ドイツの実験物理学者。バイエルンの地主の子として生まれる。1906年ハノーバー工科大学講師となったが、前任者と衝突して、1909年アーヘン工科大学へ教授として移る。ゲッティンゲン大学の教授を望むが果たせず、グライフスワルト大学(1917)を経て1920年ウュルツブルク大学教授になるが、ここでも同僚たちと折り合わず2年後に辞職した。故郷で始めた磁器業にも失敗し、職を求めていたとき援助してくれたのが、ユダヤ人の物理学を攻撃していたレーナルトであった。ナチスの権力奪取後、1933年国立物理工学協会会長に、翌1934年さらにドイツ研究財団団長に就任、後者は2年後に辞めさせられ、前者を1939年に引退した。前半生においては新しい物理学の最前線で役割を果たしながら、後半生では、量子力学や一般相対論に反対し、ハイゼンベルクたちを、アインシュタインの心をもつ「科学における白いユダヤ人」と攻撃さえした。
1905年、放電管中で生じた陽イオンの粒子線(陽極線)から放射される光のスペクトルを、粒子線の方向とその反対方向に分光器を置いて観測し、静止した粒子から出されるそれに特有のスペクトルと比べ、光のドップラー効果を発見、また電場中に原子や分子を置くとスペクトル線が分岐することを、水素の陽極線を光源として確かめた(1913)。この二つの発見により1919年ノーベル物理学賞を受賞した。
[藤井寛治]
ドイツの物理学者。ミュンヘン大学に学ぶ。ゲッティンゲン大学,ハノーバー工科大学の講師を経て,アーヘン工科大学(1909),グライフスバルト大学(1917),ビュルツブルク大学(1920)の教授を歴任。カナル線の実験を手がけ,1905年天体スペクトルに観測されていた光のドップラー効果が地上の光源にも現れることを検出,また13年には磁場によるゼーマン効果にヒントを得て,カナル線の発するスペクトルが強電場中において分岐する現象(シュタルク効果)を発見した。19年,ノーベル物理学賞を受けた。
シュタルクは優れた実験物理学者ではあったが,しばしば研究や地位に対する野心から同僚と反目することが多く,その傾向はナチス・ヒトラーが政権についていっそう顕著になった。33年にはナチスへの熱心な支持を買われて国立物理工学研究所長に任命され,アインシュタインらの優れた科学的業績を,ユダヤ人に支配された科学であるとして排撃した。
執筆者:兵藤 友博
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…μが回転運動などによって平均化されている場合,あるいはμをもたない物質の場合にも,Eにより物質にまず分極P=αE(αは分極率)が誘起され,これがEと相互作用をして-1/2αE2に比例したエネルギー変化が起こる。前者を一次,後者を二次のシュタルク効果という。 この効果は,1913年J.シュタルクが電場中に水素光源をおいたとき,水素原子のスペクトル線が分岐する現象として見いだしたのが最初である。…
※「シュタルク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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