スティーブンズ(その他表記)George Stevens

改訂新版 世界大百科事典 「スティーブンズ」の意味・わかりやすい解説

スティーブンズ
George Stevens
生没年:1904-75

アメリカの映画監督。T.ドライサーの小説《アメリカの悲劇》の2度目の映画化でアカデミー監督賞を受賞した《陽のあたる場所》(1951),西部劇にホームドラマや恋愛映画の心情,心理を導入して〈大人の映画〉の風格を与えた名作《シェーン》(1953),E.ファーバーの大河小説の映画化で再度アカデミー監督賞に輝いた《ジャイアンツ》(1956)の〈アメリカ三部作〉によってハリウッドの巨匠監督として不動の地位を占め,1955年にはアカデミー協会の会長に選ばれた。旅回りの一座の俳優を両親に,カリフォルニア州オークランドに生まれ,カメラマンとして映画界に入り,ローレル=ハーディ喜劇(短編)のギャグマン,カメラマン,監督をへて,キャサリンヘプバーン主演のメロドラマ《乙女よ嘆くな》(1935)で監督としての力量を認められ,フレッド・アステア=ジンジャー・ロジャースのミュージカル《有頂天時代》(1936)で評判が高まり,インドを舞台にした冒険活劇《ガンガ・ディン》(1939)で決定的な名声を獲得した。スペンサー・トレーシーとキャサリン・ヘプバーンのコンビの最初の作品《女性No.1》(1942)の監督にもなった。戦後はプロデューサーも兼ね,撮影にも編集にも時間と精力を惜しまない〈完全主義者〉として君臨し,ハリウッドでもっとも寡作な監督の一人として知られ,〈桂冠詩人〉の名で呼ばれさえしたが,フランスの批評家たちからは,むしろ,《ママの思い出》(1948)から《この愛にすべてを》(1970)に至るお涙頂戴のメロドラマの作家として蔑視されているのは興味深い。
執筆者:


スティーブンズ
John Stevens
生没年:1749-1838

アメリカの技術者。汽船や蒸気機関車を製作し,アメリカにおける蒸気動力の交通機関への利用を推進した。1804年,4翼のスクリューを2個備えた汽船リトル・ジュリアナ号Little Julianaを造り,数回のハドソン川横断に成功した。当時のボイラーはスクリュー推進には不適当であったことから,スクリューを断念して外車推進に切り替え,09年,フェニックス号Phoenixを建造した。彼が居を構えたニューヨーク州内水路の独占航行権は,R.フルトンに与えられていたため,フェニックス号を海路でフィラデルフィアへ回送したが,これが汽船による初の洋上航海となった。11年にはフィラデルフィアで蒸気船による世界最初のフェリーサービスを開設,25年にはアメリカ初の蒸気機関車を製作,30年,鉄道会社(the Camden and Amboy Railroad and Transportation Company)を設立した。なお,現在のアメリカにおける特許システムの基礎となった〈特許法Patent Law〉の制定(1790)は彼の議会への要請に負うところが大きい。
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スティーブンズ
Wallace Stevens
生没年:1879-1955

アメリカの詩人。ペンシルベニア州レディングに生まれ,ハーバード大学,ニューヨーク大学法学部に学ぶ。1916年以来コネティカット州ハートフォードの保険会社の弁護士,34年からは同社副社長として実業家の道を歩みながら,生涯活発な詩作を続けた。43歳のときの処女詩集《ハーモニウム》(1923)は,独自の想像力論に裏打ちされた《日曜の朝》その他の傑作を含み,しばしば語義よりも音の響きや暗示力のために選ばれた多彩な用語を駆使して,この世の驚異に目をみはる子どもを思わせる華麗で変幻きわまりないイメージを展開する。のちにさらに思索的な傾向を強め,神なき世界の虚無と混乱に生きるうえでの想像力の役割,現実の世界にかりそめの秩序をもたらす〈虚構〉の重要性をうたった。ほかに《全詩集》(1954)など。
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スティーブンズ
Alexander Hamilton Stephens
生没年:1812-83

