コムギ(英語表記)wheat

翻訳|wheat

改訂新版 世界大百科事典 「コムギ」の意味・わかりやすい解説

コムギ (小麦)
wheat

コムギ属Triticum作物の総称。イネ科の一,二年草。最も広範な地域で栽培されて最大の生産量をあげ,イネ,トウモロコシとともに世界三大穀物の一つで,人類の主食をまかなう重要な作物。長い農耕の歴史の中でしだいに生産性の高い品種にかわってきたが,現在栽培されているのは大部分がパンコムギT.aestivum L.(英名common wheat,フツウコムギともいう)である。

コムギは一粒系コムギ(二倍種,染色体数2n=14,ゲノムA),二粒系コムギ(四倍種,2n=28,ゲノムAB),チモフェービ系コムギ(四倍種,2n=28,ゲノムAG)および普通系コムギ(六倍種,2n=42,ゲノムABD)の4群からなる。この4群は染色体数が異なり,顕著な異質倍数性(異種ゲノムの組合せによって構成される倍数性)のみられる好例とされている。各群に属する種を表に示す。

 一粒系コムギは野生種のT.boeoticum Boiss.と栽培種のT.monococcum L.の2種からなる。前者はギリシアバルカン,クリミア,ザカフカス,トルコ,シリア,イラク,イランに広く自生している。後者は現在,トルコ北西部,ルーマニアユーゴスラビアフランス,スペインなどに残存的に栽培されているにすぎない。二粒系コムギには野生種のT.dicoccoides(Körn.)Schweinf.と約7種の栽培種があり,野生種はパレスティナおよびイラン,イラク国境のザーグロス山脈山麓とトルコ南東部に分布する。栽培種は多型的でもっとも原始的なエンマコムギT.dicoccum Schübl.は現在イラン,エチオピア,ユーゴスラビアおよびスペインにわずかに栽培されているにすぎない。しかしマカロニコムギデュラムコムギともいう)T.durum Desf.は地中海から旧ソ連にかけてのヨーロッパ,エチオピア,中近東~中央アジア,アメリカ合衆国,カナダで広く栽培されている。チモフェービ系コムギは野生種のT.araraticum Jakubz.と栽培種のT.timopheevi Zhuk.の2種からなる。前者はザカフカスおよびトルコ,イラク,イランのザーグロスおよびトロス山脈の山麓に広く分布する。後者はザカフカスのグルジア地方に固有で,この地方にのみ栽培されていたにすぎない。普通系コムギには野生種はなく,6種の栽培種のみからなる。このうちパンコムギは現在世界でもっとも広く栽培されているコムギである。

前に述べたコムギ4群の植物学的起源は,おもに過去50年にわたる遺伝学的研究,比較形態学的研究,比較生化学的研究などによって,異なるゲノムをもつ二倍種の交雑とそれに伴う染色体数の倍加による異質倍数種形成によることが明らかになった。すなわち,二粒系コムギのT.dicoccoidesおよびチモフェービ系コムギのT.araraticumはまだ不明な点も多いが,野生一粒系コムギのT.boeoticumと近縁二倍種のクサビコムギAeqilops speltoides Tauschの交雑とその染色体数倍加に由来すると考えられ,普通系コムギは二粒系コムギの栽培種と近縁の野生二倍種であるタルホコムギA.squarrosa L.の交雑とその染色体数倍加によることがわかった。

 一粒系コムギの栽培種T.monococcumは,野生のT.boeoticumから,栽培二粒系コムギは野生二粒系コムギのT.dicoccoidesから,また栽培種のチモフェービコムギT.timopheeviは野生のT.araraticumから,それぞれ栽培化されて生じたものである。前に述べたようにパンコムギなどの普通系コムギは,栽培二粒系コムギ(おそらくT.dicoccumと考えられる)とその畑に雑草として生える野生のタルホコムギとの自然雑種に由来すると考えられている。以上のことを図示すると図1のようになる。

 では,これら4群のコムギを人類はいつ,どこで栽培化したであろうか。この問題は考古学的発掘によってえられたコムギ遺物の同定とその年代測定という古民族植物学的研究によって解くことができる。最近,南西アジアのいわゆる〈肥沃な三日月地帯〉において,新石器時代遺跡の発掘が大規模に行われ,コムギおよびオオムギの栽培化の問題を解く重要な鍵がえられつつある。

