ロシアの作曲家,ピアニスト。調性に代わる新しい和声語法をいち早く実現したひとりで,音楽におけるロシア象徴主義の担い手でもある。1888-92年にモスクワ音楽院に学ぶ。ピアノをG.E.コニュス,N.S.ズベーレフ,V.I.サフォノフに,作曲をタネーエフ,アレンスキーに学ぶ。最初の作風は西欧的アカデミズムの伝統を受け継ぎ,ショパンの影響を強く受けたものであったが,94年に出版者ベリャーエフの知遇を得,その後数回にわたる西欧旅行を体験する頃から,著しい進境を示し始める。まず,複雑な音の網の目を呈する彼独特のピアノ書法が獲得され,次いで属和音の変化が多様になり,響きの多彩化が図られる。1904-09年には西欧(北イタリア,スイス,ベルギー等フランス語圏)に滞在,05年にブラバツキーの神智学に触れ,神秘主義的傾向を深める。この頃から,和声語法も,極度に変形された属7・属9系の和音--そのうちの一つが〈神秘和音〉と呼ばれる--のみを用い,機能和声(調性)の根幹を揺るがしていく。この時期の代表作は《法悦の詩(ほうえつのし)》や《ピアノ・ソナタ第4番》《同第5番》等。10年には再びモスクワへ帰るが,それに先立つ08年ころから彼独自の様式は成熟の域に達する。音楽語法面では,ある特定の和音型(一つとは限らない)を系統的に用いる和音旋法の手法により調性を克服する一方,音楽理念的には,一つの作品を一回の神秘の秘跡と見なすことで,芸術の一瞬のエクスタシーのうちに神との合一を目指すロシア象徴主義的・神秘主義的芸術観を結実させる。そこでの作品は神秘へのいざないに始まり,しだいに恍惚・忘我の境地に入り,ついにはその極限において解脱するというコンテクストをもつ。また,ミクスト・メディアの先駆も見られ,《プロメテProméthée,le poème de feu》(1910)では色光オルガンを,さらに1903年に着想したが,未完の《神秘劇Mysterium》では色光に加えて舞踏・芳香までをも包含して,総合芸術というより,むしろ秘儀のイベントの実現を図った。ピアノのための《ソナタ第6番》から《同第10番》や《炎に向いて》(1914)等もよく知られている。
執筆者:岡田 敦子
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ロシアの作曲家、ピアノ奏者。モスクワの貴族の家系に生まれ、幼少よりピアノに親しんだ。個人的にピアノと作曲を学んだのち、モスクワ音楽院に入学。卒業(1892)後、著名な音楽出版業者ベリャーエフの知遇を受けて、作品の出版と西欧主要都市への演奏旅行を行う。一時母校で教鞭(きょうべん)をとったが、欧米諸国やロシア各地での自作演奏と創作活動に終始し、わずか43歳で没した。作曲家としてはショパンの影響下に出発したが、ニーチェの哲学、さらに神智(しんち)学に傾倒して以来神秘主義の独自の語法を確立、機能和声の枠を超えた20世紀の先駆的音世界をつくりあげた。後年には色、光、香りを加えた総合芸術も構想。10曲のソナタ(第5~10番は単一楽章制をとる)をはじめ、多数のピアノ小品とピアノ協奏曲1曲、『法悦の詩』(1905~08)や『プロメテウス――火の詩』(1908~10)などの管弦楽の大作がある。
[益山典子]
出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報
…この時期の代表作としてシェーンベルクの《期待》(1909),《ピエロ・リュネール》(1912),ウェーベルンの《弦楽四重奏のための六つのバガテル》(1913),ベルクのオペラ《ウォツェック》(1912‐24)などがある。なお,ストラビンスキーの《春の祭典》(1913)や,スクリャービンの《プロメテ》(1910)なども同様な内容を持っている。十二音音楽無調音楽【佐野 光司】。…
…ロシアの作曲家スクリャービンの管弦楽曲(作品54)。4管編成の大オーケストラを駆使した作品で,1908年1月スイスで完成され,同年12月ニューヨークで初演された。…
…たしかに,この広義の翻訳の場合には,置換えが行われる記号系間の対応の設定は恣意的であるから,前記3種の記号系間翻訳と同列に並べるわけにはいかないだろうが,この類比によって人間の意識活動の微妙な側面が明らかになってくることを考えれば,決して無意味ででたらめなこととして退けるわけにはいかない。たとえば,ロシアの作曲家A.N.スクリャービンがその顕著な例であったように,ある一定の楽音を聴くと一定の色が感じられるという〈色聴〉といった共感覚synesthesiaは,少なくとも個人においては記号系間の対応が一定していることを示しており,したがって,前記(ヤコブソンによる分類)の記号系間翻訳に近い意味で,楽音世界の色彩世界への変換・翻訳,あるいはその逆の変換・翻訳を考えることが可能になる。このことは人間の意識が言語記号系を中心とするさまざまな記号系によって支えられており,それら相互の関係に〈翻訳〉が無縁でないことを意味している。…
…広義には中心音をもたない音楽のことで,シェーンベルク,ウェーベルン,ベルクらの1908‐10年ころの作品から十二音技法による諸作品,同時期以降のスクリャービンのいくつかの作品,またその後今日に至るまでの,特定の中心音をもたない音楽全般を指す。その意味では,シェーンベルクの十二音技法は無調音楽の理論的組織化といえる。…
※「スクリャービン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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