アメリカの天体物理学者。イギリス領インドのラホール(現在はパキスタン)に生まれる。チェンナイ(マドラス)のプレジデンシー・カレッジで理論物理学を学び、1930年卒業。ケンブリッジ大学に留学し、1933年に博士号を取得、また同大の特別研究生になった。1937年渡米し、シカゴ大学で準教授を務め、1944年教授に昇格、1986年退職し名誉教授となった。その間、1953年にアメリカの市民権を取得、また学術雑誌『天体物理学』Astrophysical Journalの編集長を務めた。
星の内部構造と進化について研究した。星はその質量によって異なった進化の過程をとる。彼は、太陽の質量の1.4倍を限界点として、それ以上の質量の星は超新星として爆発して進化を終え、それ以下の質量の星は白色矮星(わいせい)とよばれる高温の小さな星となり、やがて終焉(しゅうえん)を迎えるとした。この限界点は「チャンドラセカールの質量限界」とよばれている。このほか、恒星大気の放射輸送、恒星の電磁流体力学的研究、ブラック・ホールの研究などがある。1983年に「天体の構造と進化の物理的過程に関する理論研究」でノーベル物理学賞を受賞。宇宙空間における元素の形成にとって重要な核反応を研究したファウラーとの同時受賞であった。なお、1999年7月に打ち上げられたアメリカのX線観測衛星は、彼の名にちなみ、「チャンドラ」と名づけられた。
[編集部 2018年9月19日]
『S・チャンドラセカール著、長田純一訳『星の構造』(1973・講談社)』▽『S・チャンドラセカール著、中村誠太郎監訳『チャンドラセカールの「プリンキピア」講義――一般読者のために』(1998・講談社)』▽『桜井邦朋著『天体物理学の基礎』(1993・地人書館)』▽『Arthur S. EddingtonThe Internal Constitution of the Stars(1988, Cambridge University Press)』
アメリカの理論天体物理学者。インドのラホール(現,パキスタン)に生まれ,マドラス大学およびイギリスのケンブリッジ大学で学ぶ。1936年渡米,53年帰化。諸大学を歴任の後,1944年よりヤーキス天文台教授となる。21歳のとき,白色矮星(わいせい)の内部構造の研究からその質量には上限(電子の縮退圧によって,平衡を保つことのできる質量には限界があり,その限界をチャンドラセカール限界という)があることを発見,これよりも重い星は進化の途上で余分な質量を放出せざるを得ないことを示した。そのほか,内部構造論の関係では,その微分方程式の数理的性質の詳しい研究を展開した。星の大気の関係では,光の吸収に大きな役割をもつ水素の負イオンH⁻の吸収係数の量子力学的数値計算を達成して,星の化学組成の精密決定にも貢献した。また,星の大気における光の輸送を記述する積分方程式中の定積分を,代表点における関数値の和で置き換えて代数方程式として解く方法を開発し,これを用いて独自の大気構造理論を展開し,ミルン=エディントンの大気モデルによる吸収線形成理論の厳密解にも到達した。そのほか,恒星系の統計的力学,電磁流体力学的な乱流の理論,宇宙線加速に関するフェルミ理論の数理化,物質分裂の条件に関するジーンズ理論の拡張,星雲の集団性の理論など,天体物理学の諸分野の数理的な論文や著書を多く発表,いずれも数理的に懇切明快であることを特徴とする。64年,天文台からシカゴ大学フェルミ研究所に移り,その後も星の非球的脈動,自転による星の楕円体化ないし不安定化の問題など,流体力学に一般相対性理論を加味した,取扱いのむずかしい諸問題の数理論を展開し,ブラックホールの理論の著書も出版した。83年,星の進化に関連する諸研究が評価されてノーベル物理学賞を受賞。
執筆者:大沢 清輝
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