ロシアの詩人,劇作家。モスクワ大学文学部と法学部を卒業,学位をとる準備中にナポレオン軍の侵攻があり,志願して騎兵少尉となる。後方勤務につくが,そのころから戯曲の翻案,執筆に手を染め,戦後ペテルブルグに出てからも,万事に派手な当時の社交界の風潮の中にあって劇界へ出入りし,詩や戯曲,評論を書いた。1817年から外務局に勤め,18年末外交使節団の一員としてペルシアへ派遣される。ペルシアとグルジアにあって,22年から24年へかけて《知恵の悲しみ》を執筆,それまで書いていた軽い〈サロン喜劇〉風の作品と違って,ロシア最初の本格的な喜劇の傑作となった。外国から帰った理想家肌の青年チャツキーが辛辣な毒舌を発揮して,阿諛,追従,賄賂のはびこる因襲的な社会との対立があらわになってゆく。ついにはチャツキーは気ちがいだという噂をたてられ,恋人にも裏切られて,幻滅して旅立つことになる。チャツキーはロシア文学における〈余計者〉の先駆者と言われる。28年グリボエードフはペルシア公使に任ぜられ,講和条約の締結に功があったが,翌年テヘランで暴徒に惨殺された。
執筆者:小平 武
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ロシアの劇作家、外交官。名門貴族出の神童としてモスクワ大学の諸学部に学び、多くの外国語と音楽に堪能(たんのう)な最高の知識人。1812年のナポレオン侵入による祖国戦争時代には軍務についたが、退役後外務省に入り、18年在ペルシア(イラン)公使館、22年以後カフカスのロシア軍司令部付外交官として勤務。ペテルブルグ時代のルイレーエフら革新的な青年士官たちとの交友関係からデカブリストの乱に関与した疑いで逮捕されたが、証拠不十分で釈放された。28年駐ペルシア特派大使となったが、ロシアの拡張政策に反対する暴徒の襲撃にあい殺害された。文学作品として、翻案の処女作『若い夫婦』(1814)ほか、数編の喜劇と名作『知恵の悲しみ』(1824)がある。
[野崎韶夫]
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