シェリング(英語表記)Friedrich Wilhelm Joseph von Schelling

精選版 日本国語大辞典 「シェリング」の意味・読み・例文・類語

シェリング

[一] (Arnold Schering アルノルト━) ドイツの音楽学者。ベルリン大学で音楽学をおさめ、同大学教授となって多数の音楽学論文を発表。特にバッハ研究にすぐれ、「バッハ年鑑」を刊行した。(一八七七‐一九四一
[二] (Friedrich Wilhelm Joseph von Schelling フリードリヒ=ウィルヘルム=ヨーゼフ=フォン━) ドイツの哲学者。ドイツ観念論におけるロマン主義思潮の代表者。主客の根源的同一性を原理とする同一哲学を唱えた。神話学、芸術哲学と並んで自然哲学を重視した。主著「わが哲学体系の叙述」「人間的自由の本質」。(一七七五‐一八五四

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デジタル大辞泉 「シェリング」の意味・読み・例文・類語

シェリング(Friedrich Wilhelm Joseph von Schelling)

[1775~1854]ドイツの哲学者。神秘的直観を重視し、合理主義哲学の限界を批判、絶対者において自然と自我とが合一すると説く同一哲学を主唱。著「先験的観念論の体系」「人間的自由の本質」。

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改訂新版 世界大百科事典 「シェリング」の意味・わかりやすい解説

シェリング
Friedrich Wilhelm Joseph von Schelling
生没年:1775-1854

ドイツ観念論とロマン主義の立場に立つ哲学者。シュトゥットガルト郊外のレオンベルクに,すぐれた東洋学者でもあった牧師を父として生まれる。早熟の天才であり,15歳でチュービンゲン大学に入学を許され,5歳年長のヘーゲルおよびヘルダーリンと親交を結ぶ。19歳のときフィヒテの哲学を祖述した論文を発表し,哲学界に登場する。フランス革命への熱狂的な共感を,ヘーゲルやヘルダーリンと共有し,カント,フィヒテ,スピノザを学ぶ。彼の前期哲学はフィヒテの影響を強く受けた〈自我哲学〉である。《哲学一般の形式の可能性》(1794),《哲学原理としての自我あるいは人間知における無制約的なものについて》(1795)では,フィヒテの主観的観念論を中心にしながらも,スピノザの汎神論に拠って自然それ自体をもとらえようとする。〈知的直観〉のうちでとらえられる,主客の対立をこえた〈絶対的な自我〉が強調され,〈絶対者の学〉が追求される。《自然哲学の理念》(1797),《世界霊魂》(1798),《自然哲学体系の最初の企図》(1799)では,自然全体に〈自由(自我)の隠された痕跡〉を置いて,自我と自然の相互浸透を原理として,フィヒテをこえる。同時に,自然を有機的組織としてとらえることによって,スピノザの機械論的自然観をもこえる。自然そのものに,両極的なものの対立と,段階的な総合がみられるという自然観は,ヘーゲルに引き継がれ,ヘーゲルを経てマルクス主義における自然弁証法にも影響を及ぼしている。

 彼の著作《世界霊魂》がゲーテの目にとまったことから,1798年イェーナ大学講師となる。当時のイェーナはロマン主義の文学者や哲学者の中心地であった。《超越論的観念論の体系》(1801)は,観念と実在,実践と理論の総合を,人間精神の歩みが芸術に達する地点で果たそうとする。イェーナ期の後半では,《わが哲学体系の叙述》(1801),《ブルーノ》(1802)等で,主客の根源的同一性を原理とする〈同一哲学Identitätsphilosophie〉を打ち出し,ヘーゲルに強い影響を与える。〈自我がすべてである〉というフィヒテ主義に代わって〈すべてが自我である〉と主張される。晩年のシェリングは,ベーメの影響を受けて,神秘主義者のバーダーと知り合い,創造説と汎神論と人間の自由という3者の鼎立(ていりつ)可能性を説いて,神の実存と,神の実存の根底〈神の内なる自然〉とを区別し,神秘的な創造説と歴史哲学を展開,《人間的自由の本質》(1809),《世代論》(1811-14)を著す。彼は,つねに自我と有機的な自然との相互浸透を基盤にして,自由と自然との一致を追求したが,独断論と神秘主義の傾向はおおいがたい。彼の哲学は実存主義の先駆となるとともに,マルクス主義者E.ブロッホにも強い影響を及ぼしている。
ドイツ観念論
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百科事典マイペディア 「シェリング」の意味・わかりやすい解説