アメリカの政治家。州議会議員(1836-42)を経てジョージア州選出連邦議会議員(1843-59。ホイッグ党員,1852年以降は民主党員)。南北戦争勃発までは即時分離案に反対したが,いったん分離が決定されるとアメリカ南部連合政府結成に参加し,61-65年副大統領をつとめた。しかし,彼の州権と市民的自由を尊重する立場は,デービス大統領との対立をもたらした。敗戦後連邦軍によって投獄されるが,後に政治家として復活する。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「スティーブンズ」の意味・わかりやすい解説

スティーブンズ(John Stevens)
すてぃーぶんず
John Stevens
(1749―1838)

アメリカの発明家。裕福な家庭で育ち、コロンビア大学で法律と技術両方の学問を学んだ。弁護士になったが、独立戦争に従軍後、ニュー・ジャージー州の財政部長などを務めた。1787年蒸気機関の改良を行い、1788年には多管汽缶を製作した。この発明を守るために国会に請願して特許法(1790)を通過させ、今日の特許制度の基礎を築いた。フィッチとラムゼーJames Rumsey(1743―1792)の開発した蒸気船に興味をもち、自ら蒸気船の開発にとりかかった。1804年、凝縮器を備えた最初の複動機関を積み込んだ蒸気船を建造し、1811年にはホボーケン―ニューヨーク間に、世界最初の蒸気船を利用した渡船場を設立した。また、鉄道建設の計画ももっており、ランカスター―フィラデルフィア間の鉄道建設の権利を獲得していたが、施工するには至らなかった。

[雀部 晶]


スティーブンズ(Wallace Stevens)
すてぃーぶんず
Wallace Stevens
(1879―1955)

アメリカの詩人。T・S・エリオット、エズラ・パウンドらと並び立つ20世紀前半の巨匠。ペンシルベニア州レディングに生まれ、ハーバード大学で文学を、ニューヨーク法律学校で法律を専攻。保険会社に入社して1934年には副社長に昇進する。その実務のかたわら詩作に励み、1923年第一詩集『足踏みオルガン』Harmoniumを発表、しばらくの沈黙の期間を経て、1935年『秩序の観念』を著す。その後は、声価も定まって次々と詩集を世に問うた。彼の詩は、穏健な詩体ではあるが、古語、難語を好んで駆使し、独自の象徴用語があってきわめて難解。観念的な瞑想(めいそう)詩を特徴とする。第一詩集ではまだ主題も表現も多彩だが、第二詩集以降は観念語がますます多用され、雑多な現実から遮断された立場に身を置いて、想像力(主体)が現実(客体)をどうとらえ、どう表現するかといった根源的な問いかけに終始するようになる。近年、脱構築(デコンストラクション)の批評理論家などが、改めて関心を寄せ始めている。

沢崎順之助

『加藤文彦・酒井信雄訳『ウォーレス・スティーヴンズ詩集 場所のない描写』(1966・国文社)』


スティーブンズ(Thaddeus Stevens)
すてぃーぶんず
Thaddeus Stevens
(1792―1868)

アメリカの政治家。バーモント州生まれ。1826年に鉄工場の共同経営者となる。ペンシルベニア州下院議員(1833~41)ののち、48年ホイッグ党から連邦下院議員になったが、その間奴隷制反対運動を一貫して続けた。53~58年を除いて死ぬまで議員を務めた。共和党結成に大きく貢献し、南北戦争が勃発(ぼっぱつ)すると、議会の共和党急進派指導者として、奴隷の解放、黒人の戦争従軍の権利、とりわけ解放黒人への土地付与を主張した。戦後は大統領の再建政策を批判し、再建合同委員会を設立して委員長に就任。67年には再建の根幹たる土地没収案を提出したが、支持されなかった。68年に大統領弾劾の動議を出したが、不成功に終わった。死後、遺志に沿って黒人、白人混合の墓地に埋葬された。

[竹中興慈]


スティーブンズ(Stanley Smith Stevens)
すてぃーぶんず
Stanley Smith Stevens
(1906―1973)