 野生一粒系コムギは前8000年のシリアのテル・ムライビト遺跡から出土しており,当時の先史住民は野生種を採集して食用としていたことがわかっている。この野生種から生じた栽培種は野生種と異なり,熟しても穂軸が自然に折れて脱落しないので区別しうる。この栽培種が最初に出土したのは前6500年のイランのアリ・コシュ遺跡からで,前6750年の有名なイラクのジャルモ遺跡からは,野生種と栽培種の中間と思われるものが出土している。一粒系コムギの栽培化は前7000年の肥沃な三日月地帯で始まったと推定される。しかしこのコムギは後述する栽培二粒系コムギに随伴してしばしば出土していること,またこの地域からムギ類の栽培が伝播(でんぱ)したヨーロッパでは,前4000年ころの新石器時代や,それより新しい遺跡にまれにしか出土していないので,このコムギの栽培は新石器時代でもあまり重要でなかったようで,特殊な地域を除いてはひろく栽培されなかった。

 二粒系コムギの栽培種は多型的である。もっとも原始的なエンマコムギは穎(えい)が硬くて脱粒しにくいが,イラン,イラク,トルコ,ヨルダンの新石器時代の遺跡から出土するので,前7000-前6000年に肥沃な三日月地帯で栽培化されたことを示している。とくに前述のジャルモからは野生種のT.dicoccoidesと相伴って出土し,その特徴は野生種から栽培種に向かう中間段階を示す。エンマコムギの栽培は急激に起こったものではなく,まず野生のT.dicoccoidesが植えられ,それから熟しても小穂の脱落程度の低い栽培型に近いものが生じたのであろう。このような中間過程では野生型のもの,栽培型のもの,それらの中間型が混植されていたことを物語っている。脱落性のないコムギからより多くの収穫が期待できるし,また収穫-貯蔵-播種(はしゆ)のサイクルを繰り返すことにより,自動的に脱落性のない完全な栽培型が先史人たちによって選択されたであろう。エンマコムギよりさらに進化したマカロニコムギは,前1000年ころのティグリス川やナイル川畔の遺跡で見いだされている。これらはエンマコムギに比べて穎がやわらかく脱穀が容易であり,皮性のエンマコムギより突然変異や交雑によって生じたものであり,ずっと歴史が新しい。エンマコムギは前5000-前4000年ころのヨーロッパの新石器時代に広く栽培されていたことが知られている。

 チモフェービコムギは,ザカフカス地域にのみ栽培が限定されており,その栽培化の歴史についてはまだよくわかっていない。

 パンコムギで代表される普通系コムギは,栽培種ばかりで野生種は知られていない。前に述べたように,この群は栽培二粒系コムギと野生のタルホコムギの間の雑種に由来したので,その雑種形成はタルホコムギの分布域内で起こったと考えられる。タルホコムギの主要な群生地帯は北西イラン,ザカフカス,カスピ海沿岸,トルクメン,アフガニスタン北西部である。パンコムギの最も早い考古学的出土品は,前5500年のトルコ,イラク,イランの遺跡から報告されているが,しかしこれらの地域は祖先種のタルホコムギの分布域と一致しない。今後,北西イラン,ザカフカス地方などの発掘が進めば,普通系コムギの確かな起源地とその年代が明らかになるにちがいない。パンコムギは栽培・脱穀・収量・製パンの点でひじょうにすぐれた特性をもっており,現在世界でもっとも広く栽培されているコムギである。

西南アジアの肥沃な三日月地帯で前7000年ころ栽培化されたコムギは,この地域から西へ小アジア全体に広がるとともに,バルカン半島あるいは地中海沿岸を経由して,ヨーロッパのドナウ川とライン川流域に前5000-前4000年ころ到達した。さらに前3000年にはヨーロッパ全域に広がった。北方へはかなり初期に黒海の西海岸全域にひろがり,南ロシア一円に到達した。北東へはイラン高原を経て,アラル海南部地方に前2500年ころ伝播し,南東へはメソポタミアを経て前2000年代にインド西部のインダス渓谷に達した。南方へは前4000年ころナイル川流域に達し,さらに前3000年ころにはアラビア半島を経由してアフリカ北東部に伝播した。中国には中央アジアを経て前2000年ころ伝播したと考えられている。新大陸へのコムギの導入はひじょうに新しく16世紀に入って,またオーストラリアには18世紀の初めに開拓民によってイギリスからもたらされた。
執筆者:

