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シャハト Schacht, (Horace Greely) Hjalmar

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

シャハト
Schacht, (Horace Greely) Hjalmar

[生]1877.1.22. デンマーク,ティングレフ
[没]1970.6.3. ミュンヘン
ドイツの銀行家。ミュンヘン大学などで経済・財政学を学び,1903年ドレスデン銀行に就職。 16~22年ダルムシュタット・ナツィオナール銀行 (ダナート銀行 ) 頭取。 18年ドイツ民主党の創設に参加,26年離党。 23年レンテン・マルクを創設,ドイツ・マルクの安定に成功し「奇跡のレンテン・マルク」と呼ばれた。 23~30年ライヒスバンク総裁。ナチスの第三帝国で 33~38年ライヒスバンク総裁に再任。 34~37年経済相。 39年 A.ヒトラー再軍備支出に反対して総裁を罷免され,44~45年強制収容所に入れられた。ニュルンベルク裁判では無罪。 51~61年ブラジル,エチオピア,インドネシア,エジプトなどの財政顧問,53~63年シャハト貿易銀行経営。著書に"76 Jahre meines Lebens" (1953) ,"Magie des Geldes" (66) などがある。

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デジタル大辞泉の解説

シャハト(Hjalmar Schacht)

[1877~1970]ドイツの財政家銀行家。1923年、通貨委員としてインフレ収拾に活躍。国立銀行総裁・経済相を歴任したが、ナチス政権の軍備拡張政策に反対して辞任。第二次大戦後、戦犯として裁かれたが無罪。

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百科事典マイペディアの解説

シャハト

ドイツの銀行家。1924年―1929年と1933年―1939年ライヒスバンク総裁,1934年―1937年ナチス内閣の経済相を勤めたが,1944年インフレ防止を図ってナチスと衝突し逮捕された。

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世界大百科事典 第2版の解説

シャハト【Horace Greely Hjalmar Schacht】

1877‐1970
ドイツの銀行家・政治家。1923年ドイツ政府通貨委員としてレンテンマルクを発行し,大インフレの収束に尽力した。24‐30年ライヒスバンク(帝国銀行)総裁をつとめるが,賠償問題についてのヤング案に反対して辞職。以後,ナチスを援助してヒトラー内閣の成立に努力した。第三帝国下で33‐39年ライヒスバンク総裁,34‐37年は経済相を兼任。再軍備を推進したが,経済四ヵ年計画と金融政策をめぐってヒトラーと対立,失脚した。

シャハト【Joseph Schacht】

1902‐69
イギリスのドイツ系イスラム法学者。イスラム法学の権威で,タバリーの《法学者の意見の違い》を刊行(1933)したほか,イスラム法および法学諸派について多くの論文・著書を公刊した。《イスラム法学の起源The Origins of Muhammadan Law》(1950)では,ハディースはほとんどすべて偽作であるとして,学界に強い衝撃を与えた。《イスラム百科事典》旧・新版の編集にも関与し,《イスラムの遺産》(第2版,1974)を監修中に死去した。

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大辞林 第三版の解説

シャハト【Horace Greeley Hjalmar Schacht】

1877~1970) ドイツの財政家。1923年通貨改革を行いインフレを克服、ドイツ銀行総裁となる。ヒトラー政権の経済相を務めたが、のち離反。戦後、戦犯とされたが無罪。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

シャハト
しゃはと
(Horace Greely) Hjalmar Schacht
(1877―1970)

ドイツの金融財政家。北ドイツ生まれ。母はデンマーク系アメリカ人。ドレスデン銀行重役、ナチオナル銀行頭取などを経て、1923年ドイツ国通貨委員となりインフレを収めた(レンテンマルクの奇跡)。同年ライヒスバンク総裁に就任し、マルクの安定、財政健全化に努め、ワイマール共和制の定着に貢献した。しかし交渉団長となったヤング賠償案をめぐる意見の対立から、1930年総裁を辞任した。以後、右翼勢力の糾合を図り、ナチスを援助してヒトラー内閣の成立、ワイマール共和制の崩壊に寄与した。ヒトラーのもとでふたたびライヒスバンク総裁(1933)、経済相(1934)を兼ね、再軍備と失業克服のナチス経済政策を遂行したが、ゲーリングと対立して引退、1944~1945年反ナチ態度のゆえに拘禁された。ニュルンベルク裁判では無罪とされ、釈放後、銀行経営や発展途上国の財政顧問などで活躍した。20世紀有数の経済テクノクラートであった。[福応 健]

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世界大百科事典内のシャハトの言及

【第三帝国】より

… 第2期は戦争体制への移行期であって,ヒトラー総統就任から38年3月のオーストリア併合の直前までである。この時期の内政面での重要なできごととしては,35年3月の徴兵制の導入と空軍建設公表,同9月のナチ党ニュルンベルク大会における一連の人種主義立法の公布,36年9月の〈4ヵ年計画〉の発表とその責任者へのゲーリングの任命(10月),そして翌37年末から38年初頭にかけてのナチ党と保守派財界人H.G.シャハトや陸軍首脳部の間の再軍備問題をめぐる対立があげられる。また,この間の対外政策の展開としては,35年3月のベルサイユ条約軍事条項の破棄,翌36年3月のロカルノ条約破棄とラインラント進駐によるベルサイユ体制打破の行動,そしてその直後に始まるフランス,スペインを中心とする人民戦線運動に対抗するなかでの独,伊,日のファシズム3国の世界的規模での提携への動き(スペイン内乱でイタリアと協力してフランコを支援,36年11月の日独防共協定,翌37年11月の日独伊防共協定)が中心である。…

【ドイツ】より

…そのもとで,共産党の弾圧,労働組合の解体,ナチス以外の全政党の解散が進められ,34年,ナチス突撃隊長レームの粛清と大統領ヒンデンブルクの死とともに,〈総統〉ヒトラーの独裁体制が完成する。
[ナチズムの勝利]
 ヒトラーは,元ライヒスバンク総裁シャハトを〈経済独裁者〉に据えて失業の解消と再軍備を進め,〈生存圏〉〈東方帝国〉のための戦争準備に邁進した。1936年,軍拡景気の局面にはいり,4ヵ年計画も発足すると,重化学工業への資本と労働力の集中はいっそう進み,38年のオーストリアとの〈合邦Anschluss〉やズデーテン地方の併合などヒトラーの外交政策の一連の成功もあって,労働者の間にもナチスの帝国主義的ナショナリズムの影響がしだいにひろまった。…

【ナチス】より

…この間,31年10月にワイマール議会体制に反対する〈ハルツブルク戦線〉を右派勢力とともに結成し,工業界,農業界,軍部などの重要人物と提携を深めた。経済界からは,とくにルールの大工業家ティッセン,銀行業の有力者H.G.シャハトの支持を受ける。32年1月27日ヒトラーは,デュッセルドルフの工業クラブで演説,民主主義,マルクス主義排撃を強調して,工業家たちに感銘を与えた。…

【ファシズム】より

…厳密にいえば,このモデルにいちばん近いナチス〈第三帝国〉の場合でも,ヒトラーとナチ党による全体主義支配が成立したのは1938年以降の後半期であり,イタリアのムッソリーニの場合は,そもそもその成立自体を否定する研究者が多い。〈ヒトラー体制〉といわれるものも,実際には,H.G.H.シャハト(国立銀行総裁。その財政手腕でヒトラーを助ける)らに代表されるような,伝統的エリートの協力なしには新しい体制を定着させることはできなかった。…

※「シャハト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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