アメリカの実験心理学者。ハーバード大学教授。聴覚の実験から感覚尺度をつくる問題に取り組み、「フェヒナーの法則」を経験的事実に適合するように現代化し、ベキ(冪)法則を提唱した。感覚の大きさは刺激の物理的大きさのn乗に等しい、というのがこの法則である。指数nの値は、線の長さとか明るさなどといった個々の感覚によって異なる。感覚尺度構成の理論における業績は高く評価されている。

[今井省吾]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スティーブンズ」の意味・わかりやすい解説

スティーブンズ
Stevens, Thaddeus

[生]1792.4.4. バーモント,ダンビル
[没]1868.8.11. ワシントンD.C.
アメリカの政治家。南北戦争後の共和党急進派の最も影響力の強い指導者の一人。 1849~53,59~68年連邦下院議員。初めホイッグ党の下院議員として逃亡奴隷取締り法の強化を含む「1850年の妥協」に反対。 54~56年ホイッグ党を基盤に共和党が新たに結成されたとき,これに参加し巧みな議会工作と弁舌によって指導力を発揮,南北戦争中はグリーンバック紙幣の発行を積極的に支持した。 65年の議会では南部議員の排除を主張。再建委員会の委員として連邦憲法修正第 14条や 67年の軍事再建法を推進し,A.ジョンソン大統領と対立した。南部のプランター (大農場主) の土地没収,解放黒人へのその分配を主張したがいれられなかった。

スティーブンズ
Stephens, John Lloyd

[生]1805.11.28. ニュージャージー,シュルーズベリー
[没]1852.10.12. ニューヨーク
アメリカの旅行家,マヤ,メキシコなど中部アメリカのインディアン古代文化の研究家。 1834~36年東部地中海域と東ヨーロッパを旅行。 39~40,41~42年中部アメリカのインディアン民族居住地域を旅行し,その民族社会の生活様式,マヤ文明の遺跡を研究。多数の旅行記を書く。主著『ギリシア,トルコ,ロシア,ポーランド旅行記』 Incidents of Travel in Greece,Turkey,Russia and Poland (2巻,1838) ,『中央アメリカ,チャーパス,ユカタン旅行記』 Incidents of Travel in Central America,Chiapas and Yucatan (2巻,41) 。

スティーブンズ
Stevens, Alfred

[生]1817.12.31. ブランドフォードフォーラム
[没]1875.5.1. ロンドン
イギリス新古典主義の代表的彫刻家,画家。フルネーム Alfred George Stevens。1833年から 1842年にかけてイタリアに遊学。この間の 1年をデンマークの古典主義の彫刻家ベルテル・トルバルセンと過ごす。1845~47年サマセット・ハウスの新設美術学校教授。その後ロンドンのドーチェスター・ハウスの装飾などに従事した。代表作『アニイ・コルマン夫人』(ロンドン,ナショナル・ギャラリー),セント・ポール大聖堂の『ウェリントン公記念碑』(1862)。

スティーブンズ
Stevens, Wallace

[生]1879.10.2. ペンシルバニア,レディング
[没]1955.8.2. コネティカット,ハートフォード
アメリカの詩人。ハーバード大学卒業後弁護士を経て実業界に入り,40歳を過ぎて,処女詩集『ハーモーニアム』 Harmonium (1923) を発表。その後も仕事のかたわら,『青いギターを持つ男』 The Man With the Blue Guitar and Other Poems (37) など,次々に詩集を出し,『全詩集』 Collected Poems (54) でピュリッツァー賞を受賞した。初めは機知やアイロニー,また異国的なイメージなど唯美的な特徴が目立ったが,のちにはニューイングランドのきびしい自然を好んで取上げ,瞑想的,倫理的な色調が強くなった。ほかに評論集がある。

スティーブンズ
Stephens, Alexander Hamilton

[生]1812.2.11. ジョージア,ウィルクス
[没]1883.3.4. ジョージア,アトランタ
アメリカの政治家。 1843~59年連邦下院議員,61~65年南北戦争中の南部連合の副大統領。もともと合衆国の分裂には反対で 50年の妥協案を支持し南部の分離を拒否し,ジョージア州が南部の一州として連邦から分離したとき州の方針に従ったが,戦争継続に消極的で,北部の戦争反対派の勢力台頭を期待した。 65年南部と北部の和平会議がバージニア州ハンプトンローズで開かれたとき南部連合の代表委員。南北戦争後一時投獄され,73~82年再び連邦下院議院となった。

