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キヨソーネ Edoardo Chiossone

百科事典マイペディアの解説

キヨソーネ

イタリアの銅版画家。アレンツァノに生まれ,日本で没。パリ万国博覧会で銀牌(ぎんぱい)を受け,1875年来日して大蔵省紙幣寮で紙幣,切手などの原版を作製,銅版技術を指導。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

キヨソーネ Chiossone, Edoardo

キオソーネ

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世界大百科事典 第2版の解説

キヨソーネ【Edoardo Chiossone】

1832‐98
イタリアの銅版画家。ジェノバ市近郊アレンツァーノに生まれる。ジェノバの美術学校に学び,銅版画,石版画を研究。1867年パリ万国博で受賞,69年にはミラノのアカデミー会員となる。70年明治新政府がフランクフルトのドンドルフ社に紙幣製造を依頼し,彼がその原版彫刻に従事したのを契機に日本に招聘される。75年摺師とともに来日。紙幣寮(大蔵省印刷局)で紙幣,印紙,切手などを製作した。明治天皇,西郷隆盛,シーボルトなど多くの肖像画を残しているが,大久保利通の肖像画は日本におけるメゾチント(銅版画)の最初の作品。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

キヨソーネ
きよそーね
Edoardo Chiossone
(1832―1898)

イタリアの銅版画家。ジェノバ市近郊のアレンツァノに生まれる。同市の美術学校に学び、1867年パリ万国博覧会に作品を出品して銀牌(ぎんぱい)を得た。その後、銅版の技術を紙幣・公債証書などの印刷に応用すべくイタリアからドイツに派遣された。1875年(明治8)大蔵省紙幣寮(後の印刷局)彫刻師として日本政府に招かれ、銅版彫刻を応用した技術で各種の紙幣や切手の印刷に従事するかたわら、後進の銅版製作の技術指導にあたった。その間、明治天皇や西郷隆盛(たかもり)、大久保利通(としみち)らの肖像画をコンテ画や銅版画に作成している。日本美術工芸品の収集家としても知られ、ジェノバ市には彼の寄付によるキヨソーネ美術館がある。明治31年東京の自邸で没し、墓は青山霊園にある。[永井信一]
『隈元謙次郎著『明治初期来朝 伊太利亜美術家の研究』(1940・三省堂)』

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世界大百科事典内のキヨソーネの言及

【御真影】より

…これらの写真は最初は下付を目的としていたのではないが,たちまち地方官庁,軍隊等々に下付され,それを拝跪する儀礼がおのずと始まっている。 青年から壮年の君主に成長した明治天皇の〈肖像写真〉はその後長い期間,撮られることがなかったので,天皇の写真嫌いを懸念した側近の発案で,御雇外国人のキヨソーネが描き,それを写真家の丸木利陽が複製した〈写真〉が制作された。88年のことである。…

※「キヨソーネ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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