クラクフ(英語表記)Kraków

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

クラクフ
Kraków

ポーランド南部,マウォポルスキェ県の県都。ドイツ語でクラカウ Krakau。ウィスワ川上流の盆地に位置するポーランド第3の都市。産業,学術,文化,観光の中心地で交通の要地。8~9世紀にはウィシラーニェ (ウィスワ人) の国家の首都であったとみられる。 10世紀ポーランド国家の一部となり,1000年に司教座が設置された。 1320~1609年ポーランドの首都。ヨーロッパ中部と黒海,ヨーロッパ南部とバルト海を結ぶ中世の貿易路上にあり,商業の中心地として発展。特にヤギェウォ朝時代 (1386~1572) に全盛を誇った。 1795年の第3次ポーランド分割後オーストリア領となり,1809年からワルシャワ公国領。 1815~46年クラクフ共和国の首都。 1846年のクラクフ革命の挫折により再びオーストリアに併合されたが,19世紀後半オーストリア領ガリチアの学術,文化の中心地となり,また独立運動,労働運動の拠点にもなった。 1939年以降ドイツの占領下にあったが,1945年解放。プラハ大学に次いで中部ヨーロッパ最古の大学,ヤギェウォ大学 (1364,カジミエシ3世〈大王〉によりクラクフアカデミーとして設立) をはじめ,11の各種大学がある。幾世紀にもわたって芸術の中心地として栄え,多くの文化遺産,博物館,美術館がある。ウィスワ川左岸にはクラクフで最も古い地区ワウェルがあり,ワウェル王城,聖母マリア聖堂 (15世紀の有名なゴシック様式の祭壇がある) ,織物展示場 (スキェニツェ) など多くの歴史的建造物が残る旧市街は,1978年世界遺産の文化遺産に登録された。北東にポーランド最大の鉄鋼コンビナートをもつノワフータ地区があり,西部地区が文教地区となっている。交響楽団,歌劇団,劇団なども多く,ワルシャワとともに活発な文化活動を展開する。主要産業は鉄鋼,繊維,化学,食品,印刷,製陶など。人口 75万 8544 (2002) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディアの解説

クラクフ

ポーランド南部の商工業・文化の中心都市。ドイツ名はクラカウKrakau。ビスワ川上流の河港で,鉄道の要地。戦後建設されたノバ・フータ地区の金属コンビナートを中心に,機械,車両,化学,食品,繊維などの工業が行われる。ポーランド最古のヤギェウォ大学(1364年創立)など歴史的遺産も多く残っているが,公害と資金不足から,一部は保存が危ぶまれている(歴史地区は1978年世界文化遺産に登録)。科学アカデミー,各分野の研究機関もある。1320年―1611年ポーランド王国の首都。1795年オーストリア領となり,1815年ウィーン会議の結果クラクフ共和国として独立。1846年―1918年再びオーストリア領。1939年―1945年はドイツ占領下のポーランド政庁が置かれた。75万7600人(2011)。
→関連項目ビエリチカ

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界遺産情報の解説

クラクフ

ワルシャワから約250km南に下ったところに、ポーランド第3の都市クラクフがあります。ワルシャワが政治・経済・ビジネスの都だとすれば、クラクフは歴史・文化・芸術の都。 市内には3,500以上もの文化遺産がちりばめられ、代表的なものにバベル城や中央市場広場などがあります。また、映画「シンドラーのリスト」の舞台となった街として有名で、第2次世界大戦時にはプワシュフに強制収容所がおかれ、多くのユダヤ人が殺されました。ユダヤ人居住区だったカジミエシには、今もユダヤ教の教会やユダヤ人墓地が残っています。

出典 KNT近畿日本ツーリスト(株)世界遺産情報について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

クラクフ【Kraków】

ポーランド南部,マウォポルスカ地方の文化・学術・工業の中心都市。同名県の県都。ドイツ語ではクラカウKrakauという。人口74万6000(1995)は,ポーランド第3位。ワルシャワの南約250kmに位置する。ビスワ川が南のカルパチ山脈から平野部に出る谷頭部に位置し,都市域はビスワ川左岸のバベル城を中心とする旧市街を核として両岸に広がっている。14世紀から300年にわたってポーランド王国の首都がおかれ,第2次世界大戦中にも戦禍を免れたため,古い文化遺産を多く残す歴史的都市で,コペルニクスが学んだヤギエウォ大学もある。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