シェリング

ドイツの哲学者。ドイツ観念論とロマン主義の代表的思想家。チュービンゲン大学時代に親交を結んだヘーゲル,ヘルダーリンとは終生影響を与えあった。スピノザ,カント,フィヒテに学び,自我と自然との相互浸透にもとづく〈自我哲学〉および自然哲学,主客の根源的同一性を原理とする〈同一哲学〉,さらにはベーメ,バーダーの影響の下,神秘主義的歴史哲学を説いた。後世の実存主義,マルクス主義(とりわけE.ブロッホ)への影響も無視できない。主著《自然哲学の理念》(1797年),《ブルーノ》(1802年),《人間的自由の本質》(1809年)。
→関連項目イェーナ大学一元論主意主義ティークヘルダーリン

シェリング

ポーランド出身のメキシコバイオリン奏者。ショパンの出生地として知られるワルシャワ近郊ジェラゾバ・ボラに生まれ,幼時から楽才をあらわす。ポーランドの名バイオリン奏者B.フーベルマン〔1882-1947〕に才能を見いだされ,1929年−1939年ベルリンとパリでC.フレッシュ〔1873-1944〕,ティボー,N.ブーランジェにバイオリンと作曲を学ぶ。1933年ブラームスの協奏曲を弾いてワルシャワでデビュー。ヨーロッパ各地でソリストとして活躍後,第2次世界大戦中メキシコに亡命し同国の市民権を取得。1950年代に国際的な演奏活動を再開し,ルビンステインらと共演。J.S.バッハからバルトークシマノフスキなどの同時代作品まで,幅広いレパートリーに名演を残している。またメキシコ現代音楽の紹介にも力を注いだ。1964年に初来日。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シェリング」の意味・わかりやすい解説

シェリング
Schelling, Thomas C.

[生]1921.4.14. カリフォルニア,オークランド
[没]2016.12.13. メリーランド,ベセスダ
アメリカ合衆国の経済学者。フルネーム Thomas Crombie Schelling。1944年カリフォルニア大学バークリー校を卒業,1951年ハーバード大学で博士号を取得。1945~46年連邦予算局で働き,1948~50年ヨーロッパでマーシャル・プランに携わり,1951~53年大統領府に勤務。その後エール大学(1953~58),ハーバード大学(1958~90),メリーランド大学(1990~2003)で教授を務めた。1950年代半ばの冷戦をきっかけに,国家安全保障や軍備拡大競争にゲームの理論を応用する必要性を唱え,1960年『紛争の戦略』The Strategy of Conflictとしてまとめた。ゲームの理論の応用範囲を拡大し,紛争解決や戦争回避の一助とした功績が認められ,2005年イスラエルの数学者ロバート・J.オーマンとともにノーベル経済学賞を受賞した。『選択と結果』Choice and Consequence(1984)など著書多数。

シェリング
Schelling, Friedrich Wilhelm Joseph von

[生]1775.1.27. ウュルテンベルク,レオンベルク
[没]1854.8.20. ラーガツ
ドイツの哲学者。ドイツ観念論の系譜のなかで,フィヒテの知識学から出発し,そこでは排除されるべきものとして考えられていた自然をも,精神と同一の原理において把握するために独自の自然哲学を立て,のちに同一哲学として体系化した。特に芸術を哲学のオルガノンないし証書としてこれに高い位置を与えたことなどから,当時のロマン主義者たちから大きな共感を得,その哲学的代弁者と考えられた。その後ヘーゲル哲学が主流を占めるようになってからは,みずからの同一哲学をもヘーゲルの絶対的な弁証法と同じく,絶対者として神そのものにいたりえない消極哲学にすぎないとして,積極哲学を説いたが,世に受入れられず不遇のうちにこの世を去った。主著『先験的観念論の体系』 System des transzendentalen Idealismus (1800) ,『人間的自由の本質についての哲学的考察』 Philosophische Untersuchungen über das Wesen der menschlichen Freiheit (09) 。

