ケアリー(読み)けありー(英語表記)Mathew Carey

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ケアリー」の意味・わかりやすい解説

ケアリー(Peter Carey)
けありー
Peter Carey
(1943― )

オーストラリアの小説家。ビクトリア州ジーロング近郊バッカス・マーシュ生まれ、10歳の時ジーロング・グラマーに転校。モナシュ大学理学専攻。作家モリス・ルーリー、バリー・オークリーらと、メルボルンの広告代理店のコピーライターとなる。2冊の短編集『歴史に現われた肥大漢』(1974)、『戦争犯罪』(1979)は、諸種定期文芸誌に随時発表した作品集。1980年度ニュー・サウス・ウェールズ州プレミア賞受賞。地元のみならず、イギリス、アメリカでも評判となる。小説では『至福(ブリス)』(1981)がマイルズ・フランクリン賞ほか2賞。続く『ペテン師(イリワッカー)』(1985)では、エイジ年間文学賞ほか3賞。『オスカーとルシンダ』(1988)には、1988年度ブッカー賞のほか地元でも4賞が与えられた。『税検査官』(1991)など長編のほかにも、1985年オーストラリア・フィルム協会賞を得た映画『ブリス』の共同製作者でもある。現実と超現実の交錯する寓意(ぐうい)性の強い作品群である。史実が綿密に計算されて仕組まれ、その的確さが現実味を印象づけるのだが、それは歴史への深い関心によるもので、父の影響である。

[古宇田敦子]


ケアリー(Henry Charles Carey)
けありー
Henry Charles Carey
(1793―1879)

アメリカの経済学者。M・ケアリーの子。フィラデルフィアで初め出版業に従事したが、1835年に実業界から引退し、以後は経済学の研究に専心して多数の著作を著した。彼は父の保護主義の経済思想を継承・発展させた。初期にはほぼ古典学派の学説にとどまったが、後期の著作では古典派経済学を批判し、「アメリカ体制」の立場にたつ経済学を完成させることになった。主著の一つ『経済学原理』Principles of Political Economy全3巻(1837~40)では、価値論として再生産労働費用説を、分配論では資本家、労働者、地主の利益調和論を展開した。リカード地代論とマルサス人口論に対する批判は『過去、現在、未来』The Past, the Present, and the Future(1848)でいっそう展開されたが、彼の学説はやがて『社会科学の原理』The Principles of Social Science全3巻(1858~60)において、人間のもつ協力原理に基づきその最終的な体系化が図られた。

[田中敏弘]


ケアリー(Joyce Cary)
けありー
Joyce Cary
(1888―1957)

イギリスの小説家。アイルランドに生まれる。エジンバラ大学やパリ遊学で絵画を学び、オックスフォード大学在学中カント、ブレークの著作に親しむ。1913年志願してバルカン戦争従軍。のちアフリカのナイジェリア政庁に勤務。第一次世界大戦では同地の連隊に所属、参戦して負傷。1920年帰国して作家生活に入る。独自の道徳的・政治的観点にたち物語性の濃い作品を発表。初期の『救われたアイッサ』(1932)、『ミスター・ジョンソン』(1939)などはアフリカに舞台と主題をとる。『いとしいチャーリー』(1940)、『子どもたちの家』(1941)は幼少年期を扱う自伝的作品である。ほかに2編の三部作があり、その1、『自分でも意外』『巡礼となる』『馬の口から』(1941~1944)は、三枚絵の技法を用い、作者の人生観が3人の語り手を通じて示される。その2、『恩寵(おんちょう)の虜(とりこ)』『主にあらずば』『栄光は去りぬ』(1952~1955)は、政治家チェスター・ニモの生き方を主軸にした作品。

[佐野 晃]


ケアリー(Mathew Carey)
けありー
Mathew Carey
(1760―1839)

アメリカの経済学者。H・C・ケアリーの父。アイルランドに生まれたが、1784年政治的理由からアメリカに亡命、フィラデルフィアに住んだ。ラ・ファイエットの保護によってジャーナリズムに入り、91年に出版業を始めた。1819年にフィラデルフィア国民産業促進協会を設立し、保護主義運動の推進に指導的役割を果たした。また当時、保護関税問題で政府と対立、アメリカに亡命中であったドイツの経済学者F・リストに援助を与えた。ケアリーは「アメリカ体制」促進の闘士として多くの小冊子を書いたが、主著『経済学論集』Essays on Political Economy(1822)において、アメリカ産業資本の発展の見地から、保護関税と、国内の諸階層の利益調和を目ざす国内改良計画とを強く主張した。

[田中敏弘]


ケアリー(John Cary)
けありー
John Cary
(?―1720ころ)

イギリスの商人、経済学者。ブリストルで西インドとの砂糖貿易に携わったが、のちには重商主義を主張する経済時論家として有名になる。イギリスの国民的利益の保護の立場から、一方で、イギリス国内産業たる毛織物の消費を妨害し国民の就業の機会を奪うものとして東インド貿易によるキャラコの輸入に反対し、他方で、原料の供給地および製品の市場として植民地の確保を主張した。貧民のための授産場の建設を推進するなど、高賃金論者としても知られる。主著は『イギリス貿易論』An Essay on the State of England in Relation to its Trade, its Poor and its Taxes(1695)。

