サンディカsyndicat(組合)を語源とするフランス語で組合の形態をとる社会的運動を指す。英語ではシンディカリズムsyndicalism。しばしば運動主体の職業的性格(労働者,農民,経営者など),または思想的傾向(革命的,改良主義的,キリスト教系など)を示す形容詞を付して用いられ,単独に使用される場合は多く労働組合運動を意味する。だが,この語が定着した当時,フランス労働組合運動では組合運動を通じて革命を達成しようとする,いわゆる革命的サンディカリスムsyndicalisme révolutionnaireが主流を占めていたため,国際的にはサンディカリスムの語はこの運動,もしくは類似の傾向を意味する固有名詞として使用されることになった。以下はこの用法に従っている。なお,この運動に示唆を受けて独自の理論を展開したG.ソレルらの思想をサンディカリスムと称した例がかつて見られたが,今日ではこの用法は行われていない。
1860年代に出現したフランス労働組合運動は80年代後半にいたって本格的発展を迎えるが,二つの歴史的条件がその展開を規定した。第1はパリ・コミューンの経験である。これは組合運動に,コミューンの再現を目ざす,広義の社会主義的傾向を与える一方,政府に対しては組合を危険なものとする判断を与え,長期にわたって弾圧政策をとらせた。これらは一方ではきわめて高い戦闘性を組合員に与える反面,組合員の数を限定させて組織率の低さをもたらした。第2の条件はフランス経済の相対的な後進性である。フランスでは手工業的な小規模経営が広範に存在し,この結果,労働組合は伝統的職種の熟練工により企業を超えて職能別に編成されることになった。これらの労働者の生活水準は地域と職能によって多様であり,当時西欧諸国で普及しつつあった法制的措置による労働条件改善に期待することができず,むしろ個々の職場で,自己の有する高度の技能を武器として,直接に経営者に対峙する闘争形態をとらせた。
こうした状況のもとでサンディカリスムの基礎を築いたのは,92年に生まれた全国労働取引所連盟であった。これは元来,1886年に結成され,ゲード派の指導下にあった全国労働組合連盟に対抗して,ブランキ派,アルマーヌ派などの活動家によって結成されたものであったが,ゲード派が議会活動による労働立法制定を企図したのに対して,この組織は地域の実情に応じて労働者を職能別に組織,その職場闘争を支援していた労働取引所を全国的に組織し,その育成を図ることによって歴史的条件に合致する運動を展開したのであった。他方,この組織は,非議会主義的な運動形態と,連邦主義的な組織形態によってアナーキスト活動家を引きつけた。このうちF.ペルーティエは95年以降,書記長に就任,組合運動を未来社会建設の展望のうちに位置づけてサンディカリスムの思想的骨格を築くとともに,精力的に労働取引所の増加,加盟組合の増加を図ったのである。
他方,全国労働組合連盟ではゲード派の指導を嫌う活動家によって,組合運動の目標をゼネストにおく提案がなされていたが,94年,これの採決をめぐって,ゲード派が敗退するにいたった。ゼネストの原則は,ゲード派の主張する議会進出による政治権力奪取の路線を否定して,ゼネストによる社会革命を主張するものであると同時に,組合運動に対する政治・政党の指導性を否定する意味をもった。
95年,非ゲード派によって,新たに労働総同盟(CGT)が結成され,傾向の類似する二つの組織が併存することになった。まもなく総同盟は労働取引所の生み出した各地の個別組合を職能別全国連合体に編成しつつ吸収したため,二つの組織がほぼ同一の組合によって構成されることになった。1902年,両者は合体し,労働総同盟の名のもとに単一の中央組織が結成された。
新しい総同盟においては,社会主義運動の議会主義化と,これに伴う知識人党員の支配を嫌って諸党派を離れ,組合に活躍の場を求めた若い活動家層が主導権を確保し,アナーキスト系活動家とともに革命を目標とする組合運動を推進した。当時,革命派の名で呼ばれた一群の活動家の推進したこの運動が,サンディカリスムの運動にほかならない。
サンディカリスムの思想は運動の展開のなかで漸次的に生み出された諸命題から構成される。その思想像は時期による微妙な差異を有しているが,平均的な概要はアミアン憲章に示されていると考えられる。それを要約すれば,ほぼ以下のとおりである。(1)資本家と労働者の二大階級は永遠に和解しえない対立関係にあるから,労働者の解放は資本主義経済体制の全面的廃棄による以外にはありえない。(2)階級闘争は政治的党派とは無関係に,労働組合に結集する労働者自身によって担われ,直接行動,すなわち職場における経営者との闘いによって果たされる。(3)労働者の解放をもたらす社会革命はゼネストの形態によって実施される。(4)革命後の社会においては組合と労働取引所は,社会再編の基礎的単位として経済生活の運営にあたる。(5)かくて組合は労働条件改善のための日常的闘争と革命を目ざす闘争の二重の任務を担わなければならない。
同時代の労働運動の一般的潮流に比較した場合,サンディカリスムの独自性は(2)(3)に挙げた政党,議会への反発およびこれに基づくゼネストの称揚に見られるが,その背景にあったものは,この時代の労働者のおかれていた前述の歴史的状況であった。(4)に示された未来社会像について見れば,これはパリ・コミューンの再生と増殖のイメージのうちに,19世紀前半以来の労働者国家の夢が語られているのであって,サンディカリスムの思想は全体として,19世紀フランス労働者の世界観と願望を世紀末ないし20世紀初頭の状況に合わせて再編成したものであった。
