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サド Sade, Donatien Alphonse François, Comte de

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

サド
Sade, Donatien Alphonse François, Comte de

[生]1740.6.2. パリ
[没]1814.12.2. セーヌ,シャラントン
フランスの小説家。通称マルキ・ド・サド Marquis de Sade。伯爵であったが侯爵と呼ばれる。軍人になったが,スキャンダルを起し投獄され,以後生涯の3分の1以上を獄につながれ,精神病院で死んだ。その作品に倒錯性欲を描いたため (サディズムという言葉は彼に由来する) ,わいせつと不道徳を理由にあらゆる検閲を受けたが,20世紀に入ってから,人間の根源的自由を求めて大胆な挑戦を試みた者として高く評価されるにいたった。主著『ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』 Justine,ou les Malheurs de la vertu (1791) ,『新ジュスティーヌ』 La Nouvelle Justine (97) ,『ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え』 Histoire de Juliette,ou les Prospérités du vice (97) ,『ソドム 120日』 Les 120 Journées de Sodome (85執筆,1904刊) など。

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百科事典マイペディアの解説

サド

フランスの作家。通称マルキ・ド・サドMarquis de Sade(サド侯爵)。名門の侯爵で,父は伯爵。1768年の女性虐待事件以後,スキャンダルや筆禍事件で監獄暮しを繰り返し,大革命とともに1790年釈放。
→関連項目渋沢竜彦ポルノグラフィー

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世界大百科事典 第2版の解説

サド【Donatien Alphonse François de Sade】

1740‐1814
フランスの小説家。通称マルキ・ド・サドMarquis de Sade(サド侯爵)。ペトラルカの愛人ラウラを家系にもつサド家はプロバンス地方の名家だった。七年戦争に参加したのち,司法官の娘と結婚したが,アルクイユの乞食女鞭打事件(1768),マルセイユのボンボン事件(1772)などのスキャンダルを引き起こし,ために生涯の3分の1以上を獄中で過ごすことになる。バンセンヌおよびバスティーユの獄中で精力的に執筆活動をした。

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大辞林 第三版の解説

サド


サド【Donatien Alphonse François de Sade】

1740~1814) フランスの小説家。通称サド侯爵(Marquis de Sade)。異常な性を描きサディズムの語を生んだが、既成の宗教を批判、人間の暗部を鋭くえぐった。小説「美徳の不幸」「悪徳の栄え」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

サド
さど
Donatien-Alphonse-FranoisMarquis de Sade
(1740―1814)

フランスの作家、思想家。通称マルキ・ド・サド(サド侯爵)。詩聖ペトラルカにたたえられた美女ラウラ・デ・ノベスLaura de Noves(1310―1348)の血を引く由緒ある貴族の家に生まれる。10歳でイエズス会の名門校であるパリのルイ・ル・グランに入学、4年後には選良貴族の子弟を教育するシュボ・レジェ校に進み、1755年には国王付き歩兵連隊の士官に任命されている。しかしその後、物ごいをしていた女を監禁したうえに拷問にかけたという「アルクイユ事件」(1768)、また娼婦(しょうふ)たちを集めて乱行に及んだという「マルセイユ事件」(1772)で醜聞を引き起こす。毒殺未遂と男色のかどで官憲に追われる身となったサドは、入獄と脱獄を繰り返したのち、1784年からバスチーユの「自由の塔」に拘留される。このころすでに囚人作家として出発していたが、当局から危険視され、シャラントン精神科病院に移され、ここで大革命を迎える。大革命によって自由の身となるが、反革命の嫌疑で逮捕(1793)、出獄後に『新ジュスチーヌ』(1797)が良俗を乱すという理由でまたもや捕らえられ、シャラントンで没。
 彼の作品には3種の『ジュスチーヌ』のほか、『ソドムの百二十日』(1785年執筆、1904年刊)、無神論の宣言ともいうべき『司祭と瀕死(ひんし)の病人の対話』(1782年執筆、1926年刊)、『閨房(けいぼう)の哲学』(1795)、書簡体長編小説『アリーヌとバルクール』(1795)、最晩年の傑作『ガンジュ侯爵夫人』(1813)などがある。中短編小説集『恋の罪』(1800)に付された「小説論」は、サドのロマン派志向をよく示している。[植田祐次]
『澁澤龍彦訳『新・サド選集』全8巻(1965~1966・桃源社) ▽澁澤龍彦訳『閨房哲学』(角川文庫)』

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世界大百科事典内のサドの言及

【エロティシズム】より

…西欧のエロティシズムの歴史は18世紀の自由思想とともに,根本的な変化を生ずる。あえて宗教的束縛に挑戦したスペイン説話の主人公ドン・フアン,性の全面的自由と個人主義を主張したサド侯爵や,カザノーバのような文学者があらわれるからだ。とりわけサドはエロティシズムの歴史の分水嶺に立っており,その影響は現代のバタイユにまで直接に及んでいる。…

【スカトロジー】より

…それは作者が自己の深い挫折感,ペシミズム,人間憎悪などの感情のはけ口を糞尿のイメージに求めているからだと解釈できる。この型に属するもうひとりの作家としてサドを挙げることができる。彼もまた当時の社会に対するラディカルな反逆児であり,それゆえ深い疎外感を抱いていた。…

【ポルノグラフィー】より

…この世紀は〈ポルノグラフィーの黄金時代〉ともいわれている。たしかに快楽主義が流行し,サドやカサノーバが性のユートピアを追い求めた。J.クレランドの《ファニー・ヒル》(1749),サドの《ジュスティーヌ》に対抗して書かれたレティフ・ド・ラ・ブルトンヌの《アンティ・ジュスティーヌ》(1798)などのポルノグラフィーの傑作がこの時代に書かれている。…

※「サド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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