コムギ(パンコムギ)の茎(稈(かん))は節と節間からなり,9~14節間あるが,上部の4~6節間だけが伸長する。稈長は日本の品種は0.8~1m,外国品種は1.0~1.3mで長稈が多い。葉身は長さ30~40cm,葉鞘(ようしよう)との境目に葉舌と1対の葉耳がある。コムギの葉耳はオオムギより小さい。日本では5月ころに出穂・開花する。穂は複穂状花序で,品種により錐(きり)状,棒状,紡錘状など,いくつかの穂型に分かれる。穂軸の各節に2枚の護穎をもった小穂が互生する。小穂軸には5~10の節があり,各節に1小花がつく。しかし開花するのは下位の3~5小花,稔実するのは基部の3~4小花で,他は退化または発育不全となる。穎果は楕円球状で片側に縦溝がある。大きさは品種によっていろいろで,長さ4.5~6.9mm。日本産のコムギ品種では,千粒重は20~40g,外国の品種には大粒のものが多く,60g以上に及ぶものもある。

コムギは秋にまいて幼植物で越冬してから,春に出穂する秋まき性品種(冬コムギ)と,春に播種して,夏までに出穂結実する春まき性品種(春コムギ)とに区別される。秋まき性品種は,低温にあって初めて穂の分化・出穂に必要な生理的体制を獲得するもので,この過程を春化(バーナリゼーション,春化処理)という。春化に必要とされる低温期間の長短は品種によって異なり,この長短を指標として個々の品種の秋まき性程度が区分される。春まき性品種は秋まき性程度の最も低いものということができる。日本のコムギ栽培は秋まきを主体とするが,秋まき性程度の高い品種ほど北方あるいは標高の高い地域で栽培され,西南暖地ほど栽培される品種の秋まき性程度は低い。ただし北海道では一部春まき性品種を用いた春まき栽培が行われている。このような栽培の地域性を反映して品種数も多いが,農林61号は関東,九州をはじめとして全国栽培面積の1/3以上に作付けされる最も著名な品種である。世界的にみると,いわゆる〈緑の革命〉の原動力となり,中緯度地帯のコムギ生産を飛躍的に向上させたメキシココムギが著名である。この系統には,日本のコムギ品種農林10号の短稈性がとり込まれている。

コムギは食用作物のなかでも最も広く栽培され,スカンジナビア半島の北緯64°地点,ロシアやアメリカでは北緯60°地点を北限とし,南限地は南緯45°付近である。比較的乾燥した温暖な気候に適するが,とくに年平均気温10~18℃のやや冷涼な土地が最適とされる。降水量は年間100~1500mmの範囲だが,そのうち400~900mmの地域で多く栽培される。日本は平均気温10~16℃だが,年降水量が1200~1800mmと多く,とくに登熟期が梅雨期にあたるので好適とはいえない。

 日本での播種適期は,東北地方北部で9月中・下旬,東北の南・中部地方,北関東で10月上・中旬,北陸,山陰で10月中・下旬,関東南部で10月下旬~11月上旬,東海から九州地方にかけては11月中・下旬である。寒冷地ほど適期の幅は狭い。〈イネは地力でとり,ムギは肥料でとる〉といわれるように,収量は肥料に影響されやすい。窒素肥料は,10a当り10~13kgを,元肥に30~60%を施し,残りは分げつ盛期の12~1月の間(寒肥)と,出穂40~50日前に(春肥)追肥として施す。リン酸は10a当り7~9kg,カリは10a当り5~8kgを与える。堆肥は10a当り1000kg施用が標準である。種子消毒には,風呂湯浸法,冷水温湯浸法あるいは薬剤が用いられる。畑作で条間45~60cmの1条まき,水田裏作で条間120cmの2条まきが従来の標準であった。最近は条間15~25cm,株間3~6cmの機械によるすじまきも行われる。冬季には人力による麦踏みやローラーがけを行って,霜柱による根の浮上を抑え,同時に土壌水分の均一化や徒長の抑制などをはかる。コムギ畑,とくに秋まきでは雑草の発生が多い。秋の耕起と除草剤の利用によって雑草を防除する。出穂後40~45日目ごろ,粒の80%が淡褐色に変わり,硬くなったとき,あるいはそれより数日後が収穫適期である。乾燥・脱穀後,さらに水分含量11~12%まで乾燥させて貯蔵する。

