウ(灯芯草)ともいう。地下茎が泥土中をはい、その各節間は短く詰まっている。地下茎から多数の細い茎が伸び立ち、株状になる。高さ20~60センチメートル、直径1~2ミリメートルの茎は変異が大きく、とくにコヒゲともよばれる栽培品種は、高さ120~150センチメートル、直径2~3ミリメートルもある。茎の中には白い髄がある。葉は退化して短い鞘(さや)状をなし、赤褐色でつやがあり、茎の基部に数枚つく。初夏から秋口まで、茎の先端から下方10~30センチメートルのところに小さな花穂をつけ、多数の緑褐色の小花を開く。果実は倒卵形で、長さ2~3ミリメートル、3室に分かれ、その中に長さ0.5ミリメートルほどの種子が10~20個入る。

 北海道から沖縄までそれぞれ山野の湿地に自生し、さらに東アジアにも広く分布する。イグサの茎は畳表や花莚(はなむしろ)の材料として、また茎の髄は行灯(あんどん)などの灯芯に利用され、江戸時代には各地で灯芯用に栽培された。現在では畳表や花莚用のほか、わずかに墨の原料とする煤煙(ばいえん)用の灯芯や利尿用の民間薬として使われるのみで、採芯(さいしん)栽培は少ない。芯をとった皮はじょうぶで、ちまき笹団子(ささだんご)などを縛るのに使われる。

[星川清親 2019年7月19日]

栽培

畳表や花莚用として古くは野生のものを利用していたが、需要の増加に伴い16世紀ころから栽培するようになった。栽培は日本全土で可能であるが、良質のものを得るには、春の分げつ増加期が温暖であること、茎の伸長する初夏が高温多湿であること、また刈り取ったイグサを天日乾燥するために、収穫期の7月後半に晴天が続くことなどが必要である。このため、昔から、おもに岡山県を中心とした瀬戸内地方で栽培されてきた。

 増殖は株分けによる。まず、冬に株分けして畑の苗代に植え付け、分げつを増やす。翌年の夏に再度株分けし、水田の苗代に植え換える。これを12月ころに株分けしながら、1平方メートル当り30株前後の密度で水田(本田)に移植する。畑苗代のまま次の冬まで置いて本田に移植することもあるが、苗数の増加率は悪くなる。本田の管理は、翌年の5月ころまでは水を入れたり切ったりして根の発育を促す。丈が1メートルを超えると、自然に倒れて品質や収量の低下原因となるため、6月初めころに網を張り、網目で茎を支え、これを徐々に高くしていって倒伏を防ぐ。7月中旬から下旬にかけて茎のつやが増し、弾力のある強さが出てきたら刈り取る。収穫は早朝や夕方、日差しの強くないときに行う。収穫後、20センチメートルほどの束にして泥水につけ、泥(どろ)染めをする。泥染めは、イグサ全体を均一に早く乾燥させ、つやを保ち、芳香をつけ、変色を防ぐために行われる。泥染め後、水を切り、地面に並べて天日乾燥を行う。最近では乾燥機も使われる。乾燥後は湿度の低い暗い所に保存する。

 畳表には、1本の茎を横に引き通しで使うため、茎の長さは畳表の幅に相当する1.5~1.6メートルを上等とし、長藺(ながい)とよばれる。栽培中、光が下まで通らないと基部近くが白くなり(元白(もとしろ)という)、畳表の色合いを乱して品質を損なう。また、緑色が強すぎると変色が速くなるので、銀のような光沢のある緑白色のものが上質とされる。茎の太さがそろっていることも重要で、太すぎると畳表が粗い感じがするし、細すぎると弱い畳表となり、乾いた茎で、直径1.2~1.3ミリメートルのものがよいとされる。また、花のついた茎は、見た目が悪いばかりでなく、畳表を編む際に経(たて)糸に絡み、作業効率上も好ましくない。ほかに、香り、弾力性、病斑(びょうはん)などの有無が品質に関係する。

 栽培品種には伸長型と分げつ型、またそれらの中間型がある。伸長型は茎が長く太いが、分げつが少ないので収量が少ない。逆に分げつ型は、茎は短く細いが、分げつ数が多く多収で、また、着花数が比較的少ない利点がある。現在栽培されている主要品種は、中間型の岡山3号、分げつ型のあさなぎ、きよなみなどである。現在の主産地は熊本県で、全国の約9割を生産する。ほかに福岡、広島などが生産県である。

[星川清親 2019年7月19日]

