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チャウシェスク チャウシェスクCeauşescu, Nicolae

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

チャウシェスク
Ceauşescu, Nicolae

[生]1918.1.26. スコルニチェシュティ
[没]1989.12.25. ブカレスト近郊
ルーマニアの政治家,大統領ルーマニア共産党書記長,軍司令官。貧農の家庭に生まれる。1936年共産党に入り,共産主義青年同盟で活動。第2次世界大戦中は,ソビエト連邦へ逃れた指導者たちがいた一方,ゲオルゲ・ゲオルギウ=デジらとともに獄中にあり,1944年8月のクーデターを迎えた。1945年党中央委員候補,1948年中央委員,1952年書記,1955年政治局員へと昇進し,政府職務では 1948~50年農林次官,1950~54年国防次官などを歴任。1956年以降の東ヨーロッパ圏の動揺のなかで,1960年代に入るとゲオルギウ=デジは明確に対ソ抵抗を開始し,チャウシェスクを中心とする若手の党機関員に自立化の支柱を求めた。1965年にゲオルギウ=デジが死ぬと,チャウシェスクは 47歳の若さで党第一書記(すぐ書記長と改称)に選出された。まもなく前指導者の批判を進めて権力を自己の親族・グループで固め,1967年には国家評議会議長(元首)を兼任,1974年大統領制の創設に伴い初代大統領をも兼任し,独裁的最高指導者として自主路線を展開した。1989年12月17日,ティミショアラで起こったハンガリー系市民の虐殺に抗議したデモが全国に波及し,12月22日チャウシェスク体制は崩壊に追い込まれた。チャウシェスクと第一副首相のエレナ夫人は逮捕され,12月25日非公開の特別軍事法廷によって死刑の宣告を受け,夫妻はただちに銃殺刑に処せられた。(→ルーマニア史

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デジタル大辞泉の解説

チャウシェスク(Nicolae Ceauşescu)

[1918~1989]ルーマニアの政治家。スターリン主義を発展させた自主路線を展開。1974年には初代大統領に就任、独裁体制を確立したが、1989年12月の民主化で失脚し、夫人とともに処刑された。

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百科事典マイペディアの解説

チャウシェスク

ルーマニアの政治家。オルデア出身。ブカレスト経済アカデミーで学び,1933年共産党入党,1936年党地方書記となる。のちの第一書記ゲオルギウ・デジらとともに第2次大戦中は国内の獄中にあった。
→関連項目ブカレスト

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

チャウシェスク
ちゃうしぇすく
Nicolae Ceauescu
(1918―1989)

ルーマニアの政治家。オルテニア地方の農家の出。職を求めてブカレストに出て、1933年に青年共産同盟に入り、1936年に共産党加入と同時に青共の地方書記に就任した。同年から2年半投獄され、出所と同時に青共中央の書記になり、またブカレスト経済専門学校に学んだ。1940年からふたたび投獄されたが、獄中でゲオルギュ・デジらとの連帯感を育てた。1944年の反枢軸クーデターのあと出獄、1948年に党中央委員となった。戦後初期の勢力基盤は軍であった。1944年から准将の資格で軍の政治委員になり、1950年に少将に昇進、国防次官となった。1952~1955年には党中央委組織局長を務め、基盤をさらに固めた。スターリン死(1953)後の政治的動揺の過程でデジにその精力と組織能力を買われ、1954年に党書記、1955年に政治局員に選任された。1965年のデジの死後、47歳の若さで党第一書記に就任し、デジが開始した自主路線をさらに発展させた。権限の集中が特徴的で、党書記長兼大統領のほか、統一戦線、国防、経済、イデオロギーなどの最高機関の議長を兼任した。1989年の民主化で失脚、死刑となった。[木戸 蓊]
『N・チャウシェスク著、草野悟一訳『平和と国際協力の政策』(1972・恒文社)』

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