オウム真理教事件(読み)おうむしんりきょうじけん

共同通信ニュース用語解説 「オウム真理教事件」の解説

オウム真理教事件

1989年11月、オウム真理教松本智津夫まつもと・ちづお元死刑囚の指示で、教団幹部らが「オウム真理教被害者の会」の指導的立場だった坂本堤さかもと・つつみ弁護士の一家3人を横浜市の自宅アパートで殺害。94年6月には、教団関係の訴訟を担当していた裁判官を狙い、長野県松本市の裁判官宿舎近くで猛毒のサリンを散布し、8人が死亡した。95年3月には東京・霞が関を通る地下鉄内でサリンをまき、14人が死亡、6千人以上が重軽症を負った。一連の事件で松本元死刑囚ら13人の死刑が確定し、2018年7月に執行された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「オウム真理教事件」の意味・わかりやすい解説

オウム真理教事件
おうむしんりきょうじけん

麻原彰晃(しょうこう)こと松本智津夫(1955―2018)を教祖とする新宗教の一派により引き起こされた一連の事件。松本は自らをシバ大神の化身で、ヒマラヤで最終解脱(げだつ)をしたと称し、信者からは「尊師」と仰がれていた。教団は1984年(昭和59)に「オウム神仙の会」として発足し、1987年にオウム真理教と名称を変更、1989年(平成1)に宗教法人となった。本部は静岡県富士宮市。山梨県上九一色(かみくいしき)村(現、富士河口湖町)にサティアンと称する教団施設、また国内二十数か所に本部、支部、海外4か国に支部を設けていた。信者数は約5000人と称され、サマナ服をまとった出家の信者と在家信者とがあった。信者は、秘儀の修行や「ワーク」と称する作業に従事、「ハルマゲドン(最終戦争)」の到来を信じ、またその「ヴァジラヤーナの教え」により「ポア」と称する殺人は善業になる、との特異な考えも抱かされた。教団は、1990年政治団体「真理党」を結成、衆議院議員選挙へ多数の候補者を擁立するが失敗に終った。

 一連の犯罪事件は、1989年「オウム真理教被害者の会」(現、オウム真理教家族の会)の活動に従事していた横浜弁護士会の弁護士坂本堤(つつみ)が自宅で家族2人とともに殺害された坂本弁護士一家殺害事件、1994年長野県松本市で猛毒ガス・サリンを噴霧し、住民7人を死亡、144人に重軽症、4人に中毒症の傷害を負わせた松本サリン事件、1995年2月東京の目黒公証役場事務長の拉致(らち)監禁致死事件、そして同年3月20日には東京の地下鉄車内5か所においてサリンを発散させ、乗客、駅職員12人死亡、約3800人が重軽症を負い、14人に中毒症の各傷害を負わせる惨事を起こした地下鉄サリン事件がある。このほか、数件の信者リンチ殺人事件、VXガス使用殺人事件等々があげられる。1995年に起きた地下鉄サリン事件から2日後の3月22日、全国の教団施設が強制捜査をうけ、5月16日、麻原彰晃こと松本智津夫は殺人容疑で逮捕された。

 この教団に対し、東京都と東京地方検察庁は宗教法人法に基づく団体の解散命令を請求し、1995年12月に東京地裁、東京高裁を経て解散の決定が下された。1996年3月には破産法に基づき、東京地裁が教団の破産を宣告した(5月確定)。また、公安調査庁は同年7月破壊活動防止法に基づく団体規制の解散指定を請求したが、1997年1月、公安審査委員会の審査により請求が棄却された。1999年12月、オウム真理教の活動を規制することを目的としたオウム対策二法が成立し、2000年2月に同法に基づき、同教団に3年間の観察処分が決定、公安調査庁は教団施設への初の立入検査を行った。2003年と2006年、2009年に観察処分がさらに3年間延長された。なお、オウム真理教は2000年1月に教団名をアレフに、2003年2月アーレフ、2008年5月Aleph(アレフ)に改称した。また、2007年に脱会した教団幹部らが設立した新団体「ひかりの輪」、2015年1月ごろに「Aleph」から分かれた「山田らの集団」も観察処分となっている。

 教団が引き起こした前記の諸事件については、教祖や幹部をはじめ教団関係者192人が公判請求され、裁判が続けられた。オウム真理教元代表松本の一審公判は、1996年の初公判から2003年まで256回におよんだ。2004年2月、東京地裁で、地下鉄サリン事件などを含む13事件、計27人を殺害したとの罪に問われ、松本は13の事件すべての首謀者であるとして有罪認定、死刑の判決をうけた。弁護側は控訴したが2006年3月に東京高裁は控訴を棄却、これを受け弁護側は特別抗告を行ったが、最高裁は同年9月にそれを棄却し、死刑が確定した。

[岩井弘融 2018年7月20日]

 2018年1月、開始から22年でオウム真理教関連の裁判は終結。松本をはじめ13人に死刑判決が下され、同年7月6日に松本と元幹部6人(合計7人)、さらに7月26日に残りの6人の死刑が執行された。

[編集部 2018年8月21日]

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百科事典マイペディア 「オウム真理教事件」の意味・わかりやすい解説

