コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

チャルトルイスキ チャルトルイスキ Czartoryski, Adam Jerzy

5件 の用語解説(チャルトルイスキの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

チャルトルイスキ
チャルトルイスキ
Czartoryski, Adam Jerzy

[生]1770.1.14. ワルシャワ
[没]1861.7.15. モンフェルメーユ
ポーランドの政治家。 A.K.チャルトルイスキの子。西ヨーロッパ各国に遊学,イギリス自由主義保守主義の影響を受ける。 1791年帰国,翌年対ロシア戦争に参加,ポーランドの第3次分割 (1795) 後,所領の回復を求めてペテルブルグにおもむき,ロシア政府に仕官。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

チャルトルイスキ
チャルトルイスキ
Czartoryscy, Kazimierz

[生]1674
[没]1741
ポーランドの政治家。リトアニアの蔵相,副宰相を歴任。ロシアに対抗し,近代的な中央集権国家の創設を目指した。一族郎党から成る政党「ファミリア」を結成,改革期ポーランドの内政に大きな影響を及ぼした。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

チャルトルイスキ
チャルトルイスキ
Czartoryscy, Adam Kazimierz

[生]1734
[没]1823
ポーランドの大貴族 (→マグナート ) 。政治家,著述家。 18世紀ポーランドの啓蒙的大貴族の代表者。 1763年王位を提供されたが,家門に逆らってこれを断り,スタニスワフ2世アウグスト・ポニャトフスキに譲った。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

チャルトルイスキ
チャルトルイスキ
Czartoryscy, Władysław

[生]1828
[没]1894
ポーランドの大貴族 (→マグナート ) ,政治家。 1863年の一月蜂起国民政府外交代表。以後チャルトルイスキ家の歴史文書,美術品の保存に専念,クラクフに博物館を設立した。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

チャルトルイスキ
ちゃるとるいすき
Adam Jerzy Czartoryski
(1770―1861)

ポーランドの政治家。大貴族の出身。1792年の対ロシア戦争に参加した。ポーランド第三次分割後、アレクサンドル1世の信任を受け、1802年ロシアの外相代理に就任し、04~06年には外務省の実権を握った。また、ビルニュス学区長として、ポーランドの学術、文化の発展にも寄与した。当初はロシアの庇護(ひご)によるポーランドの統合を意図し、ウィーン会議ではポーランド王国の創設に努力した。しかし30~31年の対ロシア蜂起(ほうき)時には、国民政府の首班となって蜂起を指導した。蜂起敗北後はパリに亡命し、亡命右派のホテル・ランベール派を指導、外交手腕を駆使してイギリス、フランス政府の援助によるポーランド独立運動を展開し、バルカンの民族運動にも影響を与えた。[安部一郎]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

チャルトルイスキの関連キーワードワルシャワ大学ワルシャワ大公国マルシャウコフスカ通りワルシャワ旧王宮ワルシャワ蜂起記念碑ブライダルシャワーワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団ワルシャワの秋音楽祭ワルシャワ決議ワルシャワ・ゲットー

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone