イスラム哲学者、医学者。ラテン名はアベロエスAverroës。スペインのコルドバに生まれる。法学、哲学、医学を学び、1182年ムワッヒド朝カリフの宮廷医師、さらにコルドバのカーディー(裁判官)となって活躍したが、ヤークーブ・アルマンスールがカリフになると、しだいに宮廷内で力を失い郊外に隠棲(いんせい)した。晩年はふたたび宮廷に仕え、マラケシュで没した。著作の多くは13世紀にラテン語訳され、中世ヨーロッパ思想に絶大な影響を与えた。彼はイスラム世界に伝わるアリストテレスの思想の文献学的研究を哲学的出発点にしている。イスラム世界に伝わるアリストテレス思想には、新プラトン派的要素が多く混入しているので、文献批判を通じアリストテレス思想の原像に迫ろうとした。しかしながら、イブン・ルシュドによって再現されたアリストテレス思想にも、なお新プラトン派の影が濃く残っている。
アリストテレスの方法に準じ、質料、形相論を基に哲学を築いている。彼における質料とは形相をその内に潜勢態(せんせいたい)として含み永遠的とされる。したがって、イスラム神学者の主張する世界の無からの創造説とは逆に、世界は第一者たる神の流出の結果として永遠的とされる。流出の過程は、神から第一知性が発出し、第一知性からはさらに下位の知性が発出し、かかる発出が順次行われ、最後に質料的知性が個々の人間に出現するとされる。それゆえ神は個物を直接認知しえないとする。他方、質料的知性は個人の発育と努力に応じて上位の能動知性の域にまで到達しうると考える。能動知性の域に達した人間知性は、肉体の死とともに能動知性そのものと合体し永遠に存在すると主張している。他方、生きながら能動知性の域に達した人間として優れた哲学者や預言者をあげている。預言者は真理を日常的表現で説き、哲学者はそのことばのなかに真理をみいだすとする。これが西欧中世のラテン・アベロイストの二重真理説の源となった。
[松本耿郎]
彼の医学上の功績に、1162年以前著述の『医学汎典(はんてん)』Kitāb al-kullīyāt fī-l-ibb(ラテン名『コリゲット』Colliget)という概論書がある。そこでは貴重な観察として初めて網膜の機能を正しく理解しているし、天然痘にかかれば免疫になることも認めていた。
[平田 寛]
西方イスラム世界の代表的な哲学者,医学者。ラテン名はアベロエスAverroes。コルドバに生まれ,マラケシュで没。マーリク派法学者の家に生まれて法学・哲学・医学の研究を重ね,1182年ムワッヒド朝のカリフ,アブー・ヤークーブ・ユースフの宮廷医師およびコルドバの大カーディー(裁判官)となり,指導的な学者として権勢を誇った。しかし,その息子ヤークーブ・アルマンスールがカリフになると,ザーヒル派法学者が力を得て,イブン・ルシュドはしだいに宮廷内で力を失い,一時コルドバ郊外に隠棲したが,晩年に再度君主の寵を回復し,マラケシュの宮廷に仕えた。その著作は,医学・哲学・法学等の多岐にわたる。彼の哲学書の多くは,13世紀にラテン語訳され,ラテン・アベロエス主義として西欧中世思想に絶大な影響を与えた。哲学者としてイスラム世界に伝えられたアリストテレス思想の原像の再現に努力し,ガザーリーに批判されたアリストテレス哲学の復権を企図した。彼の思想は,アリストテレス哲学に忠実であろうとしつつも,新プラトン主義の影響をぬぐいきれない。それゆえ,世界の生成について発出説をとる。すなわち,神の第一知性から順次発出が繰り返され,それは最後に質料的知性となり人間に現れる。この質料的知性は知的努力と成長に応じて,能動理性の地位にまで到達しうるとする。肉体が滅びると発達の極に達したこの知性は,能動理性と合体し,永遠の存在となりうると主張している。彼は能動理性の域に達した人間として,優れた哲学者や預言者を考える。しかし,彼は哲学者が純粋観念として把握する真理を,預言者は象徴的表象で表現するという。これが西欧中世思想における二重真理説の源となった。彼は生涯を通じ哲学と宗教の調和に腐心し,人間の主体的な知的活動の価値を肯定しようとした。しかし,彼の思想の後継者はイスラム世界に現れず,かえって西欧ルネサンスの思想に寄与した。彼はアリストテレスの哲学書のほとんどすべての注釈を著したが,ほかに哲学書として《宗教と哲学の調和》《矛盾の矛盾Tahāfut al-tahāfut》,医学書に《医学大全》がある。
執筆者:松本 耿郎
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1126~98
ムワッヒド朝期のアンダルスとマグリブで活躍したイスラームの法学者,神学者,哲学者。コルドバの学者の家に生まれ,マラケシュで没した。ラテン名はアヴェロエス。プラトンやアリストテレスの著作の注釈書を数多く残した。啓示を理性によって調和的に解釈することは可能だとする彼の思想は,二重真理として異端とされ,彼の哲学書は焚書(ふんしょ)にされた。しかしムワッヒド朝のカーディーに任命され,また宮廷医として寵遇された。同時期の学者イブン・トゥファイルと親交を持った。著書では『宗教と哲学の調和』『不一致の一致』が有名。
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…それはアラビア世界が東西から政治的に圧迫されつつも,なおその科学文化の最後の光芒を放つ晩期である。この時期を代表する学者として3人をあげれば,イブン・ルシュド(ラテン名アベロエス)とナシール・アッディーン・アットゥーシーとイブン・ハルドゥーンであろう。イブン・ルシュドは,12世紀にアリストテレスの著作の全貌がようやく西欧世界にわかりかけてきたときに,すでに膨大なアリストテレス注釈を書き,ラテン世界にアベロエス派なるものをつくり出して甚大な影響を与え,近代科学思想の形成に大きく貢献した。…
…プラトン哲学をもたらしたユダヤ教徒イブン・ガビロールは《生命の泉》を,イブン・バーッジャは《孤独者の療法》を著した。アンダルスの生んだ最大の哲学者でアリストテレスの注釈者イブン・ルシュド(アベロエス)は,哲学と宗教の調和を図ると同時に,哲学擁護の書として《矛盾の矛盾》を著した。彼の書はラテン語に翻訳され,トマス・アクイナスをはじめ中世ヨーロッパの哲学・思想に大きな影響を与えた。…
…スンナ派の神学者ガザーリーは,《哲学者の矛盾》を著してイブン・シーナーらの哲学者の説の主要部分を分析批判し,あわせてシーア派神学の根拠を論破しようとしている。ガザーリーの哲学批判以後スンナ派世界では,イベリア半島のイスラム教国におけるイブン・ルシュドのアリストテレス研究を除いて,あまりみるべき業績がなくなった。イブン・シーナーによってイスラム哲学における存在論の独自性が確立されたといえる。…
…しかしやがて人間理性の自然性と自存性が自覚されるに及んで両者の矛盾が意識され,哲学が神学から分かれるようになる。二重真理説はこの過渡的段階に現れたもので,アラビアの哲学者イブン・ルシュド(アベロエス)とその弟子シジェ・ド・ブラバン,後期スコラのドゥンス・スコトゥス,オッカムなどにみられる。その際,理性の能動性と受動性,〈必然的な命題〉と〈偶然的な命題〉について議論が深まったことは西洋哲学史上重要な成果であった。…
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