スティーブンズ
Stevens, Siaka Probyn

[生]1905.8.24. モヤンバ
[没]1988.5.29. フリータウン
シエラレオネの政治家。鉄道労働者出身。駅長をつとめたのち鉱山労働者に転じ,1943年全鉱山労働者組合を結成,書記長となった。 45年保護領議会議員。 51~57年立法評議会員,51年国土・鉱業・労働相を経て,60年全人民会議 APC結成。 68年4月首相。 71年4月共和制移行と同時に大統領に就任。 74年大統領暗殺未遂事件が発生,反政府要人を含む8人を処刑。 77年再選。「78年憲法」を制定し,APCを唯一の合法政党とし,一党独裁体制をしいた。 85年大統領職を移譲。

スティーブンズ
Stevens, Stanley Smith

[生]1906.11.4. ユタ,オグデン
[没]1973.1.18.
アメリカの心理学者。ハーバード大学教授。感覚および心理学における尺度構成に貢献 (→べき法則 ) 。新精神物理学を提唱。主著『聴知覚』 Hearing (1938,H.デービスと共著) 。

スティーブンズ
Steevens, George

[生]1736.5.10. ロンドン
[没]1800.1.22. ロンドン
イギリスのシェークスピア学者。四つ折本の復刻『シェークスピア戯曲 20編』 Twenty of the Plays of Shakespeare (1766) を出版。 S.ジョンソンとシェークスピア全集を共編 (10巻,73,決定版 15巻,93) 。

スティーブンズ

「スチーブンス」のページをご覧ください。

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百科事典マイペディア 「スティーブンズ」の意味・わかりやすい解説

スティーブンズ

米国の発明家。キングズ・カレッジで学ぶ。1788年ごろから蒸気船の開発を志し,船舶用多管ボイラーなどを発明。1809年外輪式のフェニックス号を建造するが,居を構えていたニューヨーク州内水路の航行権がなく,ニューヨークからフィラデルフィアへ回航,これが蒸気船による初の海洋航海となった。子ロバートとともに艦砲,軍艦装甲などの研究にも業績をあげた。

スティーブンズ

米国の旅行家。初め中東,東欧一帯を広く巡り,のち中南米に行き画家キャザウッドとともにマヤ地域を旅行し,当時まだほとんど知られなかったパレンケ,チチェン・イッツァなどの遺跡を世に紹介した。主著《中央アメリカ,チアパス,ユカタンの旅行》。

スティーブンズ

米国の詩人。保険会社の弁護士を務めながら詩を書き,処女詩集《ハーモニアム》は44歳のとき。新鮮なイメージと機知で美を追求しつつ現代を洞察し,20世紀米国で最も重要な詩人の一人と評価されている。ほかに《青いギターを持つ男》(1937年),《詩集》(1954年)や戯曲,随筆など。

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世界大百科事典(旧版)内のスティーブンズの言及

【シェーン】より

…1953年製作のアメリカ映画。ジョージ・スティーブンズ監督。アラン・ラッド主演,ジーン・アーサー,バン・ヘフリン,ジャック・パランス共演。…

【ディーン】より

…アメリカの映画俳優。ジミーの愛称で親しまれ,1950年代半ばに3本の出演作をのこし24歳で早世,死後,青春の孤独・絶望・反逆のシンボルとして偶像化された。インディアナ州マリオンに生まれ,55年カリフォルニア州で愛用のポルシェ・スピードスターを運転中,事故死した。 アクターズ・ステュディオなどで演技を学び,舞台,テレビドラマをへて,エリア・カザン監督により《エデンの東》(1955)の主役に抜擢(ばつてき)され,〈新しいマーロン・ブランド〉と宣伝されて映画が公開される前にすでにスターとなった。…

※「スティーブンズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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