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スタントン スタントン Stanton, Edwin McMasters

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

スタントン
スタントン
Stanton, Edwin McMasters

[生]1814.12.19. オハイオ,スツーベンビル
[没]1869.12.24. ワシントンD.C.
アメリカの法律家,政治家。南北戦争中の陸軍長官。 1836年弁護士となり,60年 12月 J.ブキャナン大統領のもとで法務長官。 A.リンカーン大統領の方針には批判的であったが,62年1月 13日リンカーンのもとで陸軍長官となり,南北戦争中の北部の軍事体制の運営にあたった。

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スタントン
スタントン
Stanton, Elizabeth

[生]1815.11.12. ニューヨークジョーンズタウン
[没]1902.10.26. ニューヨーク
アメリカの女性解放運動の指導者。アメリカ最初の女性参政権要求運動を組織。法律家の父の事務所で法律を学ぶ。 1840年奴隷制廃止論者の法律家 H.スタントンと結婚。 48年ニューヨーク州議会に対し妻の財産権を認めるよう請願,同年7月 19~20日,L.モット夫人とともに女性の権利を要求するアメリカ最初の集会をニューヨークのセネカフォールズで開催し決議案を起草した。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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世界大百科事典 第2版の解説

スタントン【Elizabeth Cady Stanton】

1815‐1902
アメリカ女性解放運動の先駆的指導者。1848年,ニューヨーク州セネカフォールズで最初の女性の権利のための大会を開き,その際,女性の独立宣言というべき〈所感宣言〉を起草した。彼女の主張によって大会が採択した婦人選挙権の要求は,アメリカ婦人参政権運動の発端となった。その主張は,自ら発行した新聞《革命》(1868‐70)に見られるように,選挙権にとどまらず広く女性解放や社会の問題に及んだ。実務家肌のS.B.アンソニーを生涯の良き協力者に得て,1869年全国婦人参政権協会を設立し,運動の急進派を率いた。

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大辞林 第三版の解説

スタントン【Elizabeth Cady Stanton】

1815~1902) アメリカの女性参政権活動家。1848年にアメリカで初めての女性の権利に関する大規模な集会(セネカ-フォールズ会議)を開催。参政権活動をはじめ、女性の権利の拡大に尽くした。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

スタントン
すたんとん
Elizabeth Cady Stanton
(1815―1902)

アメリカの女性参政権運動の創始者。ニューヨーク州最高裁判事の娘。1840年、奴隷制廃止運動家と結婚。48年、居住地セネカ・フォールズで、自ら中心となり女性の権利のための大会を開催。大会では、彼女の起草になる女性の独立宣言ともいえる「所感の宣言」、女性参政権を含む諸決議案が採択された。以後、アメリカの女性解放運動は女性参政権運動を軸に展開され、彼女は、7人の子供を育てつつ、運動に理論と方向を与えていった。スタントンは女性参政権に限らず、結婚、宗教などさまざまな側面から広く女性解放を論じ、ときには穏健な女性参政権運動家たちの離反を招いたが、現実的な政治感覚ももち、機知に富んだ評論、講演などを通して人々の心をとらえ、女性参政権運動への一般の支持を広げた。[有賀夏紀]
『Elisabeth Griffith In her own right ; the life of Elizabeth Cady Stanton(1984, Oxford University Press, New York)』

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世界大百科事典内のスタントンの言及

【セネカ・フォールズ会議】より

…奴隷制廃止論者,禁酒運動家などを含めた男女約300名が参加,アメリカ女性運動の出発点とされる。奴隷制廃止運動のなかで女性としての差別を体験したモットLucretia C.MottとスタントンElizabeth C.Stantonが会議の発案者となった。会議は,スタントンが独立宣言をもじって起草した,〈すべての男女は平等につくられ〉と唱える〈所感の宣言〉と,男女平等を達成するための11の決議案を採択した。…

【セネカ・フォールズ会議】より

…奴隷制廃止論者,禁酒運動家などを含めた男女約300名が参加,アメリカ女性運動の出発点とされる。奴隷制廃止運動のなかで女性としての差別を体験したモットLucretia C.MottとスタントンElizabeth C.Stantonが会議の発案者となった。会議は,スタントンが独立宣言をもじって起草した,〈すべての男女は平等につくられ〉と唱える〈所感の宣言〉と,男女平等を達成するための11の決議案を採択した。…

【婦人参政権運動】より

…大衆の前で奴隷制廃止を訴えたグリムケ姉妹は,自分たちが女性であるためにその行為を非難されたことを知り,奴隷の権利とともに女性の権利を要求するようになった。L.C.モットE.C.スタントンも,同様な経験から女性解放の必要性を痛感し,48年,スタントンたちはニューヨークのセネカ・フォールズで女性の大集会を開いた(セネカ・フォールズ会議)。これはアメリカ合衆国における婦人参政権運動の開始を告げる集会となり,ここで採択された〈所信宣言〉には,婦人参政権をはじめ,女性解放のための諸要求が列挙された。…

【ブルーマー】より

…1849年,セネカ・フォールズで禁酒運動のための新聞《リリー》を発行し,女性の権利に関する記事も掲載した。同紙が50‐51年の冬,女性解放運動家E.C.スタントンらが新しく着用したパンタロン風の服装を紹介したところ注目を集め,新しい服装は〈ブルーマーズ〉と呼ばれるようになった。彼女自身も他の女性運動家同様これを着用したが,特異な服装のために女性の権利に関する議論が中心から外れることを恐れ,7~8年でやめた。…

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