イタリアの銅版画家。ジェノバ市近郊のアレンツァノに生まれる。同市の美術学校に学び、1867年パリ万国博覧会に作品を出品して銀牌(ぎんぱい)を得た。その後、銅版の技術を紙幣・公債証書などの印刷に応用すべくイタリアからドイツに派遣された。1875年(明治8)大蔵省紙幣寮(後の印刷局)彫刻師として日本政府に招かれ、銅版彫刻を応用した技術で各種の紙幣や切手の印刷に従事するかたわら、後進の銅版制作の技術指導にあたった。その間、明治天皇や西郷隆盛(さいごうたかもり)、大久保利通(おおくぼとしみち)らの肖像画をコンテ画や銅版画に作成している。日本美術工芸品の収集家としても知られ、ジェノバ市には彼の寄付によるキヨソーネ東洋美術館がある。1898年東京の自邸で没し、墓は青山霊園にある。
[永井信一 2018年8月21日]
『隈元謙次郎著『明治初期来朝 伊太利亜美術家の研究』(1940・三省堂)』
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…これらの写真は最初は下付を目的としていたのではないが,たちまち地方官庁,軍隊等々に下付され,それを拝跪する儀礼がおのずと始まっている。 青年から壮年の君主に成長した明治天皇の〈肖像写真〉はその後長い期間,撮られることがなかったので,天皇の写真嫌いを懸念した側近の発案で,御雇外国人のキヨソーネが描き,それを写真家の丸木利陽が複製した〈写真〉が制作された。88年のことである。…
※「キヨソーネ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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