オウム真理教事件【オウムしんりきょうじけん】

麻原彰晃(本名,松本智津夫)を教祖とするオウム真理教(2000年〈アレフ〉,2003年〈アーレフ〉に改称)が組織的におこしたとされる一連の事件。1995年3月20日東京で11人の死者と約5500人の重軽症者をだす地下鉄サリン事件が発生,同22日教団の強制捜査が開始された。地下鉄サリン事件は公証役場の仮谷清志事務長拉致事件(1995年)の強制捜査を予知した教団がその攪乱をねらっておこしたもの。麻原は同年5月16日逮捕された。1989年の坂本堤弁護士一家失踪事件,1994年の松本サリン事件をはじめ,VXガス殺人事件,教団内リンチ殺人事件,警察庁長官襲撃事件や数々の拉致監禁事件にも教団の関与が問題となった。オウム真理教は麻原を最終解脱者とみなし,その超能力や秘儀を看板にヨガ道場として発足,1989年に宗教法人の認可をうけ,各地に道場を建設したが,土地取得や異臭をめぐり地元住民と対立・抗争する一方,出家信者の家族の間には被害者の会が結成された。1990年には衆議院選挙に集団立候補したが,全員落選し,社会を敵視する傾向に拍車がかかった。オウムは現世を否定する出家集団を核とし,インテリ青年を含む数千人の信者をひきつけたが,自己演出的な終末観や殺人の宗教的正当化など,社会常識を大きく逸脱した諸観念を生み出し,それが一連の非合法的・犯罪的行為につながったと考えられる。1995年12月同教団には宗教法人解散命令がくだった。破壊活動防止法の適用も検討されたが,1997年に見送られた。1999年,同教団対策のための団体規制法と被害者救済のための破産特別法が国会で可決,成立した。また,一連の公判で起訴された被告189人のうち,2004年2月までに麻原を含む12人が一審で死刑判決(麻原は2006年9月に死刑確定)。
→関連項目小田晋外傷後ストレス障害公安調査庁佐木隆三神経ガス組織犯罪チオペンタール破壊活動防止法マインド・コントロール村山富市内閣

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知恵蔵 「オウム真理教事件」の解説

オウム真理教事件

救済のためならば殺人をも正当化するゆがんだ教義と、敵対者を許さない独善的な体質の下、教祖である松本智津夫(麻原彰晃)被告の指示で、主なものだけでも以下のような数々の凶悪事件が引き起こされた。▼坂本弁護士一家殺害事件=信徒の家族らの相談を受けて教団の被害者対策にあたっていた坂本堤弁護士とその妻子を殺害(1989年11月4日)したうえ、3人の遺体を新潟、富山、長野の山中に埋めた。事件が起きる直前の89年10月に、TBSが教団を批判する坂本弁護士のインタビューテープを教団幹部に見せたうえ、教団の抗議を受けて放送を見送っていたことが判明し、社長が辞任するなどした。▼松本サリン事件=長野地裁松本支部の裁判官官舎を狙って猛毒のサリンを散布し、巻き添えで近くの住民7人が死亡、約140人が重軽傷を負った(94年6月27日)。当初、第一通報者である会社員の関与が疑われ、行き過ぎた捜査・報道が問題になった。教団の犯行と判明した後、マスコミ各社と警察はこの会社員に謝罪した。▼地下鉄サリン事件=首都中心部を大混乱に陥れるため、ラッシュアワー時の東京の営団地下鉄3路線5列車でサリンを散布、通勤客や地下鉄職員ら12人が死亡、約3800人が重軽傷を負った(95年3月20日)。直前に信徒の親族の監禁致死事件を起こしており、その捜査が教団に及ぶのを免れるのが目的だったという。2カ月前に起きた阪神・淡路大震災と合わせ、日本の安全神話は大きく揺らいだ。地下鉄サリン事件後の強制捜査で、教団の主要幹部は軒並み逮捕・起訴されたが、99年頃から布教やパソコン販売などの活動が再び活発になり、各地で住民とのトラブルが相次いだ。こうした事態を受けて、同年秋の臨時国会で、事実上、教団を対象にした団体活動規制法が成立。(1)公安審査委員会の決定により、公安調査官や警察官は教団の施設に立ち入り、構成員などについて報告を求めることができる(観察処分)、(2)危険な動きや調査妨害があれば、勧誘行為や施設の使用・取得を禁止できる(再発防止処分)、が主な内容で、同法に基づき、公安審は2000年1月、オウム真理教(アーレフと改称)を3年間の観察処分にし、06年1月2度目の観察処分を更新する決定をした。04年2月、東京地裁は松本被告に求刑通り死刑を言い渡した。控訴審の東京高裁10部は06年3月、一審死刑判決を不服とした弁護側の控訴を棄却し、裁判の手続きを打ち切る決定をした。同高裁刑事11部は06年5月、この決定を支持、弁護側はこれを不服として6月、最高裁に特別抗告した。弁護団は7月、「松本被告は訴訟能力が失われている可能性が高い」として、専門的治療が必要とする精神科医の意見書を最高裁に出した。最高裁は9月15日に特別抗告を棄却、松本被告の死刑が確定した。

(緒方健二 朝日新聞記者 / 2007年)

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