シェリング
Szeryng, Henryk

[生]1918.9.22. ワルシャワ
[没]1988.3.2. カッセル
ポーランド生れのメキシコのバイオリニスト。メキシコ大学で教えるかたわら,ソリストとして欧米諸国で演奏。バッハのすぐれた解釈で知られ,晩年は指揮にもたずさわっていた。 1964年来日。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「シェリング」の解説

シェリング
Friedrich Wilhelm Joseph Schelling

1775~1854

ドイツの哲学者。カントフィヒテに続いてドイツ観念論を展開。精神と自然の無差別を説く同一哲学を主張。後期の哲学はヘーゲル以上にドイツ観念論を完成したものとみられている。

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旺文社世界史事典 三訂版 「シェリング」の解説

シェリング
Friedrich Wilhelm Joseph von Schelling

1775〜1854
ドイツのロマン主義哲学者
自然を自我の不完全状態とし,進んで自然と精神との最高統一を芸術に見出す「同一哲学」を主張し,美的観念論の立場を確立した。晩年には神秘主義を唱え,実存哲学に影響を与えた。

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世界大百科事典(旧版)内のシェリングの言及

【形而上学】より

…客観を観想する形而上学はここに主観に基づく形而上学へと転換するが,ドイツ観念論の形而上学的諸体系はカントの拒否する知的直観を絶対者に適用し,ヘーゲルの絶対的観念論へと転化する。このヘーゲルの体系を消極哲学すなわち合理主義的本質主義と断じ,意志に対してのみ出現する個別的現実存在を原理とするシェリング晩年の積極哲学は,ショーペンハウアーとニーチェとの意志の形而上学の先駆となるとともに,19世紀後半以降の現実存在ないし実存の哲学への端緒でもある。19世紀後半は実証主義の隆盛による形而上学の衰退と特徴づけられるが,二つの世界大戦は認識論的な反形而上学の立場から,有限な人間の人間本性の展開に基づく人間の形而上学を復活させた。…

【生気論】より

…この思想的伝統はヘルメス思想の中に生き続け,ライプニッツの活力説(彼は力=エンテレキアentelechiaを実体とした)を経て,19世紀ドイツの〈自然哲学〉にまで及んだ。すなわちシェリングは〈自然は目に見える精神,精神は目に見えない自然である〉と主張し,ロマン派の思想家はさらに民族精神や世界精神についても語った。 狭義の生気論は,自発的活動力を持つ生物にのみ生気を認める立場で,アリストテレスは植物,動物,人間にそれぞれ特有の魂(プシュケー)があるとして生物の諸機能を説明し,これが長い間生物研究の主流であったが,17世紀になってデカルトは人間にのみ魂(アニマ)を認め,植物も動物も人体も機械と同様の物体にほかならないとした。…

【西洋哲学】より

… 現代の哲学者,たとえばサルトルが〈事実存在〉に対して〈本質存在〉を優先させてきた西洋哲学の伝統に逆らい――話を人間の存在に限ってのことではあるが――〈本質存在〉に〈事実存在〉つまり〈実存〉を優先させ,そうすることによって人間の根源的自由を主張する実存主義を提唱したことはすでに知られていよう(《実存主義とは何か》)。 同じような企てはすでに19世紀初頭のシェリングの後期思想にも見られる。シェリングもまたおのれのこの企てを〈実存哲学Existenzialphilosophie〉と呼んでいたが,こうした企ての背後には,西洋哲学の根幹をなす形而上学的思考様式を克服せんとする意図がひそんでいたのである。…

【ドイツ観念論】より

…カント以後,19世紀半ばまでのドイツ哲学の主流となった思想。フィヒテ,シェリング,ヘーゲルによって代表される。彼らはカントの思想における感性界と英知界,自然と自由,実在と観念の二元論を,自我を中心とする一元論に統一して,一種の形而上学的な体系を樹立しようとした。…

【人間的自由の本質】より

シェリング歳のとき(1809)の,同一哲学から積極哲学への移行期に書かれた著作。正式の標題は《人間的自由の本質およびそれと関連する諸対象に関する哲学的諸探求》。…

※「シェリング」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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