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ウェンツェル Wenzel

世界大百科事典 第2版の解説

ウェンツェル【Wenzel】

1361‐1419
ボヘミア王。在位1378‐1419年。1376年ローマ王(王位継承者),78年父カール4世を継いでドイツ国王(‐1400)。対立する諸侯と都市の仲介,ラント平和令の実施などいずれも成功せず,王領地拡大政策も,王朝内部の軋轢(あつれき),ひざもとのボヘミアの貴族の反抗,高級聖職者との紛争によって挫折した。このころ選帝侯の影響力は,国王の選挙だけでなく罷免にまでおよぶようになり,1400年ライン地方の4人の選帝侯の合意で退位させられた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ウェンツェル

ワーツラフ4世」のページをご覧ください。

ウェンツェル
Wenzel, Hanni

[生]1956.12.14. ドイツ連邦共和国,シュトラウビング
リヒテンシュタインのアルペンスキー選手。1976年のインスブルック・オリンピック冬季競技大会で銅メダルを獲得し,リヒテンシュタインに初のメダルをもたらした。1980年のレークプラシッド・オリンピック冬季競技大会では金メダル 2個,銀メダル 1個を獲得し,ロジ・ミッターマイヤーと並んでオリンピックのアルペンスキー競技で最も活躍した女性となった。ドイツ連邦共和国(西ドイツ)に生まれ,1歳でリヒテンシュタインに移住。回転を最も得意とし,1974年の世界選手権大会で回転を制して,アルペンスキー界で注目されるようになった。1980年のレークプラシッド・オリンピックにおいても回転で圧倒的な強さを示し,2本の滑走でともに最速タイムを出し,金メダルを獲得した。大回転も優勝で飾り,最も苦手な滑降でも 2位に入賞した。さらに,同 1980年のワールドカップで総合優勝も果たした。また,弟のアンドレアスもレークプラシッド・オリンピックの大回転で銀メダルを獲得し,ワールドカップで総合優勝したことから,1980年はウェンツェルとリヒテンシュタインにとって特別な年となった。1984年のサラエボ・オリンピック冬季競技大会はコマーシャル契約を理由に出場できず,同 1984年のシーズン後に引退を発表した。13年の競技生活の間にワールドカップで 33勝し,1978年と 1980年の 2度総合優勝した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ウェンツェル
うぇんつぇる
Gregor Wentzel
(1898―1978)

ドイツの理論物理学者。デュッセルドルフで生まれる。フライブルク、ミュンヘンなどの大学で学び、1926年ライプツィヒ大学員外教授、1928年よりチューリヒ大学教授となった。その後アメリカに渡り、1948年以来シカゴ大学物理学教授。1920年代、古典量子力学と量子力学を結ぶ橋渡しの役目をする研究を多く行った。その一つに、クラマースらとともに改良提案した「WKB法」(ウェンツェル‐クラマース‐ブリュアン法)がある。これは波動力学の近似法で、近似が高くなるにつれて古典論から量子力学の厳密解へと近づくものとされた。さらに場の量子論の矛盾の分析、摂動(せつどう)近似に対立する強い相互作用の理論による中間子と核子の理論など多くの業績がある。[佐藤 忠]

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