クラクフ【Kraków】

ポーランド南部の都市。一四~一七世紀、ポーランド王国の首都として繁栄。同国最古の大学がある。第二次大戦後は鉄鋼業が発達。ドイツ語名クラカウ。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

クラクフ
くらくふ
Krakw

ポーランド南東部、マウォポルスカ県の県都。マウォポルスカ地方の文化、科学、産業の中心都市。人口は74万1510(2000)で、ポーランド第三の都市。ドイツ名クラカウKrakau。ビスワ川が南のカルパティア山脈から平野部に出る谷頭部に位置し、都市域はビスワ川左岸の丘にあるバベル城(12~16世紀)を中心とする旧市街を核に両岸に広がる。14世紀から300年間ポーランド王国の首都が置かれ、第二次世界大戦の戦禍を免れたため古い文化遺産を多く残す歴史的都市である。バベルの丘には城のほか、ポーランド王族の墓がある大聖堂(11~14世紀)がある。15世紀の壮大な祭壇画のあるマリアツキ寺院をはじめ、古い教会の数は50以上に及び、14世紀の織物館も残る。クラクフ国立博物館をはじめ美術館も多く、日本の浮世絵などを展示する日本美術・技術センターManggha(マンガ)が1994年に開館。1364年創立のヤギエウォ大学では、かつてコペルニクスが学んでいる。また、市はバルト海と黒海とを結ぶ交通上の要衝で、手工業時代以来の繊維、織物、食品加工、タバコなどの軽工業が発達する。第二次世界大戦後ノバ・フータ地区に鉄鋼コンビナートができ、ポーランド最大の鉄鋼基地として国の経済を支えてきた。[山本 茂]

歴史

8世紀ごろ城塞(じょうさい)が築かれ、10世紀後半にはチェコ人の支配下に置かれていたが、10世紀末ポーランド領となり、1000年には司教座が置かれた。1241年にはモンゴル人の侵入によって戦禍を受けたが、まもなく復興した。1257年都市法が制定され、1320年にはポーランド王国の首都になり、64年にはヤギエウォ大学が設立された。15世紀には、商業、手工業、文化の著しい発展をみたが、1596年(ジグムント3世が最終的に宮殿を移したのは1611年)のワルシャワ遷都後は市勢が衰えた。第三次ポーランド分割(1795)後はオーストリア領となり、1809年にはナポレオンによってワルシャワ公国に併合された。1815年のウィーン会議では、市とその周辺はロシア、オーストリア、プロイセンの保護下に置かれたクラクフ共和国として自治が許されたが、46年の独立蜂起(どくりつほうき)が敗北すると、ふたたびオーストリアに併合された。その後、オーストリア領ポーランドの政治や文化の中心地となり、第一次世界大戦後ポーランドに復帰した。第二次世界大戦中はドイツ軍の占領地総督府が置かれ、多くのユダヤ系市民がゲットーに監禁され、のち西方40キロメートルにあるオシフィエンチム(アウシュウィッツ)の強制収容所で虐殺された。戦争中、史跡などの破壊は免れ、1945年1月ソ連軍によって解放された。[安部一郎]

世界遺産の登録

歴史的な建造物が多く残る旧市街が1978年、ユネスコ(国連教育科学文化機関)により「クラクフ歴史地区」として世界遺産の文化遺産に登録された(世界文化遺産)。[編集部]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内のクラクフの言及

【ポーランド美術】より

…ポーランドの地には,ビスクーピンBiskupinに前500年前後と考えられる杭上住居の集落址があり,木の敷き道や住居が残り,また紀元後には,ボリンWolinなどで発見されている単純な木彫の神像があるが,本格的な建築,芸術活動はキリスト教受容以降のことである。すでに9世紀よりクラクフを中心として南部に,ロトンダ形式の教会堂(クラクフのバベルWawel城内の聖マリア教会など)が建てられ,モラビアよりのキリスト教伝道を示す。グニェズノを本拠とするミエシュコ1世が,966年キリスト教に改宗した後ポーランドを統一し,ドイツとの結びつきが強まると,しだいに建築も,ライン川流域やザクセンのドイツ・ロマネスクの様式に倣って,各地に建てられるようになった。…

※「クラクフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

今日のキーワード

トランスジェンダー

性別違和をもつ人々の総称。性別違和とは,体の性的特徴,出生時の体に基づいて判別された性別や,その役割に課される性役割,性別表現など,すなわちジェンダーへの違和感である。トランスジェンダーには,他方の性...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

クラクフの関連情報