だが表現形態のアナクロニズムにもかかわらず,この思想は具体的な運動を通じて,19世紀の熟練工の労働運動を20世紀の非熟練型工場労働者の運動に転換させる機能を果たし,さらに,労働運動が政党を通じて系列化され,労働条件の改善を代価として帝国主義的諸政策に協力すべく転換しつつあった同時代のヨーロッパ諸国の傾向に対して,独自の批判的視点を打ち出すものであった。
サンディカリストの努力は,直接には労働者の組織強化をもたらした。総同盟加盟員は1902年の12万から12年の69万へ,またフランス全組織労働者中に占める総同盟加盟員の比率は同じ時期に20%から70%へと増加した。
他方,これに並行してサンディカリストの主導のもとに職能別組織の産業別組織への転換が図られた。これは経営者側の結束強化に対抗すると同時に,増大する非熟練労働者の組織化を促進するための措置であったが,この再編は一面,サンディカリスムの基礎であった熟練工の小規模組合を消滅に向かわせるとともに,金属,土木建築,運輸などの大組織を出現させ,炭鉱,公務員などの総同盟加盟ともあいまって,かつて拒否した行政当局との交渉,政党との接触をしだいに不可避なものとし,総じて総同盟内部における革命派の地位を低下させることとなった。1901年以来総同盟書記長の座にあった革命派の総帥V.グリフュールは08年に引退し,09年以後その路線を引き継いだ書記長L.ジュオーはやがて14年,第1次世界大戦勃発に際して戦争遂行への協力を明確にして,サンディカリスムの衰退を促した。
大戦後,旧革命派は国家への協力を代償に労働条件の改善を図るジュオーら多数派,共産党との結合により革命を追求するモンムッソーG.Monmousseau,革命を志向しつつも政党への従属を拒否するP.モナトなどの諸傾向に分散し,おのおのが別個の中央組織を結成するにいたった。
20世紀初頭以来,サンディカリスムはフランスの国外に紹介され,類似の運動の成立を促した。最も重要なものはスペインにおけるものである。19世紀後半,バクーニンの影響を色濃く受けた第一インターナショナル・スペイン支部〈スペイン地方連合〉は,政治権力の掌握を目ざすマルクス派を除名し,権力の破壊をスローガンとするアナーキズムの砦となった。しかし20世紀初頭まで,〈地方連合〉の活動はテロリズム的活動に終わった。1889年の第二インターナショナルの成立は,アナーキズムの没落的傾向を促進させたが,20世紀初頭フランスから導入されたサンディカリスムは,アナーキズムの運動に新局面を開き,〈アナルコ・サンディカリズム〉として再生した。1911年には全国労働者連合confederatión nacional de trabajo(CNT)が結成され,19年にはその加盟人数は約71万人にも達した。
アメリカにおけるIWW(世界産業労働者)の運動も本来土着的な運動が思想的表現を借用したものである。イギリスではT.マンらのシンディカリスト・リーグがサンディカリスム型(イギリスではトレード・ユニオニズムと呼ばれた)の運動を指導し,港湾労働者などの間に影響力を与えた。イタリアにおける同種の試みは社会党内少数派のものにとどまり,労働組合運動に影響を与えることはなかった。このほか労働者の組織化を図ったアナーキストがサンディカリスム型組合運動の構築を試みた例がドイツ,アメリカ,日本などに見られた。
幸徳秋水による最初の紹介(1906),大杉栄,荒畑寒村らの〈センジカリズム研究会〉(1913発足)の活動を経て本格的な組合運動が登場したのは1910年代末である。この運動は高度の技能をもって職場を渡り歩く職人型の熟練印刷工,機械工の企業横断的組合を中心に発展し,1920年ころには友愛会にも影響を与えて労働運動内で主導的な位置を占めた。だがアナ・ボル論争と22年の日本労働組合総連合結成大会の決裂ののち,渡り職工の減少と企業内組合の増大を背景に勢力はおとろえ,26年の全国労働組合自由連合会結成後,アナーキストとの分裂(1928),活動家の大量検挙(1935)を経て38年消滅した。
→アナーキズム
執筆者:相良 匡俊
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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フランス語で「労働組合主義」の意味。サンディカ(労働組合)を革命のための基本的組織と考え,直接行動,ゼネストによって革命を成功させようとする。労働者の政党活動に反対し,議会活動などにも参加しない。サンディカリスムはアナーキズムの実現の方法となり,アナルコ・サンディカリスムと呼ばれる。サンディカリスムはフランス,イタリア,スペインで19世紀の終りから20世紀初頭にかけて成長したが,第一次世界大戦後は退潮に向かった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…この党が,フェビアン社会主義者(〈フェビアン協会〉の項参照)のウェッブ夫妻の影響のもと,〈分配と生産の手段の公有〉という明確に社会主義的な綱領を掲げるのは,第1次大戦末期の1918年のことであった。 パリ・コミューン敗北以後のフランスでは,マルクス主義者のJ.ゲードを指導者とする労働党が結成されていたが,ブランキ,プルードンらの無政府主義,政治活動にたいする強い不信を抱くサンディカリスムの影響が強く,社会主義運動は複雑な分裂を繰り返した。1890年代の半ば,ドレフュス事件でフランスの政治諸勢力が大混乱に陥り,99年には共和国防衛を目的として結成された急進派ワルデック・ルソーの内閣に社会主義者A.E.ミルランが入閣した。…
※「サンディカリスム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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