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ゲルツェン Gertsen(Herzen), Aleksandr Ivanovich

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ゲルツェン
Gertsen(Herzen), Aleksandr Ivanovich

[生]1812.4.6. モスクワ
[没]1870.1.21. パリ
ロシアの思想家,作家。学生時代革命的サークルを組織,卒業した翌年の 1834年逮捕され,5年間シベリアに流刑。流刑地から帰還後,哲学論文『科学におけるディレッタンティズム』 Diletantizm v nauke (1843) ,長編小説『だれの罪か』 Kto vinovat? (47) などを発表,40年代の思想的,文学的活動の指導者となった。 47年西ヨーロッパへ亡命,52年ロンドンに「自由ロシア出版所」を設立,新聞『鐘』 Kolokol (57~67) などを刊行,国外にいて専制政治と戦い,ロシアの革命運動に大きな影響を与えた。ほかにロシア思想史上の貴重な文献である回想記『過去と思索』を残している。

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デジタル大辞泉の解説

ゲルツェン(Aleksandr Ivanovich Gertsen)

[1812~1870]ロシア思想家・作家。革命運動で逮捕流刑ののち亡命。農村共同体を基礎とする社会主義を構想した。著「過去と思索」「誰の罪か」など。

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百科事典マイペディアの解説

ゲルツェン

ロシアの思想家,作家。大学時代から革命思想の研究を続け,西欧派最左翼として論文《科学におけるディレッタンティズム》や,小説《ドクトル・クルーポフの日記》《誰の罪か》などを発表。
→関連項目ビャトカ

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世界大百科事典 第2版の解説

ゲルツェン【Aleksandr Ivanovich Gertsen】

1812‐70
ロシアの思想家,作家。貴族を父,ドイツ官吏の娘を母として生まれ,父イワン・ヤコブレフは息子にドイツ語のHerz(心)に由来する新しい姓を与えた。14歳のとき盟友オガリョフと共に〈雀が丘〉(現,レーニン丘)でデカブリストの遺志を継ぎ,農奴解放と専制政治の打倒に生涯を捧げることを誓い,これを実行した。1829年モスクワ大学物理数学科に入学,オガリョフとサークルを組織,サン・シモン,フーリエらフランスの社会主義思想に傾倒した。

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大辞林 第三版の解説

ゲルツェン【Aleksandr Ivanovich Gertsen】

1812~1870) ロシアの革命的思想家・作家。農村共同体を基盤とする社会主義国家の実現を模索し、ナロードニキ思想の先駆となる。著「過去と思索」、小説「誰の罪か」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ゲルツェン
げるつぇん
Александр Иванович Герцен Aleksandr Ivanovich Gertsen
(1812―1870)

19世紀ロシアを代表する思想家、作家。名門貴族の庶子として生まれ、ドイツ語のHerz(心)に由来する新しい姓を与えられた。専制政治の打倒と農奴解放という少年時代からの志を、生涯を通して貫き、デカブリストと並んでロシア革命運動の先駆者の一人に数えられている。百科全書派からサン・シモン、フーリエに至る一連のフランス社会思潮に関心を抱き、とくにいち早くプルードンの思想に注目した。哲学的にはヘーゲル主義を「革命の代数学」と理解し、チェシコフスキーAugust Cieszkowski(1814―1894)の「行為の哲学」からフォイエルバハの『キリスト教の本質』に至るヘーゲル左派の歩みを踏襲、大陸合理論とイギリス経験論の総合を目ざして『自然研究書簡』(1844~1845年執筆、1845年刊)を書いた。1847年に出国し、そのまま亡命。1848年の六月事件に際会して近代市民社会の暗黒面を目撃、西欧文明への絶望の書『向う岸から』(1847~1850年執筆)を著し、歴史の西欧的発展の必然性を否定する一方、ロシア独自の発展の可能性を模索した。その結果、ミール(農村共同体)をきたるべき社会主義的社会の礎石として再認識し、ロシアの共同体原理と西欧の個の原理とを結合させた「ロシア社会主義論」を説き、ナロードニキ(人民主義者)に影響を与えた。1853年ロンドンに「自由ロシア出版所」を設立、ロシア国内での禁書の刊行、雑誌『北極星』Полярная Звезда/Polyarnaya Zvezdaや新聞『鐘』Колокол/Kolokol(1857~1867)の発行等に従事、ロシアの反政府運動を助け、他方、西欧の社会主義者・民族主義者とも広く交際し、ロシアと西欧の革命運動の連携を図った。晩年にはポーランドの民族解放運動の評価をめぐり国の内外で孤立し不遇であった。回想記『過去と思索』(1854~1860年代末ころ執筆)は自伝文学の白眉(はくび)と称され、また資料的価値も高い。小説家としての代表作に『誰(だれ)の罪か?』(1841~1846)がある。[長縄光男]

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世界大百科事典内のゲルツェンの言及

【ナロード】より

…この考え方には先進の西欧諸国民に対するロシア人の同等性,むしろ独自の優越性を誇示する自負がこめられており,一部のスラブ派パン・スラブ主義者たちに受け継がれた。一方,社会主義の立場に立つゲルツェンは,民衆とりわけ農民をナロードとしてとらえ,彼らが保持していた共同体的伝統を基盤にロシアの社会主義化をすすめるべきであると主張した。彼は1848年革命を亡命先で体験し,西欧文明のあり方に絶望した結果,この考えに到達したのである。…

【ナロードニキ】より

…ナロードニキ主義とは,後進国ロシアが先進資本主義,自由主義的西欧を拒否して,ロシアの共同体的伝統を手がかりとして,これに先進西欧の生み出した社会主義思想を結合することによって,資本主義発展の道を通らないでも,一挙に社会主義に進みうるし,進まねばならないとする思想である。 始祖はゲルツェンである。彼は,1848年革命で味わった西欧文明への深い絶望からこの思想を生み出した。…

※「ゲルツェン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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