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セベリーニ Severini, Gino

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

セベリーニ
Severini, Gino

[生]1883.4.7. コルトナ
[没]1966.2.27. パリ
イタリアの画家。 1900~01年ボッチョーニとともにローマの G.バルラのもとで学ぶ。 06年パリに定住,スーラの影響で点描主義 (→点描法 ) に向う。 09年「未来派宣言」に署名。 10年頃からキュビスムの影響が現れ,著書『キュビスムから古典主義まで』 Du Cubisme au Classicismeを出版した 21年頃まで作品の基調となる。 12年頃未来派の動的表現が顕著となり,14年初めて抽象的構成が現れる。 22年フィレンツェ近郊でフレスコ画を制作してから壁画,モザイクに興味を示し,作風もマチスの影響を受けて装飾的傾向が強まる。 35年ローマ・クアドリエンナーレで,50年ベネチア・ビエンナーレで受賞。晩年は抽象絵画に向った。主要作品『タバラン踊りのダイナミックな象形文字』 (1912,ニューヨーク近代美術館) など。

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百科事典マイペディアの解説

セベリーニ

イタリアの画家。コルトナ生れ。ローマでバラに学んだのち23歳でパリに赴き,生涯のほとんどを同地ですごした。ボッチョーニらと未来派の運動を興し,ピカソブラックとの交友からキュビスムの影響も濃く受けた。
→関連項目バラ

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世界大百科事典 第2版の解説

セベリーニ【Gino Severini】

1883‐1966
イタリア未来派の画家。コルトナに生まれる。ローマでバラG.Ballaに学んだのち,23歳でパリに赴き,生涯のほとんどをそこで過ごす。スーラの点描主義を学び,ピカソやブラック,アポリネールとも親交を結ぶ。1910年〈未来派画家宣言〉に署名するため彼をミラノに招いたボッチョーニらに,フランスの新しい美術の動向を伝えた。《モニコのパンパン踊り》(1910)は未来派の傑作の一つとされるが,のちには未来派のダイナミズムの追究よりもキュビスムの分析的な表現に向かった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

セベリーニ
せべりーに
Gino Severini
(1883―1966)

イタリアの画家。コルトーナに生まれ、ローマに出てボッチョーニを知り、ともにバッラのアトリエに出入りする。1906年パリに移住して生涯を送る。初め印象主義やスーラの点描主義の影響を受けるが、10年に未来主義の運動に参加し、分割主義的な手法による『ブールバール』『モニコのパンパン踊り』などを発表する。その後ブラックやピカソのキュビスムや、コラージュなどの技法に関心を寄せるが、20年代には古典主義への回帰をみせ、シローニらの「ノベチェント派」に近づき、『静物』(1923)などを描く。しかし40年代にはふたたび新立体主義的作風に戻り、幾何学的抽象の傾向を示す。いくつかの彫刻や、ダダの影響を受けた鋼鉄の歯車やばねなどを利用した立体も制作している。『造形芸術論』(1936)をはじめとする重要な著作がある。[小川 煕]

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世界大百科事典内のセベリーニの言及

【未来派】より

…この運動はF.マリネッティの《未来派宣言》(1909)に端を発する。次いでボッチョーニセベリーニ,バラGiacomo Balla(1871‐1958)たちが1910年に《未来派画家宣言》をミラノで発表,マリネッティを指導者として,従来の芸術文化のあらゆる旧弊を破って,新しい未来社会の機械と速度のダイナミズムを礼賛した。当時の多くの若いイタリアの芸術家がこれに賛同して,過去のアカデミズムの破壊を目的とし宣言を発表しつづけた。…

※「セベリーニ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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