グリューフィウス(その他表記)Andreas Gryphius

改訂新版 世界大百科事典 「グリューフィウス」の意味・わかりやすい解説

グリューフィウス
Andreas Gryphius
生没年:1616-64

ドイツ詩人劇作家シュレジエン(現,ポーランドシロンスク)のグローガウ侯国にルター派牧師の子として生まれ,早くに両親と死別した。三十年戦争の宗教的迫害戦乱により修学地を転々としたが,多数の言語と人文自然諸学を習得し,1638年ライデン大学に留学して研究と教授を行うかたわら作劇法に通じた。43年帰国。翌年から3年間ヨーロッパ各地の見学旅行を行う。帰国後3大学から教授に招聘されるが断り生国にとどまり,50年法制長官に任命され終生その職を全うした。桂冠詩人でもあり,62年に〈結実結社〉会員に推挙。ドイツ盛期バロック文学の中心的存在であった。教会暦に則した《日曜祝日ソネット集》(1639)をはじめとするソネット,《キリスト受難に流す涙》(1652)ほかの頌歌にすぐれるほか,祝婚歌から埋葬詩に及ぶ機会詩もよくした。さらに古典劇(セネカ),オランダ近代劇,イエズス会演劇などへの見識に基づいた独自の歴史悲劇《チャールズ・スチュワード》《ゲオルギアのカタリーナ》などは長く影響を与えた。すべての作品は〈規範詩学〉の枠の中にありながら,初期より鋭くしかも重厚な言葉で,特にアレクサンドラン詩行にあっては,生と死,運命浮沈歓喜苦悩などの対立をとらえ,詩語と比喩・寓意表現の豊かさをもって,新たに始まったドイツ語文学の基礎を築いたといえる。また喜劇《ペーター・スクウェンツ先生》(1650年成立とされる)はしばしば上演され愛好された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「グリューフィウス」の意味・わかりやすい解説

グリューフィウス
ぐりゅーふぃうす
Andreas Gryphius
(1616―1664)

ドイツの劇作家、詩人。シュレージエンでルター派の牧師を父に生まれたが、早くして両親に死別。三十年戦争、宗教上の迫害、病苦に襲われつつも、20歳までには貴族の家庭教師をするまでになった。1637年桂冠(けいかん)詩人を名指される。38年付添い教師としてオランダのライデン大学に行き、翌年には哲学、歴史などの講義を行った。当時10か国の言語に堪能(たんのう)であったという。また劇作を研究し、43年に帰国。翌年から貴族の子息に従い3年間ヨーロッパ各国の都市と大学を歴訪。帰国後は官職につき、終生国を出ず法制長官の職を全うした。62年「結実結社」会員に推挙される。詩人劇作家としてドイツ・バロック文学の中心的活動を行った。初期のソネットをはじめ各種の叙情詩、ついで中期以降はとくに古典形式の悲劇をよくした。ストア派哲学とルター的信仰を基盤とした悲劇の代表作に『ゲオルギアのカタリーナ』(1647)などがある。

[轡田 收]

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百科事典マイペディア 「グリューフィウス」の意味・わかりやすい解説

グリューフィウス

ドイツの詩人,劇作家。生涯の大半を三十年戦争の戦乱のうちに送り,宗教的無常観を基調とするソネットオードを作った。ドイツ市民悲劇のさきがけといわれる《カルデニオとツェリンデ》や喜劇でも傑出。

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世界大百科事典(旧版)内のグリューフィウスの言及

【バロック劇】より

…また,聖体祭に野外の山車(だし)の上で演じられたスペイン独特の宗教劇〈聖餐神秘劇〉(カルデロンはこの劇作の第一人者でもあった)もバロック的な劇形式と言ってよいだろう。 ドイツにはさきのビーダーマンのほかにも,のちに多くのバロック的な劇作家が現れるが,例えば古典の洗礼も受けたA.グリューフィウスの劇は,無常感・恒常への志向,残酷場面の使用などにおいて,バロック的な特色を示している。 もちろんいわゆるバロック時代にも,古典的といってよい戯曲をもたなかったわけではなく,フランスの古典悲劇,古典喜劇の完成期(古典主義)も時代的にはこのバロックの時代にあたっている。…

※「グリューフィウス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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