翻訳|Kinshasa
アフリカ中央部、コンゴ民主共和国(旧ザイール)の首都。コンゴ川(ザイール川)のスタンリー・プール(湖沼地帯)下流左岸に位置し、対岸のコンゴ共和国の首都ブラザビルと向かい合う。人口488万5000(1999)。かつてはベルギー国王レオポルド2世にちなんでレオポルドビルLéopoldvilleといったが、1966年、現在名に改称した。キンシャサとは、探検家スタンリーが植民地建設の基地を設立した当時の村名である。コンゴ民主共和国の政治、経済、交通、文化の中心地で、ベルギー植民地時代には総督府が置かれた。コンゴ川をはじめとする内陸水運の起点で、コンゴ川河口近くにあるマタディ港とは鉄道で結ばれる。1940年ごろまでの人口は10万に達しなかったが、50年代から急速に膨張し、67年には90万、73年には120万に達し、80年では270万、91年380万、99年488万5000と推定される。住民は地元のコンゴ人が人口の半分以上を占め、政治的にも経済的にも支配権を握っているが、全国各地や隣国アンゴラからの人口流入も多い。そのため共通語としてのリンガラ語が広く用いられている。植民地時代に建設された市域は、中心街の「6月30日(独立記念日)大通り」の周辺に近代的な高層ビルや商店が建ち並び、ゆったりした敷地の住宅街が広がっている。ゴルフ場や動物園などの施設も中心部にある。一方、旧市街の南方のカサブブ地区やギリギリ地区などは、1930~60年代にかけての人口増加に伴い建設されたアフリカ人の居住区である。
[赤阪 賢]
中部アフリカのコンゴ民主共和国(旧,ザイール)の首都。人口727万(2004)。コンゴ川下流左岸に位置し,対岸にはコンゴ共和国の首都ブラザビルがある。首都のある地点より下流にはリビングストン滝といわれる急流があり,下流のマタディまでは鉄道で結ばれている。首都から約1700km上流のキサンガニまでは,船舶による河川航路がある。国際空港は1959年に29km離れたヌジリに建設された。商工業の中心であるが,博物館,動物園,美術学校のほか,郊外にはキンシャサ大学(旧ロバニウム・カトリック大学。考古博物館,実験原子炉,各種研究所を付設),その他の学術・文化施設も多い。熱帯アフリカ最大の都市として活気にみちたところである。
かつてこの場所にはキンシャサとキンタンボという二つの集落があった。探検家スタンリーが1881年にキンタンボを物資補給基地とし,探検の後援者だったベルギー国王レオポルド2世の名にちなんで,レオポルドビルと名づけた。ベルギーは1880年代にキリスト教伝道所と貿易商社を設けた。98年には大西洋航路の港マタディとの間の鉄道が開通した。1926年にベルギー領コンゴの主都がコンゴ河口のボーマからレオポルドビルに移された。第2次世界大戦後に植民地政庁や外国企業の建物が近代化され,レオポルドビルは近代都市としての面目を整え始めた。1950年代にアフリカ各地で独立運動が激化し,59年1月レオポルドビルにも反ベルギー暴動が起こり,それを契機に60年6月ベルギー領コンゴは独立した。同年独立後の国内に内紛が起こり,レオポルドビルには国連軍が進駐した。65年大統領となったモブツ将軍は,翌年レオポルドビルを伝統的な地名キンシャサに変えた。
執筆者:西野 照太郎
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コンゴ民主共和国の首都。旧名レオポルドヴィル。コンゴ川における大型船舶航行可能流域の最下流部に位置する。植民地化以前から商品の集積地であったが,植民地期に大西洋岸の港町との間に鉄道が敷かれ,急速に発展した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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