[千賀重義]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ケアリー」の意味・わかりやすい解説

ケアリー
Carey, Mathew

[生]1760.1.28. ダブリン
[没]1839.9.16. フィラデルフィア
アメリカの出版業者,政治評論家。アメリカ国民経済開発政策初期の解説者,唱道者として最もよく知られる。 H.C.ケアリーの父。初め印刷業にたずさわったのちダブリンで新聞を編集,イギリス政府のアイルランド・カトリック教徒圧迫に反対したため迫害を受けてパリに逃れ,B.フランクリンのもとで働き,M.ラ・ファイエットを知った。 1784年アメリカに渡り,ラ・ファイエットの援助を得てフィラデルフィアで新聞を発行。 90年頃出版・書籍販売業に転じ,ヨーロッパ,アメリカの著作を多数出版してアメリカ文芸の成長に寄与した。また,フィラデルフィア全国産業促進協会の発起人となり,保護貿易論を主唱。アメリカの運河,高速道路,鉄道の発展は彼の宣伝活動に負うところが大きい。

ケアリー
Carey, Henry Charles

[生]1793.12.15. フィラデルフィア
[没]1879.10.13. フィラデルフィア
アメリカの経済学者,社会学者。著名な出版業者であった M.ケアリーの子。初め出版業に従事し (1817~35) ,その間に形而上学,心理学,社会学などを学び,1835年退職後はもっぱら研究と著述の生活をおくった。その経済理論は協力原理を特色としており,これに基づいて労使の利益調和論や農業,工業の調和のとれた均整経済論などを主張した。最初は古典派の立場をとっていたが,42年以降は国民主義派へと転じて保護貿易を唱え,アメリカ体制派経済学を確立した。主著『経済学原理』 Principles of Political Economy (3巻,37~40) ,『社会科学原理』 The Principles of Social Science (3巻,58~60) 。

ケアリー
Cary, John

[生]?
[没]1720?
イギリスの商人,経済学者。初め西インドの砂糖貿易に従事していたが,次第に経済理論に興味をもつようになった。その経済思想は重商主義の立場に立つもので,イギリス国内産業,とりわけ毛織物工業の振興を主張し,かつ植民地を積極的に原料供給地,製品市場と位置づけるものであった。こうした立場から彼は,当時イギリスに加工絹糸やキャラコをもたらしていた東インド貿易をイギリスの羊毛製品の消費を妨害するものとして批判し,イギリスからの羊毛原料の輸出の禁止,精製加工品の輸入の制限を主張した。また国内貧民の救済も産業興隆のために必要であるとし,授産場の設置や高賃金説を唱えた。主著『イギリス貿易論』 An Essay on the State of England in Relation to its Trade,its Poor and its Taxes (1695) 。

ケアリー
Cary, (Arthur) Joyce (Lunel)

[生]1888.12.7. 北アイルランド,ロンドンデリー
[没]1957.3.29. オックスフォード
イギリスの小説家。エディンバラ美術学校を経てオックスフォード大学卒業。第1次世界大戦中アフリカで負傷,その後施政官としてナイジェリアに勤務。 1920年からオックスフォードに定住して創作に専念。代表作の3部作,『自分でもびっくり』 Herself Surprised (1941) ,『巡礼となる』 To Be a Pilgrim (42) ,『馬の口』 The Horse's Mouth (44) は,ある画家とその周囲との対立をテーマとし,『恩寵の囚人』A Prisoner of Grace (52) 以下の次の3部作では政治家の生活を通してイギリス社会を描いた。ほかに,短編集『春の歌』 Spring Song (60) や評論『芸術と現実』 Art and Reality (58) など。

ケアリー
Carey, William

[生]1761.8.17. ノーサンプトンシャー
[没]1834.6.9. セランプール
イギリスのバプテスト教会の牧師,東洋学者。インドに医師 J.トーマスとともに派遣されてインドにおける近代伝道活動のパイオニアとなった (1793) 。ベンガルで活動,次いでセランプールに家族とともに居住し,J.マーシュマン,W.ウォードとともに伝道活動を行い,輝かしい成功を収めた。伝道のかたわら,フォート・ウィリアム大学のサンスクリット語,ベンガル語,マラータ語の教授となり,文法書,辞書 (『サンスクリット語文法』 Sanscrit Grammar,『ベンガル語-英語辞典』 Bengalee-English Dictionary) を著作,また聖書をベンガル語その他に訳した。

ケアリー
Carew, Thomas

[生]1594/1595. ケント,ウェストウィカム
[没]1640.3. ロンドン
イギリスの詩人。カルーとも呼ばれる。オックスフォード大学卒業後,大使の秘書となってイタリアに滞在,のちハーバート卿に従ってパリへ行き,1630年チャールズ1世の宮廷に仕えた。 B.ジョンソンの流れをくむ王党派詩人として,ことに恋愛小曲に長じたが,またダンの奇想にも心を寄せ,彼の追悼詩を書いた。多くの歌謡や抒情詩のうちで『恍惚』A Raptureが特に有名。

ケアリー
Carey, Henry

[生]1687?
[没]1743
イギリスの詩人,作曲家,オペラ作家。作品は喜歌劇『ウォントリーの竜』 The Dragon of Wantley (1734) など。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

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