民俗

岡山県久米(くめ)郡の月の輪古墳からは、イグサ科らしい植物の茎を細糸で編んだもので包んだ鉄の鏃(やじり)が出土している。法隆寺や法輪寺の宝物にも縁どりをした茣蓙(ござ)がみられ、紫や緑、赤、黄色に染めたイグサが用いられている。往古の畳は、敷物として折り畳むことのできる薄縁(うすべり)(畳表に縁どりをしたもの)であった。江戸時代中期には、備後(びんご)ものの畳表が最高品質とされ、備中(びっちゅう)、備前(びぜん)、近江(おうみ)がこれに続いた。そしてイグサの芯(しん)でつくった灯芯を甲子(きのえね)の日に買えば、家が栄えるといわれた。倉敷市松島にある五座八幡(ござはちまん)は、神功(じんぐう)皇后に茣蓙を奉ったゆえの命名とされ、茣蓙発祥の地と伝えられる。かつては備中の藺(い)製品の中心で、この地方では盆(ぼに)茣蓙といって、盆仏を祀(まつ)る敷物として毎年新調する風習があり、盆踊りや葬儀翌朝の墓参りには、イグサでつくった編笠(あみがさ)をかぶって頭を隠す。粽(ちまき)を巻くのに使われるほか、豆ほどの実をつけるので、七夕(たなばた)の短冊をつける紙縒(こより)の代用とされた。刈上げ祝いには、稲の場合と同様盛大な鎌(かま)祝いが行われる。

[土井卓治 2019年7月19日]

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改訂新版 世界大百科事典 「イグサ」の意味・わかりやすい解説

イグサ (藺草)
mat rush
Juncus effusus L.var.decipiens Buchen.

イとも呼び,茎を畳表や花むしろの材料とするために栽培もするイグサ科の多年草。茎の髄を灯心として利用したところからトウシンソウの名もある。

1株に多数の細い茎が立つ。茎は円柱形で直径2~3mm,高さは50~150cm。葉は退化して短い鞘(さや)状となり,茎の基部に数枚互生する。生長するにつれて分げつを出してふえる。初夏に茎の先端から下15~30cmのところに小さい花穂をつけ,多数の緑褐色の小花が咲く。果実は長さ2~3mmの倒卵形で3室に分かれ,その中には長さが1mm以下の小さな種子が10~20粒はいっている。ウスリー,サハリンから日本全域,朝鮮,中国に分布する。

この野生のイグサから16世紀ころに水田で栽培されるようになったのが,現在の栽培品種である。栽培のものは草丈が120~150cmと高くなる。イグサの品種は伸長型と分げつ型とに分けられる。伸長型は茎が長く太いが分げつが少なく,分げつ型は茎が短く細いが分げつが多い。また両型の中間型もある。現在栽培されている品種には,分げつ型の〈あさなぎ〉や〈きよなみ〉,中間型の〈岡山3号〉などがある。日本全土で栽培可能であるが,分げつが増加する春が暖かで,茎の伸びる初夏には高温多湿となる土地が適している。また収穫したものを天日乾燥させるところから,収穫期の7月下旬に晴天が続くことが必要である。昔から瀬戸内地方,とくに岡山などに栽培が多かったのはそのためである。増殖は株分けによる。1年間かけて増やした苗を12月ころに水田に移植する。根の発達をよくする目的で,5月ころまでは水田に水を入れたり落としたりする。草丈が1mを超えると自然に倒れ,品質や収量を低下させる原因となるため,6月初めころに網を張り,徐々に高くして倒伏を防止する。7月中旬に,茎のつやが増し,弾力のある強さがでてきたら刈り取る。

刈り取った茎は結束し,ただちに泥水に漬けて泥染(どろぞめ)をする。泥染後よく水を切り,地面に並べて天日に乾かす。最近では乾燥機も使われるようになった。泥染は茎全体を均一にしかも早く乾燥させるために行うもので,茎は変色せず美しいつやを保つ。乾燥後は湿度の低い暗いところに保存する。主産地は熊本県で,全国の80%以上を生産する。そのほか福岡,岡山,高知などで生産されている。イグサの9割近くは畳表にされ,残りが花ござなどに織られる。畳表には,1本の茎を横に引通しで使うため,茎の長さは畳表の幅に相当する105~160cmが適当である。緑色の強い畳表は変色が速く,緑白色で光沢のあるものが上質である。イグサの芯は白く弾力性があり,これを芯むき機でとり出して行灯の灯心に使用した。江戸時代には各地で灯心用の栽培があった。現在もわずかに民間薬として使われ,また芯をとった皮はちまきを巻くのに使われている。
執筆者:

