コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

カール・マルテル カールマルテル

2件 の用語解説(カール・マルテルの意味・用語解説を検索)

百科事典マイペディアの解説

カール・マルテル

フランク王国宮宰ピピン2世の庶子で,父の死(714年)とともに実権を握り,ザクセンフリーゼンチューリンゲン等を平定,732年イベリア半島から侵入したイスラム教徒トゥール・ポアティエの戦で破り,その子ピピン3世に始まるカロリング朝の基礎をつくった。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

カール・マルテル
かーるまるてる
Karl Martell
(688?―741)

フランク王国の宮宰。後世「鉄槌(てっつい)」(ハンマー)の異名でよばれた。宮宰ピピン(中)の庶子。714年、父の死とともに、一時統一されていたフランク王国はふたたび分裂、ノイストリアの豪族たちはラゲンフリードを宮宰に選び、他方義母のプレクトルーディスは、アウストラシアの宮宰職を、幼い己の孫に確保すべく、カールを幽閉した。だが脱出に成功したカールは、717年までに宮宰としての支配権を確立、さらに724年まで数度の戦いでノイストリアを破り、フランク王国の再統一を達成した。737年まではメロビング家の名目的な諸国王の下で、それ以後は国王をいただかずに、カールは実質的な支配者として、フランク王国を統治した。732年トゥール・ポアチエの戦いで、スペインから侵入したイスラム教徒を撃退したことは、カール個人およびカロリング家の権威を大いに高め、後のカロリング王朝への途(みち)を開いた。
 カールは国内ではノイストリアやブルグントの豪族たちの反抗を抑え、東方や北方では、フリーセン人、ザクセン人、アレマンネン人、バイエルン人などをフランクの宗主権に服させるべく努力した。そのための手段として異教徒のキリスト教化に着目し、聖ボニファティウスらの布教活動を援助した。
 トゥール・ポアチエの勝利は、騎兵軍を中核としたアウストラシア豪族層の力によるところが大きく、カールは騎兵軍を増強するため、教会領の大規模な接収を行い、これを豪族層に封土として与えた。これが封建制(レーン制)の発端とされる。[平城照介]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

カール・マルテルの関連キーワード宮宰西フランク王国東フランク王国フランク王国フランク族ベルダン条約メロビング朝カールマルテルピピンランゴバルド

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone