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ギベルティ Ghiberti, Lorenzo

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ギベルティ
Ghiberti, Lorenzo

[生]1378. フィレンツェ
[没]1455.12.1. フィレンツェ
イタリアの彫刻家,画家,建築家,文筆家。 1409年金工家ギルド,23年画家ギルド,26年石工ギルドに加入。フィレンツェの人文主義者グループと交友。美術史,美術理論,自叙伝を含む『覚え書』 Commentariiを著わす。フィレンツェ,サン・ジョバンニ洗礼堂の2組の青銅浮彫で知られる。 01年,毛織物ギルドの企画になる7人の彫刻家による洗礼堂扉のコンクールに参加,最終的に F.ブルネレスキの作品 (バルジェロ国立美術館) に勝ち,彼の『イサクの犠牲』が1位となった。 03年「キリスト伝」をおもな題材とする扉浮彫に着手,24年に完成。次いで『天国の門』として知られる旧約聖書を題材とする扉浮彫に着手し 52年に完成。流麗な線と抒情的な物語表現に,ゴシック美術的性格を残してはいるが,当時,最新の知識であった透視図法を駆使して理性的空間表現を達成し,調和のとれた人体と写実的な建築や風景を融合し,絵画的な効果を発展させ,ルネサンス浮彫の様式を確立した。工房は死後も息子のビットリオによって継承され,15世紀フィレンツェ美術に大きな影響を与えた。他の彫刻作品に,オル・サン・ミケーレ聖堂の『洗礼者聖ヨハネ』 (1412~16) ,『聖マタイ』 (19~22) ,サンタ・マリア・ノベラ聖堂の『フラ・レオナルド・ダティ墓碑像』 (23) などがある。 04年にはフィレンツェ大聖堂 (→サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 ) のステンドグラス下絵を制作し,17~36年に,ブルネレスキとともに同聖堂のドームの建設にもたずさわった。

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百科事典マイペディアの解説

ギベルティ

初期イタリア・ルネサンスの代表的彫刻家。フィレンツェ生れ。1401年フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の洗礼堂青銅扉の浮彫コンクールでブルネレスキと最後まで優勝を争い,ブルネレスキの辞退により第1位になった。
→関連項目ウッチェロサンタ・クローチェ教会ドナテロミケロッツォ・ディ・バルトロメオロッビア

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世界大百科事典 第2版の解説

ギベルティ【Lorenzo Ghiberti】

1378‐1455
イタリアの彫刻家,金工家,画家,建築家。イタリアにおけるゴシック末期からルネサンス初期にかけての彫刻の分野で指導的役割を果たす。少年時代フィレンツェの金工家のもとで修業を積んだが,1400年にペストを逃れてフィレンツェを去り,ペーザロの領主マラテスタCarlo Malatestaの宮廷で画家として雇われた。これら初期の活動を裏づける作品は現存しない。09年に金工師組合,23年に画家組合,26年には石工組合にそれぞれ登録されている。

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大辞林 第三版の解説

ギベルティ【Lorenzo Ghiberti】

1378~1455) 初期イタリア-ルネサンスの代表的彫刻家。フィレンツェ本寺サン=ジョバンニ洗礼堂扉の浮き彫りを制作。その著「覚え書き」は美術史上の資料として重要。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ギベルティ
ぎべるてぃ
Lorenzo Ghiberti
(1378―1455)