栽培の起源は古いが,書院造が始まる室町時代,とくに江戸時代以後栽培は普及,特産地として備後,備中が著名である。畳表の生産は備後国沼隈郡,備中国窪屋郡,都宇郡が盛んで,とくに沼隈郡の畳表は備後表として全国的に有名である。備後表は室町以来引通(ひきとおし)表であったが,1602年(慶長7)短いイグサも活用できる中継(なかつぎ)表が発明され,広島藩主福島正則の奨励もあっておおいに発展し,沼隈郡では48年(慶安1)機数1619台,1833年(天保4)には2751台を数えた。備後表は広島藩(のち福山藩)が領内の特産として献上表と称し,厳選して幕府に献上したが,幕府は株仲間商人を通し御用表を買い上げた。しかし備後表の大部分は商用表で,城下の株仲間を通し福山から大坂に送られた。備中表も宝永年間(1704-11)イグサ栽培が普及し,畳表に製し早島湊の問屋を通して大坂に送られ,備後表,備中表ともに全国的に流通した。
執筆者:

イグサを含むイグサ科は8属300種ほどの単子葉植物に属する小さな科で,北半球の温帯域を中心に分布する。花は退化的で花被片は内外3片ずつで,ほぼ同質同形である。おしべは3または6本,子房は上位で3室,柱頭は3本にわかれている。種子はデンプン質の胚乳を有し,ユリ科,ツユクサ科,さらにはイネ科との系統関係が論じられている。
執筆者:


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百科事典マイペディア 「イグサ」の意味・わかりやすい解説

イグサ(藺草)【イグサ】

イ,トウシンソウとも。イグサ科の多年草で,日本全土,東アジアに分布。原野の湿地にはえる。根茎は地中をはい,茎は多数出て,細い円柱状で高さ30〜60cm,葉は鱗片状になり茎の基部に数個つく。8〜9月,茎の頂に花穂を出すが,最下包葉が長いので,花穂が茎の途中につくように見える。花は小さく,緑褐色。変異が大きく,種としてはほぼ全世界に分布する。表にするものは栽培品種のコヒゲで,茎は細くしなやかで長さ約1.5mに達する。主産地は熊本県。また同属にホソイ,イヌイ,クサイ,コウガイゼキショウなど二十余種がある。
→関連項目繊維作物

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イグサ」の意味・わかりやすい解説

イグサ

「イ(藺)」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内のイグサの言及

【熊本[県]】より

…このほか金峰(きんぼう)山西麓など海岸傾斜地のウンシュウミカン,阿蘇原野の肉用牛,菊池地方を主とする酪農,山間部に増えてきた全国2位の栗などが盛んである。また水田冬作のイグサは,1964年まで岡山県が全国の首位を占めていたが,水島臨海工業地域の発展によって成り立たなくなったため,65年には熊本県が全国一となり,全国生産量の90%(1995)を超えるまでになった。これは1505年(永正2)以来の長い伝統のもとに八代平野を中心に広い面積でイグサと畳表の生産が農家の副業として導入され,水利などの基盤整備や機械化も進み栽培が定着したためで,いまや米に代わるこの地方の重要な現金収入源となっている。…

【瀬戸内海】より

…内海では水運と産業が深くかかわり,山陽地方,北四国地方はともに早くから産業・文化が発達した先進地域であった。水運の最盛期であった近世以降,沿岸平野部では自然条件に適したイグサ,ワタ,サトウキビなどの商品作物およびその加工産業が発達した。明治以降,ワタ,サトウキビは輸入品に押されてしだいに衰えたが,イグサはその後も岡山県で発展し,最盛期(1964)には全国の生産高の半分を占めた。…

【千丁[町]】より

…全域が近世以来の干拓地からなり,東から西へ加藤清正築造の新牟田新地,藩政時代の四百町開,二の丸新地と新干拓地が形成されていった。農業はイグサ栽培と米作が主体で,特にイグサを原料にした畳表の生産は,町の主要な農産加工品である。工業は1964年の新産業都市区域指定を契機に発展し,食料品,繊維などの出荷額が多い。…

【八代平野】より

…また1904年に八代郡が独力で完成した郡築(ぐんちく)新地は1047haに及ぶ。 八代平野の耕地の大部分は低平な水田で,夏は米,冬はイグサが栽培される。イグサの特産地で,とくに平野中南部の鏡町,千丁町ではイグサ栽培とともに畳表(肥後表)の生産が盛んである。…

※「イグサ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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