穀粒の主用途は小麦粉である。穀粒の断面に,ガラス状に透明で堅い部分の多い粒を硝子(しようし)粒といい,これを粉にすると硬質粉が得られる。硝子粒が70~100%の品種を強力(きようりき)コムギあるいは硬質コムギという。粒の断面に透明部分がなく,全体が白く粉っぽく軟らかいものを粉状粒といい,軟質粉が得られる。粉状粒の品種は軟質コムギと呼ばれる。日本の品種はほとんどすべて軟質または中間質であり,硬質コムギはごくわずかしかない。硬質粉でタンパク質が約12%以上のものを強力粉といい,パン用にする。中間質粉でタンパク含量9%前後のものが中力粉で,おもにめん用である。軟質コムギから得られるタンパク含量が約8.5%以下の軟質粉は薄力粉と呼ばれ,ケーキ,ビスケットなどの菓子用にされる。コムギの国内消費量はほとんどが食料で,残りは飼料用,加工用である。製粉の際に除かれた皮部と胚がコムギふすまで,飼料にされる。胚はメンザイとも呼ばれ,ビタミンB1に富み,自然栄養食品とされる。デンプンは食用のほかのりとしての需要も多い。デンプンを除いた後に残るタンパク質成分である麩(ふ)質(グルテン)は,生麩および焼いて焼麩とする。粒はみそ・しょうゆなどの醸造原料としても重要である。

執筆者:

小麦は世界の多くの地域で栽培され,前述のようにひじょうに多くの種類があるが,生産量からいうとフツウコムギ(パンコムギ)とマカロニコムギ(デュラムコムギ)の2種が主体であり,通常“小麦”といえばこの2種のことである。この2種の小麦は栽培や取引上の都合から,産地や品種によって,あるいは冬小麦と春小麦,硬質と軟質などの細区分が行われ,さまざまな名称が用いられている。小麦は通常製粉されて小麦粉として食用にされる。小麦粉の主成分はデンプンであるが,グルテンという特殊な植物タンパク質を含んでいる。このタンパク質の特性によって,水を加えて練ると特別な粘弾性をもったドウdoughを作ることができる。このドウは多孔質なパンや細長いめんを作るのに最も適し,他の穀粉には見られない特徴をもつのである。パンもめんも広い嗜好適性をもった食品である。その起源は,両者とも遠く太古にさかのぼるといわれ,長い歴史の中で洗練されてきた食品である。そのさまざまなバラエティが世界中に分布している。小麦粉は,この二大食品の原料であるばかりではなく,菓子などにも使われるなど,穀粉の中では最も広く選好される傾向をもつようである。穀物貿易の中で,小麦が重要な位置を占めていることは,その食品としての性質が,世界の人々によって好まれているためであろう。

 世界の小麦栽培面積は2.2億haで,全穀物栽培面積の32%を占め,収穫量は5.4億tである。これに続く穀物が米の1.5億ha,5.5億t,トウモロコシの1.4億ha5.1億tである(数字はすべて1995年,FAO統計)。第2次大戦前(1934-38年平均,FAO統計)の世界の小麦生産量は1.7億tで,ソ連,アメリカ,中国が上位生産国であった。前述の数値と比較すると,この五十数年間で生産量は3.2倍に増加し,栽培面積も増大したが,単位面積当りの生産量も2倍に増加した。現在の主要な生産国は中国(1995年,1億0200万t),インド(同6300万t),アメリカ(5900万t),フランス(3100万t),ロシア(3000万t),カナダ(2500万t),ドイツ(1800万t),パキスタン(1700万t)などである。

