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スキピオ[大] スキピオ

百科事典マイペディアの解説

スキピオ[大]【スキピオ】

古代ローマの将軍,政治家。名門の出でグラックス兄弟外祖父。大スキピオと呼ばれ,第2ポエニ戦争ではイベリア半島のカルタゴ軍を撃破した後,前202年ザマの戦ハンニバルを破って決定的勝利を得,アフリカヌスAfricanusの称号を受けた。
→関連項目グラックス[兄弟]スキピオ[小]

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世界大百科事典 第2版の解説

スキピオ[大]【Publius Cornelius Scipio Africanus Major】

前235ころ‐前183
共和政中期ローマの政治家,将軍。名門の出。父は前218年のコンスル(執政官)。グラックス兄弟の外祖父。第2ポエニ戦争をローマの勝利に導いた将軍。まずハンニバルに対してティキヌス河畔およびカンネーの戦で闘い,父の死後,前210年,若年にして,私人であるのにスペインにおける軍指揮権(プロコンスルの命令権)を与えられ,新戦術を採用して,前209年カルタゴ・ノウァを落とし,前208年ハスドルバルを破り,スペインのカルタゴ勢力を制圧した。

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世界大百科事典内のスキピオ[大]の言及

【イタリカ】より

…現在名はサンティポンセSantiponce。第2次ポエニ戦争(別称ハンニバル戦争)の過程で,カルタゴ軍をイリパの戦(前206)で大破したローマ軍の司令官大スキピオが,負傷した部下を住まわせるために創設した。これによってローマ軍は今日のアンダルシア南部を制圧し,まもなくカルタゴ人最後の拠点ガディル(現,カディス)を下した。…

【ザマの戦】より

…決戦は北アフリカ,現在のチュニジアのマクタルの近くのザマ・レギアZama Regiaで行われたとみられる。前202年春,ハンニバルの率いるカルタゴ軍が,大スキピオの率いるローマ軍と死闘の末,敗れた戦。兵力的には両者拮抗していたが,ヌミディアのマシニッサの援軍を擁し,騎兵兵力に勝ったローマ軍の快勝となり,カルタゴの死命を制した。…

【ポエニ戦争】より

…しかしローマの同盟市はローマから離反せず,ハンニバルはマケドニアのフィリッポス5世およびシチリアのシラクサと結んだにもかかわらず,首都ローマを衝きえず,半島の南端に追いつめられて戦線も膠着した。しかし,イベリア半島を制圧したスキピオ(大)に率いられたローマ軍は北アフリカに渡り,前202年ザマの戦でハンニバルを破り,第2次ポエニ戦争もローマの勝利に終わった。その結果,カルタゴは海外領土をすべて失い,巨額の賠償金を科せられた。…

※「スキピオ[大]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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