ロシアの小説家。5月24日、ドン川流域のビョーシェンスカヤ村に生まれる。父は商店に勤務する身で、人妻であった母と正式に結婚したのは1912年になってからで、そのため、戸籍上は母親の連れ子、父ショーロホフの養子となっている。12年、村の小学校に入学したが、まもなくモスクワに行き、私立の予備中学校に移り、約3年間を送ったあと、第一次世界大戦のため故郷の近くのボグチャル市の中学校に転校した。やがて十月革命、国内戦の開始とともに学業を放棄して父のもとに帰る。ドン地方は国内戦がもっとも激烈に展開された主戦場の一つであったが、20年にソビエト政権が樹立されると、15歳の少年であったショーロホフも村の革命委員会に所属し、武器を持って反革命と戦い、かたわらコサックの非識字者解消運動に加わり、文化的な啓蒙(けいもう)活動を行い、アマチュア劇団を結成して革命の意義を宣伝した。単なる目撃者としてのみならず、自らの生命を賭(と)して参加した歴史の事件が、少年期から青春前期にかけての彼の精神に深刻な影響を残したことは疑いなく、この原体験の意味を問い、それをことばで表現せんとしたところから、彼の文学は生まれた。
1922年、ショーロホフはモスクワに出て、重労働の仕事で生活の糧(かて)を得ながら文学修業に励み、ドン地方の内戦を主題とする短編を書き始め、短編『ほくろ』(1924)で文壇にデビューし、2年間で25の短編と中編1編を書き、26年に、『ドン物語』『るり色の曠野(こうや)』の2冊の作品集を刊行した。21歳のときである。これで新進作家としての地位を確立したが、生活は苦しかった。その間、24年にマリヤ・ペトローブナと結婚し、25年末には父親を失っている。精神的にも物質的にも困難な時期であったが、26年末からビョーシェンスカヤに居を定め、革命を中心とする激動する時代に生きるコサックの運命を雄大なスケールのもとに描き出そうとする長編の執筆に専念した。こうして書き始められたのが『静かなドン』で、十数年の歳月を費やして、40年に完結した。この作品を書き進めながら、第二の長編『開かれた処女地』第1部(1932)を書き上げ、60年に完成、それと同時にレーニン文学賞を受賞。このほか、第二次世界大戦中には従軍記者として前線に赴き、ルポルタージュを発表、また短編『憎しみの教え』(1942)、未完の長編『彼ら祖国のために』(1943~44)を書いた。
第二次世界大戦後は、革命と国内戦のさなかで飢饉(ききん)のために親や兄弟を失い、独ソ戦で妻子と死別しながらも、不幸に耐え、力強く生き抜いた老運転手を主人公とする『人間の運命』(1956)を発表し、ソビエト文学界に揺るぎない地位を確立した。この間、1937年にソ連邦最高会議代議員、39年に科学アカデミー会員、61年に党中央委員に選出されている。ショーロホフの作品は国内だけではなく、世界各国でソ連文学の古典として広く読まれ、65年にノーベル文学賞を授与された。66年(昭和41)来日。84年2月20日没。
[水野忠夫]
『原久一郎・原卓也訳『世界文学全集13 ドン物語』(1966・集英社)』▽『横田瑞穂訳『世界文学大系94 人間の運命』(1965・筑摩書房)』
ソ連邦の作家。南ロシアのドン地方のコサック村ビョーシェンスカヤの生れ。故郷の中学在学中に十月革命を迎え,国内戦時代の1920年から21年にかけて赤軍の隊列に加わり,革命委員会の食糧調達係としてドン地方を転戦した。22年,17歳のときにモスクワに出て,石工,人夫などさまざまな職業を体験しながら作品を書きはじめた。コムソモールの機関紙《青年プラウダ》に小品《試練》(1923)を掲載し,以後,多くの短編小説を書いたが,それらはみな,熾烈(しれつ)な国内戦の舞台となったドン地方での経験を素材としたもので,短編集《ドン物語》(1925),《るり色の曠野(こうや)》(1925)にまとめられた。25年にモスクワを去り,故郷に戻って,長編小説《静かなドン》の制作に専念した。第1巻を28年,第2巻を29年,第3巻を33年,第4巻を40年に完成した。また,農業集団化の政策を実行する過程で,さまざまな矛盾と困難をはらみつつ進行する1930年代の農村の改造を主題とした長編《開かれた処女地》(1932-60)を発表した。第2次世界大戦の勃発とともに従軍記者として前線に加わり,ナチスの残虐さを描いた短編《憎しみの科学》(1942)を発表した。戦後には短編《人間の運命》(1956)を書き,《開かれた処女地》を1960年に完結させた。トルストイにつながるロシア文学の伝統を受け継ぎ,ソビエト文学を代表する作家としての地位を占めている。1937年にはソビエト最高会議代議員に選ばれ,39年以来,科学アカデミー会員となり,41年には第1回スターリン賞(文学部門)を受け,65年にはノーベル文学賞を受けた。
執筆者:水野 忠夫
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1905~84
ソ連の作家。ドン河畔のカザークの村に生まれ,内戦時には赤軍に参加した。長編『静かなるドン』はこの経験をもとにしている。他に集団化を描いた『開かれた処女地』。1965年ノーベル文学賞受賞。
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…発足時には,ラップのイデオロギー万能型の批評の抑制,作家の自主性の発揚が期待されたが,スターリン時代の条件下で同盟は急速に官僚化し,作家統制の道具となった。3年に1度と規約で定められた大会も,スターリン死後の54年まで20年間も開かれず,56年の第20回共産党大会では,ショーロホフが作家同盟員を〈死せる魂〉,書記長ファジェーエフを〈権勢家〉と断じた。スターリン批判後,民主化の気運が見られたが,パステルナーク,ソルジェニーツィンらの除名に見るように,文学界における党の政策の代弁者としての機能は変わらなかった。…
※「ショーロホフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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