 小麦の国際貿易は19世紀前半ころから行われるようになった。これは産業革命以降,先進国で小麦粉だけの白パンの消費が増加したことと関係している。当初はヨーロッパ内部の交易が主であったが,19世紀後半には新大陸からヨーロッパに向けて輸出されるようになった。20世紀に入るとこの傾向はいっそうはっきりとしてき,カナダ,アルゼンチン,オーストラリア,アメリカが四大輸出国となり,1930年代には世界の輸出量約1400万t(1934-38年平均)の70%を占めるようになった。主要な輸入国はヨーロッパ諸国で全体の80%を占め,中でもイギリスがその40%近くを占めていた。第2次大戦後はアメリカが第1の輸出国となり,1994年の世界の輸出量(1億1100万t)の約30%を占めている。次いでカナダ,オーストラリア,フランスなどが主要輸出国である。輸入国は大きく変わって西ヨーロッパが全量の約15%に減少し,最大の輸入国は中国(800万t)となり,日本も大輸入国(650万t)となった(以上の数字はすべてFAO統計)。すなわち,戦前の貿易パターンは,新大陸から西ヨーロッパへ向かう流れが主流であったが,現代(1980年ころ)ではアメリカ,カナダなどから,旧ソ連,中国など社会主義諸国へ,アジア,南アメリカなどの開発途上国への輸出と,EC(現,EU)諸国間の域内流通が小麦貿易の主流となった。日本も主要輸入国の一つとなり,いわば多極的な交易が行われるようになったのである。また輸出国,輸入国ともに小麦の交易について政府が直接に介入しており,このため国際市場は豊凶などの自然条件の変化のほかに,政治・経済の複雑な諸条件の組合せの下で,激しく変動するようになった。

日本における小麦生産の歴史は,弥生時代までさかのぼって確かめられており,近年は縄文時代晩期にさえも行われていたらしい証拠が出始めている。小麦栽培の普及は奈良時代以降で,調味料としての醬(ひしお)や菓子原料とされた。8~12世紀には救荒作物として栽培が奨励され,鎌倉時代初期(1200年ころ)には米麦二毛作(水田に夏作として水稲,冬作として麦類を栽培)も成立していたと推定されている。地域的な差異もあるが,日本の農業は水稲を主穀とし,水田の開けない耕地に麦類,さらには水田の裏作にも麦類を栽培する方向に進んできたと考えてよい。麦類の中では,大麦を自家消費用,小麦を販売用とする傾向があったようである。そうめん,まんじゅうなどの小麦粉加工品は古くから商品化されており,江戸時代初期にはめん業の特産地が各地に形成されていた。

 1880年ころの生産状況をみると,小麦の栽培面積は36万ha,生産量は29万tで(1878-82年平均,農林水産業累年統計表),これは全麦作の栽培面積で26%,収穫量で21%に相当する。なお,当時の米は栽培面積254万ha,生産量446万tであり,日本農業の中で小麦作の地位は低かった。生産はその後しだいに増大したが,急速な発展は1933年ころからで,40年には栽培面積83万ha,生産量179万tとなった。戦前戦後を通じての最大量であり,生産拡大の一般的な基礎条件として,国内製粉工業の発達や,相対的過剰労働力の圧力などがあげられる。とくにこの時期の急進展には,農村恐慌対策として行われた32年の〈小麦増殖五ヵ年計画〉や,同年に行われた小麦輸入関税引上げ(100斤ごと1円50銭を同2円50銭に)の効果が大きかった。小麦の国際価格は当時著しい低落傾向を示しており,関税引上げはその国内小麦作への影響を防止したのである。このころの小麦需給は〈内需内麦・外需外麦〉といわれ,国産小麦はおおむね国内消費にあてられ,輸入小麦は小麦粉に製粉して中国などに輸出された。このころの小麦粉の輸出量は,全生産量(1935年ころは約100万t)の30%前後であった。第2次大戦となって小麦の需給も逼迫(ひつぱく)し,42年には食糧管理法が制定され,小麦は米とともに政府の管理物資となった。

