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古代ローマ、共和政中期の将軍、政治家。文人としても有名。中部イタリアのトゥスクルム出身。第二ポエニ戦争に従軍したのち、「新人」として政界に登場し、諸官職を歴任したのち、紀元前195年のコンスル(執政官)、翌前194年のコンスル代理官としてスペインを統治した。スキピオ一族と対立しつつも、その後も政治、外交面で活躍したが、とくに前184年にはケンソル(戸口総監)としてローマの道徳、社会、経済の立て直しを図った。雄弁家としても知られ、属州統治、対外政策にも国粋主義、保守主義の立場から論陣を張った。とくにヘレニズム化の風潮に対して、古ローマの質実剛健さの回復を説いた。最晩年には、第三ポエニ戦争直前に主戦論を唱えている。文人としては、ラテン散文学の祖といわれ、ラテン語で書かれたローマ最古の歴史書『起原論』Origines(7巻)と『農業論』De Agri Culturaがあるが、前者は散逸した。
[長谷川博隆]
古代ローマ、共和政末期の政治家。大カトーの曽孫(そうそん)。カエサルの政敵。ストア哲学の信奉者。護民官に選ばれたのち、反カティリナの立場をとり、元老院を中心とする共和政の伝統護持の姿勢を守り、カエサル一派に対抗し続けた。とくに紀元前49年からのカエサルとポンペイウスとの内戦にあたっては、多くの元老院議員と後者の側についてシチリアで戦った。ポンペイウスの死後はアフリカにポンペイウス派を結集し、スピキオを総司令官としてカエサルに抗したが、タプススの敗戦の知らせを受け、ウティカで自刃した。高潔な人物として知られ、同時代人および後世の人々により共和政的自由に殉じた人とたたえられている。
[長谷川博隆]
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