原子論と快楽主義で有名な古代ギリシアの哲学者。サモス島の生れ。前307年ころ,父の故郷であるアテナイに庭園つきの家をもとめ,そこに学園を創設した。その庭は後に〈エピクロスの花園〉と呼ばれ,彼自身は〈花園の哲学者〉と呼ばれることになる。大著《自然について》は散逸してしまったが,3通の書簡と個条書き風の《主要教説》,その他の断片が現存している。彼はデモクリトスの説を継承して原子論の立場に立った。自然界の事物は原子から構成されている合成物であるが,合成物の表面からは絶えず〈エイドラeidōla〉が流出している。それは多くの原子からなるいわばフィルムのようなものであるが,それが感覚器官の内にあって同じく原子からなる魂を刺激することによって感覚が成立する。人間の判断には誤りがありうるが,感覚はいつも正確に外界にあるなにかに対応しているのである。彼の哲学は感覚主義である。だが,この原子論や感覚主義がただちに倫理的な教えと結びつく点に彼の哲学の特徴がある。原子論者である彼にとって真に存在するのは原子と原子が合成し,また離散する場であるト・ケノンのみであって,われわれが死ねば生命なき原子へと解体するだけであるから,死後の懲罰などを恐れて不安に苦しむ必要はない。また原子論の立場に立つかぎり,死はわれわれにかかわりなきものだからである。〈われわれの存するかぎり,死は存せず,死が現に存するときは,もはやわれわれは存しないのである〉。
死への恐れ,死後の不安から解放されるならば,それだけでも人間は〈平静不動(アタラクシアataraxia)〉の境地に入ることができるのだが,生きているうちは安んじて快楽を追求すべきである。〈快楽こそは幸福なる生活の始めにして終りなのである〉。彼は感覚主義者らしく〈胃袋の快〉を善の,つまり快の基礎と見ているが,しかし彼はことさらに大食や美食を勧めているわけではない。大食や美食は胃袋の快どころではなく,むしろ苦痛を招きかねない。〈パンと水〉だけで満足するつつましい生活こそが快を実現する道ということになる。また公人としての活動はさまざまなわずらわしさの渦中に人を巻き込み,結局は苦を生みだすことにもなる。したがって有名な〈隠れて生きよ(ラテ・ビオサスLathe biōsas)〉のモットーがこの哲学者の生活の信条となった。もっとも隠れた生活とは言っても,それは孤独な隠遁生活を意味しない。友人たちとの友情にあふれた交際は静かな快,静かな喜びをもたらす一つの道なのである。結局,この快楽主義の帰着するところは魂のかき乱されない平静な境地であり,彼の言葉によれば〈平静不動〉とは〈静かな快楽〉にほかならないのである。
→快楽主義 →原子論
執筆者:斎藤 忍随
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前341~前270
ヘレニズム時代初期ギリシアの哲学者で,エピクロス派の祖。サモス島に入植していたアテネ人を両親に持ち,青年期にアカデメイア派の哲学を学ぶとともにデモクリトスの自然哲学の影響をも受けた。ミュティレネやヘレスポントス沿岸の町ランプサコスで一派を興したのちアテネに移り,庭園つきの学校を開いて,以後ルクレティウスを生むなど,その隆盛がローマ時代にまで及ぶ学派の基礎を築いた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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…ただしこの快楽とは肉体的放縦の所産ではなく,逆に魂による肉体的欲望の統御から生まれると考えた。この態度は次代のエピクロス学派に続く。エピクロスとその学派は魂の平静(アタラクシアataraxia)を重んじ,健康で質素な共同生活を通して得られる精神的快楽を重んじた。…
…人間を一種の機械として考えようとする思想。古くはギリシアの哲学者エピクロスにさかのぼることができる。彼は万物は人間の身体はもちろん,魂をも含めて,いっさい,原子とその運動に由来すると考えた。…
※「エピクロス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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