(1)ローマ時代には〈国家(とりわけローマ国家)〉〈都市〉〈ローマ市民権〉などを意味する語として用いられた。(2)民族大移動時代には,都市とその周辺の従属農村とから成る西ローマ帝国の〈地方行政区〉を呼ぶ語となった。(3)中世初期,カロリング朝時代のラテン語史料では,都市的集落を表現するために,キウィタス,ウルブスurbs,オッピドゥムoppidum,カステルムcastellum,カストルムcastrum,ウィクスvicusなどの種々の表現が用いられているが,この中でキウィタス(またはウルブス)の名称は,ローマ時代以来の,しかもメロビング朝時代以来またはその以前から司教座所在地となったような〈都市〉についてのみ用いられたようである。古来のローマ都市であっても,8世紀に入ってはじめて司教座が設けられたような都市については,キウィタスの語の用例は比較的まれである。しかし後には,新たに司教座が設置された都市は,古来のローマ都市でなくても,キウィタスと呼ばれるようになってきた。さらに,司教座の所在する都市のほかにも,堅固な城壁を有する大都市はキウィタスと呼ばれる傾向があり,中世後期にいたって都市城壁が一般化すると,〈都市一般〉がこの名称で呼ばれるようになる。(4)古ゲルマン人の小規模な〈国家的結合体〉もキウィタスと呼ばれる。この名称はローマの史家タキトゥスによって用いられたもので,ドイツの学者が〈フェルカーシャフトVölkerschaft〉と呼ぶものに該当する。紀元直後ころのライン川沿岸地方のゲルマン人にとっては,このキウィタスが唯一の政治団体であった。キウィタスには1名の王rexによって統率されるものと,数名の首長principesによって統率されるものとがあるが,重要問題の決定はすべて,成年男子自由人全体の集会する〈民会〉にゆだねられており,王や首長の権力はきわめて制限されており,まだ支配者国家の体をそなえてはいない。しかしこのことは,キウィタスが純粋な民主制国家であったことを意味するわけではなく,民会は貴族の強力な指導権によって支配されており,またその他の点でも貴族の支配権がそうとう大幅に確立されていた。当時のゲルマン人の社会は崩壊期にある氏族制社会であり,国家的諸任務はまだ大幅にジッペ(氏族)の手にゆだねられており,政治団体としてのキウィタスの活動領域はきわめて制限されていた。しかし,ともかく氏族制はすでに崩壊期に入りつつあり,前述のように,ある程度の階層分化が進行しており(貴族や自由人のほかに半自由人や奴隷もある),このことが政治団体としてのキウィタスの成立を可能にしたものと考えられる。旧説によると,キウィタスの内部には〈ガウGau(pagus)〉や〈フンデルトシャフト〉のような下部組織があり,このうちフンデルトシャフトは裁判団体としての意味をもっていたとされたが,最近の学説はこれらの下部組織の存在を否定する傾向にある。キウィタスが崩壊して,確立された王政を伴う部族国家が形成されるようになったのは,民族大移動期(4世紀後半から6世紀末まで)のことに属する。
執筆者:世良 晃志郎
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古ゲルマン国家に対するローマ人の呼称。『ゲルマニア』には50以上の名があげられている。王政と貴族共和政のいずれもが,民会の決議を原則上国家の最高意志としていた。反面家柄尊重の風が強く,貴族支配の傾向が著しい。民族移動期に崩壊して部族国家へ移行した。なお初期中世の都市のうち,特に司教都市の呼称にもキウィタスが用いられた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…これによりライン川右岸の安全は確保され,〈上ゲルマニアGermania Superior〉と〈下ゲルマニアGermania Inferior〉とからなる属州が成立した(89)。ローマ化の基盤は,ガリア住民の城塞的集落(オッピドゥム)からローマの影響下に発展した都市(キウィタス)であった。以後,セウェルス朝(193‐235)まで続いたガリアの平和の時代では,属州経済はライン軍団の膨大な物質調達に依存したが,通商路の安全により,交易は活発化し,当地の大土地経営者と外部からの投資が盛んとなった。…
…氏族(ジッペ)の遺制とその観念は,たとえ擬制的なものであるにせよ,農村の生活,戦闘のやり方,私法上の諸慣習にかなり濃厚にみうけられるが,しかしそれらを越えた政治的なまとまりがあり,その公的な制度と秩序は厳然と保持されていた。そうした政治的まとまりは,全ゲルマニアをうって一丸とした領域国家ではなしに,ローマの著述家によりキウィタスと呼ばれた小国家の分立であり,しかもそれは地縁的なまとまりというよりも,本質的には人的な結合体という性格の強いものであった。 キウィタスの数は,タキトゥスの記述にみえるものだけでも50を超え,そのあるものは数個合して祭祀共同体をつくっていたが,政治上の単位はあくまでもキウィタスであった。…
…いきおい以下の叙述も,新旧両説の対比という色彩を帯びざるをえないが,両説の相違は基本的には,ゲルマン社会における階層分化の進展をめぐる問題にあるとみることができよう。
[王権の性格]
1~2世紀のローマの史家タキトゥスは古ゲルマン人の社会状態について《ゲルマニア》で詳述しているが,これによれば,その時代のゲルマン人はキウィタスと呼ばれる多数の小政治単位に分かれていた。タキトゥスは世襲的王(レクス)を頂くキウィタスと,全人民の構成する民会で選ばれる首長(プリンケプス)に統治されるものと,二つの政治形態を区別しているが,世襲王制は首長制に比べ,王の有する権力の強さによって特徴づけられるのではなく,王の家門が神に由来するという,王権の宗教的性格によって特徴づけられ,最近の研究はこれを神聖王権という概念で把握する。…
…それは,両者とも移動の過程で雑多な異民族と合体し,かつ変質していると思われるからである。 ゲルマン人についてみると,ゲルマニアの各地では,すでに2世紀の末ころから独自の移動が始まっており,古い政治的まとまりであるキウィタスが漸次に崩壊して,それに代わるより大きないくつかのシュタムStamm,すなわち部族集団が現れ,これが単位となって遠く東方へ,また南方へと移動が活発化していた。東西両ゴート族がたまたまフン族に接触することとなったのは,彼らがバルト海沿岸から2世紀末に移動を始め,定住と移動を繰り返しつつ南東方に進み,ようやく4世紀にいたってドニエプル,ドナウ両川に挟まれた黒海北岸一帯で,東ゴート,西ゴートに分かれて定住していたからである。…
※「キウィタス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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