ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スタントン」の意味・わかりやすい解説
スタントン
Stanton, Elizabeth Cady
[没]1902.10.26. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国の女性解放運動の指導者。アメリカ最初の女性参政権を要求する運動を組織。1832年,トロイにある女子高等教育機関,トロイ女子神学校を卒業。法律家の父の事務所で学びながら,女性が差別的な法のもとに置かれていることを知り,性の平等をかちとることを決意する。1840年奴隷制廃止論者の法律家ヘンリー・B.スタントンと結婚。1848年ニューヨーク州議会に対し妻の財産権を認めるよう請願,同 1848年7月19~20日,ルクレシア・モットなどの女性解放論者とともに女性の権利を要求するアメリカ最初の集会をニューヨーク州セネカフォールズで開催し「所感の宣言」を起草した。1868年スーザン・B.アンソニーとともに女性の権利を訴える新聞『革命』The Revolutionを創刊。翌 1869年アンソニーとともに全国女性参政権協会を設立し会長に就任した。同協会は 1890年にアメリカ女性参政権協会と合併して全米女性参政権協会となったが,1892年までその会長も務めた。著書にアンソニー,マティルダ・J.ゲージとの共著『女性参政権の歴史』History of Woman Suffrage(6巻,1881~1922)などがある。
スタントン
Stanton, Edwin McMasters
[没]1869.12.24. ワシントンD.C.
アメリカの法律家,政治家。南北戦争中の陸軍長官。 1836年弁護士となり,60年 12月 J.ブキャナン大統領のもとで法務長官。 A.リンカーン大統領の方針には批判的であったが,62年1月 13日リンカーンのもとで陸軍長官となり,南北戦争中の北部の軍事体制の運営にあたった。しかし戦後 A.ジョンソン大統領と再建計画をめぐって意見が合わず,共和党急進派の彼は 68年2月陸軍長官を罷免された。ジョンソン大統領はその件で議会で弾劾裁判にかけられたが1票差で弾劾を免れた。スタントンは同年5月職を辞し,法曹界に復帰した。
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