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ダレイオス[3世] ダレイオス

百科事典マイペディアの解説

ダレイオス[3世]【ダレイオス】

アケメネス朝ペルシア帝国最後の王(在位前336年―前330年)。即位後宦官(かんがん)バゴアスを倒して政治を粛正したが,アレクサンドロス1世の侵入にあい,イッソス(前333年)とガウガメラ(前331年)の戦に敗れ,逃走中暗殺された。
→関連項目アケメネス朝ガウガメラの戦

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世界大百科事典 第2版の解説

ダレイオス[3世]【Dareios III】

ペルシア帝国最後の王。在位,前336‐前330年。ダレイオス2世の曾孫。カスピ海南岸のカドゥシア人を征討した功により,アルメニアのサトラップに任ぜられた。アルタクセルクセス3世アルセスの2人の王を殺した宦官バゴアスBagōasは,傍系から彼を選んで王に擁立した。まもなく両者は対立し,ダレイオスはバゴアスを倒して,宮廷政治の粛正をはかった。マケドニアのアレクサンドロス大王が帝国に侵入すると,王みずから軍を率いて迎撃したが,イッソス(前333)とガウガメラ(前331)の両度の戦いにおいていずれも敗北した。

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世界大百科事典内のダレイオス[3世]の言及

【イッソスの戦】より

…前333年秋,北シリアに進出したアレクサンドロス大王がイッソスIssos南方でダレイオス3世のペルシア軍と遭遇しこれを破った戦い。戦場の比定については現在のパヤス河畔,クル・チャイ河畔など諸説ある。…

【ガウガメラの戦】より

…前331年秋,北メソポタミアに進攻したアレクサンドロス大王が,ティグリス川左岸ガウガメラGaugamēla(テル・ゴメル)付近の平原でダレイオス3世のペルシア軍と遭遇し,イッソスの戦(前333)に次いで再びこれを破った戦い。アレクサンドロスは戦闘半ばに戦場を離脱したダレイオスを,約90km南のアルベラArbēlaまで徹宵追跡したが及ばず,しかしダレイオスの権威は全く失われ,アレクサンドロスは以後正式に〈アジアの王〉を称した。…

【ペルシア帝国】より

…彼の後を継いだカンビュセス2世は,前525年にエジプトを占領して古代オリエント世界の統一を実現した。前522年にマゴス祭司ガウマータGaumātaによる王位簒奪事件が起こり,帰国の途中でカンビュセスが亡くなると,アケメネス一族のダレイオス1世がガウマータを倒して王位に就いた。初期のペルシア帝国は,キュロス2世やカンビュセス2世が征服したそれぞれの国家の王に即位することによって成り立つ同君連合国家の形態をとっていたから,キュロス王統の断絶は臣属民族にとってペルシア支配の終了を意味した。…

【メソポタミア】より

…バビロンのエギビ一族,ニップールのムラシュ一族の文書は,商取引によって富を蓄えた階層の実態をよく示している。ペルシア帝国
[セレウコス朝時代,パルティア,ササン朝ペルシア時代]
 前331年ダレイオス3世がアレクサンドロス大王に敗北するに及び,ペルシア帝国は崩壊した。アレクサンドロスの死後,部下セレウコスがシリア,メソポタミアを支配した(セレウコス朝シリア)。…

※「ダレイオス[3世]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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