イタリアの彫刻家。フィレンツェのサン・ジョバンニ洗礼堂の北側および東側のブロンズ門扉(もんぴ)の制作者として名高い。彼の主要な活動領域は彫刻であったが、そのほか建築、金属細工、著述にまで及び、初期ルネサンスにおけるもっとも著名な美術家の一人である。フィレンツェに生まれ、青年時代に一時生地を離れて、旅先で制作活動をしていたが、1401年に呼び戻され、洗礼堂北側門扉のコンテストに参加した。コンテストの課題は旧約聖書の物語「イサクの犠牲」であり、参加者は彼を含め7人であったといわれる。このときの応募作品のうち彼とブルネレスキによる2点のみがフィレンツェのバルジェッロ美術館に現存する。制作者に登用されたギベルティは1403年に制作に着手するが、門扉の構成は1336年にアンドレア・ピサーノが完成した南側のそれに倣って、扉を28個に枠どりし、キリスト伝などの諸場面を浮彫りで表現するものであった。1424年にひとまず北側門扉を完成し、翌1425年にはさらに東側門扉をも委嘱された。今度は構成を大幅に改め、10個の枠のなかに旧約聖書の諸場面を組み入れた。この門扉は1452年に完成するが、北側門扉の表現が国際的ゴシック様式を反映しているのに対し、東側門扉は古典的な伝統に立脚したルネサンス彫刻の出現を告げている。すなわち背景の建築構造に示された透視図法や、前景と後景との浮彫りの高低を際だてる彼独自の手法によって、奥行のある空間表現に成功している。この作品はミケランジェロの賛辞にちなんで「天国の門」と通称されるが、厚い金めっきが施され絵画的な表現効果を強めている。二つの門扉の間に認められるギベルティの様式上の急激な変化はドナテッロおよび古代彫刻の影響によるものと考えられる。彼の手になる丸彫り立像『聖ヨハネ』(1414・フィレンツェ、オル・サン・ミケーレ聖堂)は依然ゴシック様式であるのに対し『聖マタイ』(1422・同聖堂)には古典主義傾向がかなり目だっている。なお1447年ごろから着手された彼の著述『覚え書』I Commentariiは14、15世紀美術史研究の貴重な資料である。[濱谷勝也]

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世界大百科事典内のギベルティの言及

【自画像】より

…西洋の文献では,たとえば大プリニウスの《博物誌》に前6世紀の彫刻家の自刻像に関する記載があり,また中世にもそれに類する逸話や作品が伝存するが,モデルを特定できる作例は14世紀末ころ以降となる。プラハ大聖堂の彫刻家P.パルラーの自刻像(1374‐85)は現存するもっとも古いものの一つで,フィレンツェ洗礼堂扉のギベルティのそれ(1426)などとともに,みずから関与した記念碑的建築や彫刻作品の一隅に自身の肖像を残したいとする念願の表現である。中国や日本では自画像の観念は西洋よりも希薄で,画僧明兆が淡路島に住む母親へ送ったという自画像(14世紀中ごろ)などは例外的である。…

【素描】より

…これを完成作品の予備段階として芸術的に劣ったものとみるか,あるいは芸術家の精神により直接的にかかわるものとして重要視するかは,時代により個人によって多様である。
[素描と素描論の変遷]
 西欧ルネサンス期には,とくに素描の意義が重要視され,チェンニーニは,〈芸術の基本はディセーニョ(素描)と色彩にある〉と述べ,ギベルティは,〈素描は絵画と彫刻の基礎であり,理論である〉と述べ,L.B.アルベルティは,絵画の三要素は〈輪郭,構図,彩光(明暗)〉であるとし,この三要素のうちもっとも基本的なことは,〈空間と物体の境界〉としての〈線〉であるとした。これら初期ルネサンスの素描論の骨子は,空間と物体の明晰な認識とその表現の手段として,線による明確な輪郭づけが基本であるという考えである。…

【ドナテロ】より

…本名ドナート・ディ・ニッコロ・ディ・ベット・バルディDonato di Niccolò di Betto Bardi。梳毛工を父にフィレンツェに生まれ,1403年の記録ではギベルティの助手として名をあげられているので,おそらく彼の工房で彫刻の修業を積んだものと思われる。彼の確実な初期作品の一つである《ダビデ》(1408‐09,フィレンツェ,バルジェロ美術館)には,いまだゴシック様式をとどめているものの,ギベルティの優雅さやナンニ・ディ・バンコNanni di Bancoの荘重な量塊感覚とも異なる,対象への深い内面的洞察から生まれたエネルギーが,写実的造形手法とともにうかがえる。…

【ブルネレスキ】より

…公証人の息子としてフィレンツェに生まれ,絹織物業組合登録の金細工師として修業したのち彫刻家となる。1401年,サン・ジョバンニ洗礼堂北側門扉のブロンズ製レリーフ・パネルの制作競技に応募,〈イサクの犠牲〉を作ってギベルティと競い,入選を逸した。このころ,同洗礼堂と市庁舎を2枚の透視図(現存せず)に描き,アルベルティが理論づけた透視図法の創始者に数えられる。…

※「ギベルティ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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