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チャビン文化 チャビンぶんかChavín culture

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

チャビン文化
チャビンぶんか
Chavín culture

前 1000~500年頃栄えたアンデス最古の神殿文化。ジャガー神信仰に基づく独特の祭祀や宗教儀礼を行い,各地に大きな神殿都市を建設した。代表的な遺跡は,ペルー中部高原地帯のチャビン・デ・ワンタル,クントゥール・ワシ,海岸地帯のセロ・ブランコ,セロ・セチンなど。チャビン文化の特色は芸術様式にあり,ジャガー,へび,コンドル,わにの属性を組合せて構成された抽象的な図案が,石彫,金細工,織物,土器,骨角器の文様として施されている。その様式はペルー全土に普及し,のちの古典期文化に継承され,末長くアンデス文明に影響を与えた。

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百科事典マイペディアの解説

チャビン文化【チャビンぶんか】

ペルー北部から中部にかけて前900年―前100年ころ栄えたアンデス文明形成期の文化。宗教性の強い文化で,各地に神殿が造られ,内外にネコ科の動物(チャビン猫)や怪獣像を刻した円柱,石像が立てられた。
→関連項目オルメカ文化コトシュティアワナコ文化モチカ文化

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世界大百科事典 第2版の解説

チャビンぶんか【チャビン文化】

ペルーの中部山岳地帯を中核に,北部から中部にかけて広がりをもち,さらに南部にまで影響を及ぼした前900‐前100年ころの,宗教性の強い文化。ペルー考古学の父J.C.テーヨが〈アンデス文明の母体〉であると重要性を指摘してきた。テーヨはこの文化の起源をアマゾン熱帯密林地帯に求める説を出したが,他説もありまだ解決されていない。日本隊によるコトシュの調査は,チャビンChavín文化の生成に関する重大な成果をもたらした。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

チャビン文化
ちゃびんぶんか
Chavin

紀元前一千年紀前半のころのペルーの北部から中部にかけて広まった文化。代表的遺跡はチャビン・デ・ワンタルで、標高3100メートルの谷間にあり、円形の半地下広場を囲んで東に開いたコの字形に石造基壇を配した古神殿と、一辺約50メートルの方形の半地下広場をコの字に囲む大基壇群の新神殿とからなる。基壇の内部に地下回廊があり、小部屋や通路がつくってある。古神殿の内部中央の回廊には、高さ4.5メートルのランソンという石彫が立つ。さらに、テーヨのオベリスクやライモンディの石碑という大石彫をはじめ、石壁にはめ込んだ釘(くぎ)状頭像や浮彫り石板も多くみいだされている。鐙型壺(あぶみがたつぼ)、長頸壺、鉢など光沢のある精巧なつくりの土器も数多く出土した。彫刻や土器の装飾では、力強い曲線を多用してジャガー、ワシ、ヘビの擬人化モチーフを表現し、独特のチャビン様式の極致を達成している。
 このチャビン様式のモチーフと表現上の諸特徴は、北高地、北海岸、中部海岸、中部高地に広くみいだされ、ほとんど同時期のものであることから、それらはチャビン・デ・ワンタルからの伝播(でんぱ)の結果と考えられてきた。しかしながら最近の研究によると、北高地、北海岸、中部海岸の諸遺跡はチャビン・デ・ワンタルよりも古いものらしく、半地下広場は明らかにそれよりも1000年ほど古い。したがって、前二千年紀末ごろ、神殿祭祀(さいし)とともにチャビン様式の構成要素としての諸特徴は、北ペルーの各地にいろいろな現れ方をしながら、しだいに交流を深め、やがてその集大成としてチャビン・デ・ワンタルができたと考えられるようになった。そして、ここから北高地南部や中部高地あるいは南海岸への伝播が生じたのであろう。それとともに、トウモロコシを中心とした灌漑(かんがい)農業、ラクダ科動物の飼育、神権政治、金細工、精巧な織物や土器などがペルーに普及し、ここにアンデス文明の飛躍的な発展の基盤が完備したのである。[大貫良夫]

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世界大百科事典内のチャビン文化の言及

【アンデス文明】より

…形成期(前1800‐西暦紀元前後)の前期には土器や綿織物が普及し,中期(前1100‐前500)にはトウモロコシ,マニオク,ラッカセイなどが,灌漑設備をもつ畑で栽培され,標高4000mをこえる高原ではラマが家畜化され,アンデス地帯は食糧生産を生業の柱とするようになった。中期は,チャビン・デ・ワンタルの大神殿に代表されるチャビン文化の時代で,農耕その他の技術と宗教をひろめる役割を果たした。 古典期(西暦紀元前後‐700)に入ると,灌漑設備の規模が大きくなり,海岸河谷の下流平野や,高地の山の斜面などが耕地化され,ジャガイモ,サツマイモ,コカその他の栽培やアルパカの飼育も普及し,高い生産力と大きくかつ稠密な人口をもつ社会が各地に成立し,それぞれが独特の芸術様式や大建築を伴う政治的・宗教的センターを築いた。…

【コトシュ】より

…最も重要なものは最下層の土器を伴わない神殿遺構群で,階段で結ばれるテラスに独立して建てられ,なかでもシンボリックな〈交差した手〉の男女対のレリーフを壁龕(へきがん)に飾った9m×9m×2mの主神殿はミト文化と命名され,すでに世界に知られている。中央アンデス文化史上で,三つの節目をなすチャビン,ティアワナコ,インカの3文化の最初であるチャビン文化(前900年ころ)の生成に関連して,ペルー考古学の父J.C.テーヨはすでにコトシュ遺跡の重要性を説いていたが,泉靖一を団長とする東京大学アンデス地帯学術調査団は1960,63年の2回,大規模発掘調査を行い,予測を実証するとともに先行する無土器神殿文化(ミト文化)の存在を新しく確認した。この新知見はアンデス文明の起源を解明するうえで欠かすことのできない重要なものとなっている。…

【チャビン・デ・ワンタル】より

…ペルー北部山地,アンデス東斜面部標高3170mの小盆地にある神殿遺跡。前800年ころに始まる古代アンデス文明形成期チャビン文化の代表遺跡である。200m四方の範囲に,広場を囲んで西,北,南に建物を配し,各所に様式化されたジャガーなどの動物や怪奇な神人像の石彫が数多く見られる。…

【ライモンディ】より

…そのほか鉱物や鉱山についての調査,地方誌などの著書もある。チャビン文化の,のちに〈ライモンディ石碑〉と呼ばれる石彫も発見している。その後もペルーで調査と著作をつづけ,ペルー北部のパカズマヨで没した。…

※「チャビン文化」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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