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サーマッラー Sāmarrā'

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

サーマッラー
Sāmarrā'

イラク中央部,サラーフウッディーン県の県都。バグダード北北西約 110km,チグリス川沿岸に位置する。前5千年紀の遺跡が存在するが,町は3~7世紀の間につくられたもの。 836年にアッバース朝 8代のカリフムータシムがバグダードからこの地に遷都,広大な宮殿を建築した。 10代のカリフ,ムタワッキルもイスラム最大といわれるモスク (9世紀) を建てている (→サーマッラーの大モスク ) 。現在は廃虚となっているが,その北端のマルウイーヤのミナレットは,螺旋状をなしていて有名。 892年にカリフのムータミドのときに再びバグダードに遷都され,急速に衰退,1300年頃には廃虚となった。市内には 10~11世紀の預言者の墓を含むシーア派の廟などが残っている。シーア派イスラム教徒の巡礼の中心でもある。洪水調節用の堰があり,水路でサルサール湖に導いている。 2007年考古都市サーマッラーとして世界遺産の文化遺産に登録。人口 21万 4100 (2004推計) 。

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デジタル大辞泉の解説

サーマッラー(Sāmarrā)

イラク中北部、チグリス川沿いにある都市。9世紀にアッバース朝の首都が置かれた。イスラム教シーア派の4大聖廟(せいびょう)の一つのアスカリ廟、高さ36メートルのらせん状のミナレットが残っている。2007年に「サッマーラーの考古学都市」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録されるとともに、フセイン政権崩壊後のスンニー派とシーア派の深刻な対立から、同年、危機遺産にも指定された。

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百科事典マイペディアの解説

サーマッラー

イラク中部,ティグリス川左岸にある古都。836年―892年アッバース朝の首都が置かれた。シーア派イマームの墓廟などがあり,シーア派の聖地でもある。8代カリフのムータシムが建てたジャウサクの宮殿,10代カリフのムタワッキルが建てたバルクワーラーの宮殿や大モスクの遺跡がある。

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世界大百科事典 第2版の解説

サーマッラー【Sāmarrā’】

イラクの首都バグダードの北西約110kmのティグリス川左岸に位置する都市。人口約5万7000(1973)。その南東方の郊外にあるテル・アッサッワーンTell al‐Sawwānの遺跡から近年,前6千年紀のアラバスター製女性小像や前5千年紀の彩文土器が発見されている。アッバース朝時代に第8代カリフ,ムータシムal‐Mu‘taṣim(在位833‐842)によってバグダードからここに政庁が移され,約50年間(836‐892)首都として栄えた。

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世界大百科事典内のサーマッラーの言及

【メソポタミア】より

…前6千年紀には東シリアのハラフ(ハラフ文化),北イラクのハッスナ(ハッスナ文化)などで,より進んだ村落文化がみられる。わずかに遅れてザーグロスの丘陵のチョガ・マミ,サーマッラー近くのテル・アッサッワーンTell al‐Sawwānなどにサーマッラー文化が成立した。前者は天水農耕成立のための限界降雨量の地域にあり,また後者では天水農耕はまったく不可能であった。…

※「サーマッラー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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