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ラ・ファイエット La Fayette, Marie-Joseph-Paul-Yves-Roch-Gilbert du Motier, Marquis de

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ラ・ファイエット
La Fayette, Marie-Joseph-Paul-Yves-Roch-Gilbert du Motier, Marquis de

[生]1757.9.6. オーベルニュ,シャバニャック
[没]1834.5.20. パリ
フランスの軍人,政治家。富裕な武門の貴族出身で名誉心が強く,1777年アメリカ独立戦争に参加し G.ワシントンを助けて活躍,アメリカ,フランス両国から「新世界の英雄」とたたえられた。帰国して陸軍少将に昇進。 87年名士会の代表として政界に乗出し,89年5月オーベルニュの貴族代表となって全国三部会に参加。同年7月憲法制定国民議会が成立すると,アメリカ独立宣言をモデルとする「人権宣言」の第1次草案を提出し,議会の副議長に選出された。バスティーユ攻撃のとき,パリ市民軍司令官となり,この軍隊を国民衛兵軍として組織した。 90年7月シャン=ド=マルスの虐殺事件を指導,これがラ・ファイエットの人気と政治力の頂点であった。やがて議会内での彼の立場は,王党派からは革命派として,また急進派からは穏健派として攻撃されるようになった。サン=キュロットを弾圧し,立憲王政を主張してジャコバン派から離れ,91年フイヤン・クラブを結成。 92年8月 10日の革命により,軍団から指揮権を奪われ,彼の軍団も民衆側につき,議会からも追放された。アメリカ亡命を望んで国境を越えたが,オーストリア軍に捕われ5年間投獄された。 99年執政政府が成立するとフランスに帰国。その後ナポレオン帝政に反対して引退したが,1815年百日天下の際,下院議員として公生活に復帰し,議会の副議長としてナポレオン1世の退位に指導的役割を演じた。 30年の七月革命に再び国民衛兵司令官となりルイ・フィリップの立憲王政の樹立に尽力した。

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百科事典マイペディアの解説

ラ・ファイエット

フランスの軍人,政治家。貴族出身だが自由主義者で,アメリカ独立戦争(アメリカ独立革命)に従軍して名声を博した。旧制度を批判,フランス革命時に三部会議員。人権宣言起草に参加,パリ国民軍司令官となるが,フーイヤン派の領袖(りょうしゅう)として立憲君主制を主張して共和派と対立,1792年共和政樹立に際して亡命。
→関連項目フーイヤン・クラブ

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ラ・ファイエット
らふぁいえっと
marquis de La Fayette, Marie Joseph Motier
(1757―1834)

フランス革命期の政治家、軍人。オート・ロアール県のシャパニックの侯爵家に9月6日生まれる。旧貴族の門閥として、16歳で軍職に身を奉じた。アメリカ独立革命が起こるや、ただちに渡航して義勇軍に加わる。ワシントンの知遇を得、各地で奮闘。「両世界の英雄」とたたえられた。1787年2月名士会に勅選され、三部会の開催を強く要望、議会主義への志向を表明した。1789年5月の三部会に貴族部門から出馬し、そのまま憲法制定議会の議員として活動。フランス革命の精神を内外に宣揚すべき「人権宣言」の起草にあたった。1790年7月14日の連盟祭には、主催側を代表し、儀式の司会役を演じた。同時に国民衛兵の総司令官に就任し、ミラボーと並び初期革命の大立て者とうたわれた。宮廷にも食い入り、革命の激化につれ、立憲王制を守りぬこうとしてフイヤン・クラブを結成。1791年7月、王の退位を要求するコルドリエ・クラブら主催のシャン・ド・マルス人民集会を弾圧し、デモ隊に多くの死傷者を生ぜしめた。「1791年憲法」を支持し、立法議会の同志議員を院外から支援した。1792年4月、革命戦争の勃発(ぼっぱつ)後、ジロンド派内閣に請われて全軍の司令官に就任。6月20日パリ市民の宮廷乱入事件の報を聞くや、無断で前線からパリに直行し、議会でジャコバン・クラブはじめ過激な諸機関の閉鎖と、乱入事件の責任者の処罰を要求したが、いれられなかった。また国王に対し腹心の部下の守るコンピエーニュ宮への移転を促したが、王妃の反対を浴び、これまた失敗した。前線に帰った彼は、8月10日のパリ市民によるチュイルリー王宮襲撃事件と王政の停止を聞き、もはやフランスに身の置き場もないと考えてか、幕僚とともに敵オーストリア軍に降伏した。その後オルミュッツ(チェコ名オロモウツ)に拘禁され、1800年に帰国したが、ナポレオンの治下では隠棲(いんせい)を続け、王政復古とともに政界に帰り咲いた。1830年の七月革命には、自由派の市民の指導者として活躍。一時は大統領候補のうわさにも上るが、七月王政の成立とともに、ルイ・フィリップ王の国民軍司令官を務めるにとどまった。1834年5月20日没。[金澤 誠]

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