 第2次大戦後,小麦の生産量は一時期(1945-47)の激減を除けば,62年ころまで比較的安定していた。しかし63年ころからアメリカを始めとする安価な輸入小麦に押されてしだいに減少傾向を示し,73年には栽培面積7.5万ha,生産量20万tとかつてない水準にまで落ち込み,同年の小麦自給率(国内消費仕向け量に対する国内生産量の比率)は4%となった。自給率4%の水準は77年まで続き,78年からいくぶん上昇傾向が見られるようになった。これに対し,小麦の消費量は戦後著しく増大し,1933-38年の国民1人当り年間消費量約10kgが,94年には33kgとなっている。94年の国内生産量は57万t,輸入量は604万tで,増大した消費量はもっぱら輸入によってまかなわれ,主要な輸入先はアメリカ,カナダ,オーストラリアである。

 小麦の価格(麦価)は,食糧管理制度によって政策的に操作されている。戦後食糧事情が好転するようになって,いわゆる逆鞘(ぎやくざや)の傾向が著しくなった。政府の買入価格(生産者価格)が,売渡価格より高い状態が逆鞘で,1980年ころには買入価格が売渡価格の約3倍となっていた。一方,輸入される外国産小麦はすべて政府によって買い受けられる。この外麦の売渡価格は需給状態や国産小麦価格とのバランスも配慮して決められるので,国際価格の変動とは切り離されている。基本的には割高となることをまぬがれない。

 食管制度下の小麦の国内流通は,供給と価格の安定を保ちえているが,生産者価格とも国際価格とも隔離された硬直的な価格となっている。小麦作は食管制度の下で,米作と並んで保護されているといってよいが,米作とはまったく反対の動向を示した。これは小麦作がおもに裏作として,小農経営の中で過剰労働力の消化のために行われていたことと関係している。高度成長期に,農村の過剰労働力が他産業に吸収されれば,小麦を含む麦作は減少せざるを得なかった。食管制度の下での価格政策も,これをくいとめることはできなかったのである。このような小麦作の動向は,日本農業の体質的な問題点を端的に表すものといってよい。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

栄養・生化学辞典 「コムギ」の解説

コムギ

 [Triticum aestivum],[T. durum].カヤツリグサ目イネ科パンコムギ属の越年草の植物体やその種子.世界的に重要な作物,穀物.

出典 朝倉書店栄養・生化学辞典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のコムギの言及

【米】より

…イネの種実をいう。収穫された米はもみ殻をかぶっており,これを〈もみ(籾)〉という。日本では,もみ殻をはずした玄米の形で包装,集荷,貯蔵するのが多いが,最近一部ではもみのばら集荷,貯蔵が行われている。外国では米はすべてもみの形で集荷,貯蔵される。玄米を精米機にかけて,ぬか層や胚芽を取り除いたものが精米(白米)である。米は小麦とともに人類の最も重要な食糧だが,小麦がソ連やアメリカなど冷涼で比較的乾燥した地域で生産されるのに対し,米は日本をはじめアジア南部など高温で水の豊富な地域で生産される。…

【植物】より

…生物界を動物と植物に二大別するのは,常識の範囲では当然のように思えるが,厳密な区別をしようとするとさまざまな問題がでてくる。かつては生物の世界を動物界と植物界に二大別するのが常識だったが,菌類を第三の界と認識すると,それに対応するのは狭義の動物(後生動物),狭義の植物(陸上植物)ということになり,原生動物や多くの藻類などは原生生物という名でひとまとめにされ,また,これら真核生物に比して,細菌類やラン藻類は原核性で,原核生物と別の群にまとめることができる。…

【夏成】より

…中世には〈夏済〉とも書く。夏季に上納される済物,すなわち納期を夏とする年貢などを意味する語。夏成に対比されるのが〈春成〉〈秋成〉で,それぞれ春と秋を納期とするものであった。〈夏麦〉〈麦地子〉などと史料にあるように,一般的には大麦・小麦など麦地子が多かったが,銭納の場合もみられる。戦国家法の一つ《結城氏新法度》(1556)の101条に〈郷中より年貢の取様,夏年貢は五月端午の日より,六月晦日に立て切るべし。…

【麦】より

コムギオオムギライムギエンバクなどの植物やその子実の総称。単に麦といえばとくにオオムギとコムギとを区別せずに示す場合が多い。…

※「コムギ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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